11.「狂いし魂」
●【11.「狂いし魂」】
「おばあちゃん!姉さんがまた……」
「わかった。今行く」
ピリポに呼ばれ、イナウコタイはピリポと共に奥の部屋へ入ってゆく。
フィンもその後ろに続いた。
部屋の外にまで響く叫び声。
それは獣の吼え声のようにも聞こえるが、人間の、しかも少女の高い声。
ピリポたちと共に部屋に入ったフィンはその光景を見て立ち竦んだ。
ピリポそっくりの娘が、髪を振り乱して叫び、暴れまわっている。
部屋は酷く荒らされ、少女は柔らかな羽根枕を噛み裂いて、中の羽根をばら撒き、吼えていた。
ピリポは娘を羽交い絞めにすると、そのまま暴れる娘をベッドの上に押さえ込んだ。
フィンはこの状況にどうしていいのかわからず、見ているしかなかった。
「ピリカ姉さん。お願いだから暴れないで」
ピリポは悲痛な声で叫ぶ。
しかし、ピリカと呼ばれたピリポそっくりの娘は、歯を剥き出すと、自分を押さえつけるピリポの左腕に思い切り噛み付く。
ピリポは一瞬苦痛の表情を浮かべるが、気丈な声で叫ぶ。
「姉さん!少しの辛抱だから我慢して。おばあちゃん、早く!」
ピリポはそのまま、ピリポを押さえつける。
「うがああああああーっ!」
追い詰められた獣のような叫び。
痛ましい、悲しい咆哮が響く。
「ピリカや!大丈夫だよ。すぐに楽にしてあげるからね」
「うあぁぁーっ!」
イナウコタイは懐から取り出した護符をピリカの額に貼り付けようとした。
「がぁっ!」
しかし、ピリカはイナウコタイの手に噛み付く。
「うっ……」
噛み付かれたイナウコタイの右手から血が溢れる。
「姉さん。おばあちゃんの手を離して!」
ピリポはピリカを押さえる手に力を込める。
「大丈夫だよ、ピリポ」
イナウコタイはそう言うと、ピリカに右手を噛み付かせたまま、無事な方の左手で護符を拾い、ピリカの額に貼り付けた。
「ぐぁ!」
ピリカの目がカッと見開かれ、その体は一瞬ビクリと大きく跳ねる。
しかし、次の瞬間にはピリカは大人しくなっていた。
「……ふぅ……」
イナウコタイは疲れたようにその場に座り込み、ピリポは大人しくなったピリカをベッドの上に横たえ、彼女が引き裂いてぼろぼろになってしまった毛布をかけてやった。
「今月はまだ、眷属の心臓を二つしか食べさせてない……でも、だんだん暴れる頻度が増えてきた……どうしたらいいの……」
ピリポは疲れたようにイナウコタイに言う。
「時間がたつほどだんだん効かなくなって来るのさ……いつかは与えても、与えても暴れるようになるだろうね……」
イナウコタイは小さな声でそう呟いた。
綺麗に束ねてあった純白の髪が乱れ、イナウコタイはさきほどより年老いて見えた。
「……あ……あの」
フィンはおずおずと声をかけた。
「あんたなんでここにいる!見世物じゃない!あっちへいって」
ピリポはフィンをキッと睨みつけた。
まだ気が立っているらしかった。
「ピリポ。そんな言い方はおよし……すまなかったね坊や。みっともないところ見せちまって」
イナウコタイは取り繕うような笑顔をフィンに向けたが、流石に疲れているのか、肩で大きく息をしている。
「……いえ……ちょっと驚いただけです……それより、その怪我……」
「ああ、大丈夫だよ。このくらい」
ピリポは左腕を、イナウコタイは右手の甲からひどく血を流している。
「治療しましょう。僕に任せてください」
フィンはそう言うと、まずイナウコタイの右手に手を当てた。
「全てを癒す光よ……」
痛みは瞬時に引き、深い噛み傷がみるみる塞がっていく。
「ほう……流石はスペルマスターだ。綺麗に傷が治っていくよ」
イナウコタイは満足そうに笑う。
フィンは次にピリポの左腕に触れようとした。
「私はいい。自分で治す」
ピリポはフィンに触れられるのを嫌がり、逃げようとした。
「ピリポ。人の好意は素直に受けるものだよ。それに傷が化膿して余計に酷くなったら困るのはお前なんだよ?」
「でも……」
「あたしの言うことが聞けないというのかい?ピリポ」
「……わかった」
ピリポはフィンにしぶしぶ左腕を差し出した。
「さて、何から話せばいいかねえ……」
一時間後、フィンはイナウコタイ、そしてピリポと共にテーブルを囲んでいた。
散らかっていた部屋はすっかり片付けられ、ピリカは大人しくベッドで眠っている。
テーブルには三人分の銀薄荷茶が湯気を立てていた。
「おばあちゃん……なんでこの子にあの話をしなきゃいけないの?」
ピリポは不満そうな顔をしている。
「いいからお前はだまっておいで。もともとはお前の起こした禍なんだよ」
「……それはそうだけれど……」
ピリポはしばらくぶつぶつ言っていたが、やがてむすっとした表情で黙り込んでしまった。
「驚いたろう?坊や」
「……す……少し」
「あれは、ピリカサヌと言ってピリポの双子の姉だ。一ヶ月ほど前に、不幸な災難に逢ってしまってね……」
「災難?」
「ああ。かわいそうなあの子は、一ヶ月前、眷属に襲われて死んだのさ」
「……し……死んだって……」
フィンは驚く。
では、先ほど暴れていた彼女はいったい何だったのか?
