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The Legend of Dadegea 第2部 亡国の雪  作者: 鷹見咲実
第1章 魔道の都の少年
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20.「初恋」

 ●【20.「初恋」】


 シャーロッテ・グランは鏡湖のほとりにぼんやりと佇んでいた。

 彼女は月が綺麗な夜を選んでここによく散歩に来る。

 波がまったく立たない鏡湖に映った月はとても美しく、シャーロッテは考え事をしたいときには必ず鏡湖に映る月を見たくなるのだ。


 今日も月が美しい夜。

 鏡湖は風も穏やかで、あたりは静か。考え事をするにはうってつけだった。


 フィンが旅に出てから、もうふた月ほど立とうとしていた。

 一度だけ便りが届いた。

 彼は今、ホロを旅しているという。


 元気にしているだろうか?失敗をして途方に暮れていないだろうか?

 気づいたらそういうことばかり考えている自分をシャーロッテは変だと思っていた。

 幼い頃からずっと一緒にいたフィンは、同い年なのに弟のような存在だった。


 要領が悪くて、いつも叱られてばかり。運動神経だっていいほうじゃない。

 かけっこはシャーロッテの方が常に早かった。

 魔道はいつも失敗ばかり。こっそりと気づかれぬように助けてあげたことも多かった。

 彼をフォローをすることはいつも面倒くさくてうんざりしていた。


 でも、屈託のない笑顔が好きだった。

 なんでも疑うことなくすぐに信じてしまう素直なところが好きだった。

 いつも近くにいるのがあたりまえだと思っていた。


 だから、自分の側にフィンがいなくなった時、シャーロッテはその寂しさに初めて気がついたのだった。


「……一年経てば戻ってくるもの……だから、気にしなくていいんだから……」


 そう、独り言を呟く。


「いいわね……初恋って」


 ふと、彼女の背後で声がした。


 驚いて振り返ったシャーロッテは、彼女のすぐ後ろにあった大樹の小枝に止まっている白い鳩を見つけて、不満そうな声を出した。


「フローリア姉さん!また、勝手に竜巫女の館をでてきたのね?だめじゃない」

「平気よ。私は館にいるもの。そこにいるのは代理の白鳩なんだから」


 確かにその姿は白い鳩だ。

 だが、これは姉本人が変化した姿だとシャーロッテはすぐに見抜いた。


「神官長猊下(げいか)が知ったらなんと仰られるか!」

「まあまあ……固いこと言わないの。シャーロッテ。我が妹ながら本当に真面目の塊ね」


 フローリア・グランはシャーロッテの三歳上の姉で、当代の竜巫女だ。

 五年前、十二歳の時に竜巫女に選ばれ、今は鏡湖の浮島で暮らしている。


「竜巫女は安息日以外に館を出てはいけないのでしょう?竜王の竜巫女がそんないい加減なことでいいわけ?」


 シャーロッテはあきれたような声を出す。


「安息日はまだ四十五年も先なのよ?そんなの退屈で耐えられないわ」

