19.「甘い毒」
●【19.「甘い毒」】
鍵となる人物。
イナウコタイはそれ以上フィンに何も語ってはくれなかった。
それはまだ話すべき時ではないとイナウコタイは言うのだ。
「おばあちゃんはいったい何を知ってるの?なぜ、話してくれないの?」
真実を知りたいピリポは何度もイナウコタイに食い下がるが、イナウコタイは黙したままそれ以上は語らなかった。
「知っているのに話さないのはなぜ?そんなの変だ。なぜ、そういうことをする?」
全てにおいて真っ直ぐな心を持つピリポにはイナウコタイの真意を読み取ることはできなかった。
しかし、フィンにはイナウコタイがなぜ黙ってしまったのかがぼんやりとわかったような気がした。
重要なことほど簡単には明かされない。
それはフィンが学ぶ魔道の真理にも似ている。
真実へたどり着くことを欲すれば自分で探求するしかない。教育者はその道標を示すに過ぎない。
魔道の初歩を習ったとき、フィンはイズニー教授にそういわれた事がある。
それが大事なことであるほど、自分の力で知り、解き明かさねば自分のものにならないのだ。
きっと、今後の自分にまつわること、イナウコタイが伏せる真実というのはおそらくそういう類のものなのかもしれなかった。
だから、フィンはピリポのように食い下がらなかった。
しかし、ピリポは納得しなかった。
彼女は話をぼやかしてしまったイナウコタイに対し、納得できない様子だった。
ピリポはしばらくは祖母にしつこく迫っていたが、当事者であるフィンが、それ以上イナウコタイに聞こうとはしなかったので、ピリポもしぶしぶ諦める形になったのだ。
「僕に何かがあるのなら、僕はそれを自分の目で見て確かめます。いま、ここでイナウコタイ長老から聞いても、僕は多分、それを実感できないような気がするんです」
フィンはイナウコタイ長老にそう言った。
「嫌でも坊やは巻き込まれる運命だ。好むと好まざるとに関わらずね……それを面倒だと思い逃げ出すか、それとも敢えてその運命に挑むかは坊や次第だよ」
「はい」
「カムラ・カユルが言ったように、これから過酷な運命が坊やに用意されている。それでも負けずに坊やは頑張れるかい?」
フィンはイナウコタイが自分を試しているように思えた。
だから、フィンは今の自分の気持ちを正直に言うことにした。
「……自信がある……とは言い切れないけど……でも、僕は見たいんです。自分の目で、自分に何が起こるかを」
「どうしてそう思うね?」
「だって……」
フィンは澄んだ菫色の瞳を輝かせて言った。
「その運命が僕に与えられたことならば、僕はそれを最後まで受け止めて、自分の力で乗り切りたいから……そうすれば、僕は自分に少しは自信が持てるかもしれないから……」
「よく言った。坊やなら……きっと大丈夫だ」
イナウコタイはにっこり笑ってフィンの肩をポンと叩いた。
「きっと坊やは立派なソーナ族の王になれる……あたしが保証しよう」
「ありがとうございます……こんな出来そこないの僕なんかが王になれるとは思ってないけど、長老にそう言ってもらえると嬉しい……」
フィンは照れくさそうに頭を掻いた。
ピリポはこの一連のやり取りを見ていて、いくらかフィンのことを見直し始めていた。
であったばかりの頃は気弱で頼りなく、情けない年下の少年だと思っていたが、意外に芯が強く、強いところがあると感じはじめていた。
「フィン」
「なに?」
ふいにピリポが真面目な顔をしてフィンの前に立った。
「私はフィンを少し見くびっていた。弱々しくて情けない男だと思ってた」
いきなりのきつい物言いにフィンは少しむっとする。
「悪かったね。どうせ僕は頼りないよ」
ぶつぶついい始めたフィンに向かってピリポはさらに続ける。
「でも、今は違う。自分の運命をちゃんと見極めようと覚悟を決める男は強い男だ。私はフィンを認める」
「えっ?」
ポカンとしているフィンに向かってピリポは右手を差し出した。
「……なに?」
「握手だ」
「……えっと……」
戸惑っているフィンに向かってイナウコタイが笑って言った。
「あたしたちネッカラの女は、自らが認めた男には敬意を払うのさ。ピリポが誰かに向かって握手を求めるなんてあたしは見たことがないよ……よかったらピリポと握手してやっておくれ」
ピリポは、少しだけはにかんだ表情を見せていたが、それでも、右手は差し出されたままだった。
「うん。わかった」
フィンは差し出されたピリポの右手を力強く握り返した。
「なるほど。最後の呪いは成就しなかったか」
「ああ。だけどいいさ……今、成就させずとも、あとでなんとでもなるからね……あのソーナ族の子供が間違いなく次の後継者だ。その証拠に、もうあの子はクー・ククルの守護を持っていた」
