14.「遭難」
●【14.「遭難」】
さくさくと、レーラが雪を踏む音だけがする。
すでに、二時間ぐらいは歩いている。
歩みを進めれば進めるほど、木々は増え、森は深くなる。
よほど広い森なのだろう。
鬱蒼と茂った森の木々は切れるどころか、深まるばかり。
降り注ぐ太陽の光が、かろうじて木漏れ日となり、前を照らしているが、もしも太陽が雲に隠れてしまったら、この森は暗闇になるのかもしれない。
そんな不安を抱えつつも、フィンはそれでもレーラを前に進める。
時折、前を横切ってゆく狐や、突然、バサリという大きな羽ばたきの音とともに、茂みから飛び立つ梟に驚きつつも、フィンはまるで何かに取り憑かれたかのように進む。
なぜ、進もうとしているのかもわからない。
でも、何かがフィンを呼んでいる。
振り返れば、もう森の入り口は見えず、もしも、迷ってしまったらどう進めばいいか自信が無い。
とりあえず、真っ直ぐ進んできたので、戻るときは真っ直ぐ戻ればいい。
だけど、はたして真っ直ぐに進んでいたのだろうか?ひょっとしたら、どこかで曲がっているのかもしれない。そんな不安はあった。
「……いつまでも無限に続く森なんてない……真っ直ぐ進みつづければ、たぶん、森は終わる……」
声に出して言うことで不安を振り払う。
怖いけど、行かなければならない。前に進まなければならない。
自分を呼ぶものが何なのかを突き止めたい。
フィンはその気持ちだけで前に進んでいた。
突然、レーラが歩みを止めた。
「……レーラ?」
フィンはレーラの角を前に押す。
しかし、レーラはピクリとも動こうとしない。
「レーラ?どうしたの」
眷属でも現れたのだろうか?
フィンは耳を澄ませ、気配を探る。
しかし、妙な音も気配もしない。レーラが脅えている様子も無い。レーラはただ、前をじっと見つめてその場に立ち尽くしているだけだ。
フィンはレーラから降りてみる。
レーラの体を触ってみたが、その様子に特に変わったところはない。
「何がおきたんだろう……」
フィンがあたりをきょろきょろ見回していると、突然、レーラが走り出した。
「あっ!待って」
しかし、レーラは物凄いスピードで、フィンを置き去りにして走り去ってしまった。
「待ってくれ!」
大急ぎで後を追おうと走り始めたフィンはすぐに転んでしまった。
人の立ち入らない森に降り積もった雪は深く、すぐに足を取られてしまう。
みるみるうちに、レーラはフィンの視界から消えてしまった。
「……嘘だろ……?」
深い森の真ん中にフィンは一人、取り残されてしまった。
冷たい風が吹き抜け、辺りはふいに暗くなる。
太陽が雲に隠れてしまったのに違いない。
「……どうしよう……」
フィンはその場に座り込む。
まともに歩くことも出来ず、あたりは暗くなるばかり。雪もちらついてきた。
気温も急に下がりはじめた。
このままではまずい。
とにかく、レーラの足跡を追って、もと来た道を引き返さなければ。
「まずいな……吹雪になりそう」
ピリポは急に曇り始めた空を見上げて舌打ちをした。
フィンから離れて歩き出したものの、結局どこをどう歩いても苛立ちが募るばかりで、妙な焦りが彼女をいらいらさせるばかりだった。
吹雪になると、やっかいだった。
彼女にとっては生まれた時から慣れている吹雪など、とりたてて気にするものでもないが、あのソーナ族のか弱い少年にとっては命取りだ。
彼に何かあったら祖母に叱られるぐらいではすまない。
ピリポはフィンを置いて、一人で行動したことを後悔しはじめていた。
だいたい、なぜこんなに自分がいらついているのかが不思議だった。
姉の問題を一人で片付けたいのは確かだ。
人に迷惑をかけたくない。ましてや、何の関係も無いあの少年には。
でも、なにより嫌だったのは、自分がどんなに頑張っても持てぬ強い力をあの少年が持っていること、そして、その力だけが姉を救うことができることが、悔しくてどうにも仕方なかった。
それは、まるで自分が無力だということを、自分の力だけでは姉を救えないという現実を目の前に突きつけられているようでつらかった。
認めたくない。
自分の無力さを。愚かさを。弱さを。
だから、つい、関係の無いあの少年にやつあたりしてしまった。
探しにいこうか……?
ピリポは迷っていた。
きっと、今ごろどうしていいかわからなくておろおろしてるんじゃないか?