「驚くのも無理はない。あの子は今、ある秘法によって無理やり生かされているに過ぎないのさ。いわば生ける屍……居てはならない存在だ」
イナウコタイはそう言ってからピリポを横目でちらりと見る。
ピリポはばつが悪そうに俯いた。
「秘法……?」
「冷たい血という蘇生の秘法さ」
「冷たい血ってまさか……」
フィンの顔に驚きの色が浮かぶ。
「おや、知ってるのかい?」
イナウコタイは少し驚いたようだ。
「たぶん。僕が習ったもので間違いなければ。もともとはソーナの古代魔道の一つですよね?確か、太古に失われたと言われる原始的な秘法だったはず。竜王の血を用いて一時的に死者を蘇生させる法ではないですか?」
「そうだよ。坊や……確かにそれさ。でも、ソーナに伝わる原型のものと違って、ネッカラ族が受け継いできたものは自分たちが使いやすくしたものだけど……しかし、坊やは物知りだね」
「つい最近習ったので覚えていました」
「なるほど」
「確か、ソーナで使われていた魔道の一つがネッカラ族に伝えられたと聞いています。ただし、魔力を持たぬネッカラ族は、竜王の血の代用として竜王ユズリの古い鱗を使ったと……」
「ああ。ユズリ様の古い鱗……つまり、眷属の血をね」
「でも……」
フィンはいぶかしげな顔をした。
「あれは術をかけられた死者に危険な副作用が現れるのでソーナでは封印されています。現在では蘇生術自体が禁止されてますし……」
━━━━━━━ 竜王の血の効力が切れたとき、死者は狂い、凶暴になる。
「ああ。それはあたしたちの一族でも同じことだ。だから随分昔に禁止されたのさ……だが……」
イナウコタイは苦々しい顔をする。
「あたしもまさかあれが使われるとは思わなかった……忌々しいカムラ・カユルめが……あたしの大事な孫たちによくも……」
「ごめんなさい……私が……私が愚かだったばっかりに……」
ピリポはたまらず声を上げる。
「お前のやったことは確かにしてはならないことだ。でも、お前の気持ちもわかる……だからあたしはこれ以上はお前を責めない……」
「うん……おばあちゃん」
ピリポは悩んだ挙句、ピリカのことを祖母とレナウの二人に話したのだった。
イナウコタイは初め、禁断の秘法を使ってしまったピリポのことをひどく叱ったが、カムラ・カユルに半ばそそのかされたこと、そしてピリカのことを思っての過ちと知り、それ以上はピリポを叱らなかった。
なによりもレナウがイナウコタイにピリポを叱らないで欲しいと申し出たことが大きかった。
その経緯をすべて聞かされたフィンもピリポに同情した。
「たとえ僕でも同じことをすると思う……」
ピリポは何も言わずフィンを見つめていた。
その瞳は少しだけ寂しげだった。
「さて……坊や。あたしがなんで坊やにこんな話をしたかわかるかい?」
「……いえ……」
「あたしたちに協力して欲しいんだよ」
「えっ?ぼ……僕に?」
突然そう言われてフィンは目を白黒させた。
「そう。かわいそうなあたしたちのピリカが安らかに眠れるように、ソーナ族である坊やの力が必要なんだよ。今のあたしたちではピリカを再び安らかな眠りにつかせることはできないんだ……でも、坊やの力があれば、それができるんだ」
「僕の……力?」
イナウコタイは目を細め、微笑むようにフィンを見つめたのだった。