カムラ・カユルは話し相手の顔を殆ど見ないで話す。
薄暗い部屋の中、灯りもつけずにカムラ・カユルは彼女の客と対峙していた。
相手の顔はできるだけ見ないと彼女は決めていたからだ。
「ほう……クー・ククルの関心を得たのか……。では、今度は本物なのだな?」
「たぶんね」
「しかし、クー・ククルはその少年の側にはいなかったのだろう?」
薄暗がりの中から発せられた声は男のものだった。
「少なくとも目に見えるところにはね……だが、あたしの攻撃を阻んだ結界はクー・ククルの力によるものだ……見間違うものか……」
「守護はすれど、クー・ククルが姿を見せていないということは、まだあの少年の技量をクー・ククルが量りかねていると見るべきか」
「おそらくね……あたしが見た限りじゃあの子はまだとても未熟で、本来の力に殆ど目覚めていない……」
「条件がそろっていないのだろう」
男の声は淡々としている。
まるで、本を読み上げているように。
「多分あなたの言うとおりさね。あの子はたぶんまだ、『剣』の持ち主と出会ってない……『剣』が現れれば嫌でもその力は発動する……」
「なるほど……まだ、今しばらく時間が必要か」
男はふっと短く吐息を漏らす。
「今の王は確かに強い王だ……しかし、『鞘』の持ち主ではなかった。それどころか、国を壊す凶事の魂の持ち主だ……今はまだ仇なしてはいないが、彼……ラドリアス・ドルーア・エルフォス・ソーナは間違いなくソーナを壊す……」
「ソーナが滅びようと壊れようと、あたしには関係ないよ」
カムラ・カユルは興味なさそうに言う。
「そうだろうな」
男の声には軽い笑いが含まれていた。
「それよりも……本当に、あなたの言うとおりにすれば、あたしの長年の望みが叶うんだろうね?」
「叶うともさ……愛しいカムラ・カユル」
男の声はねっとりと絡みつくようだ。
カムラ・カユルは、男の顔を見たい衝動に駆られる。
しかし、その衝動をぐいと押さえつけ、彼女は皺だらけの手のひらを強く握り締める。
「ずっと、待ってたんだ……あたしは……女神の呪われた力と引き換えに……全てを無くしても……」
「そうだよ。カムラ・カユル……私に協力すればお前の欲するもの全てが手に入る……失われた時間、永遠の若さと美貌、壊れた愛、そして……この私が……」
「やめとくれ!」
カムラ・カユルは大きく首を横に振って叫ぶ。
「いくら禁忌を犯し、堕ちた身でも、心の底まで屈しちゃいないんだ!」
「堕ちたとはいえ、さすがはネッカラの女……その心の奥底にはユズリの純白なる心が残っておるか……」
男はそう言って闇の中で満足そうな笑みを浮かべる。
「それに、あんたはあの方とそっくりだけど、あの方じゃない……」
カムラ・カユルは男と決して目を合わせようとしなかった。
「だけど、カムラ・カユル……お前は私の甘い毒には逆らえまい。自分でもわかっているのだろう?それがたとえまがいものであっても、欲する心がとめられないだろう?」
「偽者が何を言うか」
カムラ・カユルは吐き捨てるように言う。
「ならばなぜ、私の目を見ようとしない?」
「……あんたには関係ない」
「いいや、関係なくはないね」
男は立ち上がると、素早くカムラ・カユルの側に立ち、その肩をいきなり抱く。
「ほら……こうすれば、お前は私を拒めないだろう?」
男の唇がカムラ・カユルの耳にそっと押し当てられ、熱い吐息が耳の奥をネットリと犯した。
「やめ……ろ」
カムラ・カユルは男から顔をそむける。
「今のあたしは年老いている……今のあたしは醜いんだ……悪い冗談はやめておくれ」
「醜いものか。お前は年老いても充分美しいさ……それに、もうじき昔の美しいお前に戻るさ」
「後生だからやめておくれ……」
しかし、男はカムラ・カユルの頬にそっと唇を寄せる。
「お前はまだまだ美しくなるさ……そう……『ネッカラの白薔薇』と呼ばれたあの頃のお前のようにね」
「……昔のことさ……美しい薔薇も時間がたてば枯れる……今は萎れて見る影もないさ」
カムラ・カユルは目を伏せる。
男の口付けを受けた頬や耳が熱を持っている。
誰よりも愛しい人の声と姿を持つ男。その姿は彼女の記憶そのままだ。
だけど、その姿が偽りであることも彼女は知っている。
愛した人はすでにこの世界にはいない。
わかってはいたけれど、それでも止められなかった。
紫水晶のような美しい瞳と、綺麗な群青色の髪の若い男。
痺れるような甘い毒を持つ、闇からの誘惑者。
彼女が欲してやまぬもの。
若き日のコノール・ホリンがそこにいた。