「……なんで、こんな人が竜巫女に選ばれたのかしら……」


 シャーロッテは頭を抱える。


「大丈夫よ。桜翁様もご存知だから……ね?翁様」

「そうじゃ。固いことはいいっこなしじゃ」

「えっ?」


 いつのまにか、フローリアの側に小柄な老人が腰をかけていた。

 その身に纏う白い長衣は、古代の彩岩楼皇国(さいがんろうこうこく)の特徴的な衣装によく似ている。

 子供のように小さな体。

 長い白髪は頭頂で綺麗に結われ、曲がりくねった杖を持ち、機嫌よく笑っていた。

 体の二倍以上ある長い髭は夜風にふんわりとゆらめく。

 女神の忠実なるしもべにして全てのソーナ族の古い友人の老妖精。そしてこの世界の全ての草木の王。


 彩岩楼皇国でその生を受けたこの妖精は、常にソーナ族と共にあった。

 かつて、生まれ故郷の彩岩楼皇国で大規模な干ばつが起きたとき、ソーナ族の始祖たちはこの妖精の本体である桜の若木を守って、この水の竜の領地へやってきた。

 それ以来、この妖精はソーナ族のよき友人だ。


 白鳩に姿を変えたシャーロッテの姉が止まっている大樹は、この国の国樹、『桜翁』だった。


「……桜翁様までそんなことを……」


 桜翁は姉には特に甘すぎる。

 シャーロッテは、今までも頻繁に起きた姉の規則破りを容認し、あまつさえ庇いだてする桜翁を恨めしそうに見る。


「ばれちゃったらしょうがないわ。鳩の姿でいるのは疲れるのよ……」


 フローリアはそう言った次の瞬間には、もう人の姿に戻って、シャーロッテの隣に立っていた。


「あきれた……本当にしょうがない姉さん……」


 唖然としているシャーロッテを尻目にフローリアは大きく伸びをする。


「ああ……こうやって時々島の外にでないと息が詰まっちゃう」

「そうじゃろ、そうじゃろ」


 桜翁もフローリアの真似をして伸びをする。

 その様子を見ていたシャーロッテはまた、眉尻を吊り上げる。


「規則を破ってばかりの竜巫女なんて聞いたことがありません。翁様、姉さんを甘やかさずに少しは叱ってください」


 しかし、桜翁はニコニコ笑って逆にシャーロッテを諭そうとする。


「シャーロッテや。規則は民が決めたもの。竜王や女神を裏切らぬ限り竜巫女が咎められることはなにもないんじゃ」

「理屈ではそうかもしれませんが、それでは秩序がなくなってしまいます」


 シャーロッテはきっぱりと言い放つ。


「翁様。この子に何を言っても無駄ですよ。この子の心はガッチガチの正義と秩序で出来ているんだから」

「姉さん。からかわないで」

「はいはい、わかったわかった」


 適当にあしらわれたことを快く思わなかったシャーロッテはすっかり拗ねてしまう。

 それを見たフローリアは少し困ったような顔をして笑う。


「機嫌を直して、シャーロッテ。むくれた顔をしていたら折角の美人が台無しよ?ほら……眉間に皺をよせないの。そのまま皺がついちゃうわよ?そんな顔じゃあなたの大好きなフィンが帰ってきたら驚いて逃げ出しちゃうわよ」