だけど、ああいう風に言ってしまった手前、今更どんな顔をして戻ればいいのか。
「……ん?」
その時、ピリポはこちらへ向かって走ってくる一頭のユクルを見つけた。
野生のユクルでないことは明らかだった。その背中には鞍が乗っている。
だが、乗っているのは鞍だけだ。人は乗っていない。
その背中の鞍には見覚えがあった。
「まさか」
嫌な予感がした。
ピリポは急いで、そのユクルに近づいていく。
「レーラ!」
それは間違いなくレーラだった。
そして、その背中にフィンの姿は無かった。
迷っている暇は無かった。
足が動かなかった。
一歩、歩みを進めるごとに、足はすっぽりと雪に埋まってしまう。
ふくらはぎの上まで埋もれてしまうと、足を抜くのがとても大変だった。
それは、フィンの体力をどんどん奪ってゆく。
雪はどんどん酷くなり、強い風も出てきた。
「……ピリポは太陽の沈む方向と反対に進めばいいっていったけど……太陽が隠れてしまったら、どっちに進めばいいんだよ……」
フィンは恨み言を言いつつも弱々しく笑った。
この場に居ないピリポに文句を言う気分にすらなれなかった。
体は冷え、とてもだるかった。
「だめだ……もう、動けないや……」
フィンはついに雪の上に倒れこむ。
こんなとき、体力を回復させる術があったはずだが、頭がぼんやりしていて思い出せなかった。
体をあたためる術も火をおこす術もあったはずなのに。
どうしても思い出せなかった。
「肝心なときに何も出来ないよ……僕ってやっぱり落ちこぼれなんだなあ……」
自分のみっともなさがあまりに情けなく、フィンは脱力して力なく笑う。
「馬鹿みたい……なにが紫紺の後継者だ……クー・ククルに選ばれた者だ……嘘ばっかり。やっぱり僕はこの程度だ……情けない……」
黒い木々の間から少しだけ見える暗灰色の空からは、とめどなく雪が落ちてくる。
目や鼻や口に入りとても不愉快だったが、今のフィンにはそれを払いのける気も起こらなかった。
なんだか眠くなってきた。
体が冷えて、うまく動けない。
このまま眠れば死ぬのだろうか……?
死ぬのは苦しいだろうか?
このまま眠れば、体が冷えていき、心臓はゆっくり止まるだろう。
だったらきっと苦しくない。眷属の牙にかかって痛い思いをして死ぬよりは何倍もましだ。
情けない死に方かもしれないが、それはそれでいいのかもしれない。
このまま、何も成さずにソーナへ戻っても、きっと待っているのは惨めなグレイリタイヤへの道だけだ。
「僕がこのまま死んだら……父さんはがっかりするだろうな……母さんは泣くかもしれない……ああ……でもシャーロッテは笑うかも……ほらやっぱりフィンはだめだって……イズニー先生はきっと、顔をしかめて溜息をつくんだ……」
もう、考えることすら嫌になってきていた。
このまま、雪に埋もれてしまえばいい。
それで、全部終わるなら。もう、悩まなくてすむなら。
フィンは目を閉じ、二度と醒めぬ深い眠りに自ら落ちようとしていた。
その時だ。
フィンの手に、チクリとした痛みが走った。
「何……?」
不快な痛みに目をあけたフィンはゆっくりと手を上に上げる。
見たこともない小さな生き物が、フィンの手にかじりついていた。
分厚い手袋をしており、既に冷え切って殆ど麻痺しているフィンの手に、その小さな生き物の牙はどんなに深く噛み付いても小さな傷しかつけられなかったが、眠ろうとしていたフィンを目覚めさせるには充分だった。
「……おい……離せよ」
手にかじりついている小さな生き物をフィンは引き剥がし、その顔が見えるように、両手で掴むと、よく見えるように目の前に持ってきた。
小さな生き物はじたばたと暴れていたが、フィンの目の前に来ると、小さなピンク色の舌を出して、フィンの鼻先をペロリと舐めた。
「なんだろ……これ」
見たことも無い生き物だった。
大きさは生まれてまもない子猫ほど。
全身真っ白で、まるで焼きたてのパンのようにふかふかした体を持っていた。
三角形の耳は大きく、猫か狐のようで、尻尾は猫のように長い。
それとは対照的に目と鼻は黒くて小さく、まるで豆のようだ。
顔は人のようで、動物というより子供みたいだった。
前髪のようにみえるたてがみらしきものがある。
ちょうど、猫の被り物を着た子供のようだ。
「お腹がすいてる……のかな?」
「クピー」
まるで笛のように聞こえる可愛い声でその生き物は鳴いた。
「確か、鞄の中にパンが入っていたな……」
肩にかけたままの鞄の中にまだ食べていないパンが入っていたのを思い出す。
しかし、それをこの生き物のために鞄の中からとってやる力はフィンにはもう、残ってなかった。
その時、鞄のあたりががさがさする感じがした。
首をゆっくりそちらへ向けると、そこには、もう一匹いた。
「なんだ……仲間がもう食べ物をみつけてたよ……」
手に持った不思議な生き物とそっくりのもう一匹が、すでにフィンの鞄を探り当て、中からパンを引っ張り出してクピピと満足げに鳴いていた。
もう一匹は全身真っ黒だった。
「お前もお食べ」
フィンは白いほうを離してやると、白いふわふわの生き物は、二本足ですっとたちあがり、よちよちと歩いてフィンの鞄のところへ行き、黒いのと一緒になってパンを食べ始めた。
「……よかったね……」
満足そうな顔で、フィンは笑った。
意識がすっと遠のいていく。
よかった。
今日一日ぐらいはあのこたちは飢えずにすむ。
━━━━━━━ 最後にいいことができてよかった。
そこまで考えて、フィンの意識は途切れた。