「どうしてそこでフィンが出てくるのよ!」


 シャーロッテは真っ赤になって大声を上げる。


「あら。だって、シャーロッテはフィンが大好きなんでしょう?」

「違う!フィンはそんなんじゃないもん!」

「そうかしら?」


 フローリアは笑っている。

 姉に心の中の隅々まで見透かされたようで、シャーロッテは必死でそれを打ち消そうと躍起になってしまう。


「フィンなんか関係ないんだから」

「じゃあ、そういうことにしておくわね」

「年頃の娘というのは複雑なんじゃのう……」


 桜翁が笑いながら言う。

 すると、フローリアが得意げに言う。


「翁様、この年頃の女の子はみんなこうなんです。初恋に戸惑っているんですよ」

「だから恋じゃないってば!」

「言い切れるの?本当にそう?」


 フローリアはシャーロッテに顔を近づけ、その瞳をじっと覗き込む。


 かつてはシャーロッテと同じ色だった姉の瞳は、今は銀灰色に変わっている。

 だけど、その瞳の奥でいたずらっぽく光る姉の興味の視線は変わっていない。


「……姉さんだって恋したことないくせに……わかるわけないわ」


 シャーロッテは低い声で反抗する。


「あら、そんなことはないわ。私にも好きな人ぐらいはいるわよ」

「えっ?」


 意外な告白にシャーロッテは戸惑う。


「竜巫女は生涯を清廉潔白に過ごさなきゃいけないのに……信じられない。姉さん」

「やあね……。竜巫女だって恋はするわ」


 フローリアは急に真面目な顔をする。


「ただ……結ばれないというだけよ。恋をして、想い焦がれることまでは禁じられていないわ」


 そう言った時のフローリアの表情は、少し寂しそうに見えた。

 シャーロッテはしまったと思った。

 竜巫女である姉は、たとえ恋をしても実らない。いや、実らせてはならない身の上だ。

 そんな姉に対し、この話題はどれほど残酷か。


「……ごめんなさい」

「なあに?気にしているの?シャーロッテ」


 しょんぼりと俯いているシャーロッテの肩をポンと叩いたフローリアは急に笑い出す。


「ふふ……ひっかかった!嘘に決まってるじゃないの」

「もう!姉さんの意地悪!大嫌い」

「あら……。怒っちゃった」


 フローリアはケロっとした顔をしている。


「気分が悪いわ。私、もう帰る」


 シャーロッテは相当頭にきているらしく、顔を真っ赤に上気させて怒っている。


「ねえ、シャーロッテ」


 フローリアに背を向けたシャーロッテにフローリアは声をかけた。


「なによ」

「自分の心に正直でいてね……私にはできそうにないから」

「どういうことよ?」

「……なんでもないわ。でも、これからはそれが大切になるから、覚えておいて……からかってごめんね。シャーロッテ」


 シャーロッテは背を向けたまま頷いた。

 そして、無言でその場を去っていった。


 シャーロッテにはわかっていた。

 姉に悪気がなかったことも。そして、本当は何が言いたかったのかも。

 だた、それを素直に認めるには、少し恥ずかしかっただけだったのだ。






「フローリアや……お前、後悔しておるのかね?」


 静かな鏡湖の水面を見つめながら桜翁はフローリアに言った。


「何をです?翁様」

「言わずとも儂にはわかるんじゃよ……しかし、その想いは竜巫女という立場では許されぬ……不憫じゃが、これも掟じゃ……つらいな」


 その言葉を聞いたフローリアは急に俯いてしまう。


「……翁様はご存知でしたか……ええ、そのとおりです……わかってます……これは許されないことです……でも……」


 フローリアは顔を上げて、桜翁に向かって微笑んだ。


「でも、後悔はしていないんです。私」


 その頬には涙の跡があった。


「私は竜王に生涯を捧げた竜巫女。自分の立場はわかっていますよ。翁様」

「それならええが……」

「妹にはこんな思いをして欲しくないんです……自分の心を隠して、長い時間を屍のように生きてゆくことはとてもつらいから」

「あの子はしっかりしてるから大丈夫じゃ」

「だけど、翁様……フィンは……」

「仕方がないんじゃ。これは女神が決めたこと。変えられんよ……運命は」


 桜翁は悲しそうに首を振る。


「なぜフィンなのですか……どうして、あの子なんですか……シャーロッテが可哀想……そして何も知らないフィンも……」

「それは、お前もじゃろ?フローリア」

「……私はいいのです……翁様。私はもとから実らぬ恋……たとえ、私が竜巫女でなくとも、あの方と私ではつりあわない……所詮は実らぬもの……だけど、妹はそうじゃない……だからつらいのです。翁様」

「お前も、シャーロッテも、つらい恋をすることになるんじゃな……」


 フローリアは俯くばかり。


「せめて、今がこんなときでなければよかったものを……女神の手から失われた剣と鞘が、今になって現れる兆しを見せるとはなんという皮肉か……しかし、ソーナは変わってしまった……変わってしまったからこそ、あの剣は呼ばれたのかもしれん……今度の王は危険じゃ……女神デーデは黙ってはおるまい……」

「翁様……私はどうすればいいでしょう?」

「せめて、お前の愛しい男の心を変えられたら……少しは救われるかもしれんがの」

「…………そう、できればいいですね……」


 桜翁はそのまま押し黙り、フローリアはまた、涙を一滴零したのだった。

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