赤の巫女②
(一組増えて、アリスさんの滞在期間が延びて、コルメンスさんで。まさか? そんなはず……でも、ドラマとかだと寂しさに付け込まれてとか……)
リツカはずっと、その事だけが不安だった。離れていたら、心に穴が空いてしまう。たった数日会話をしないだけで、リツカの心は空虚だった。アルレスィアもそうだろう。その穴を埋められる人がアルレスィアの目の前に現れたら? リツカは、気が気ではなかった。
そして最大の不幸は――リツカはコルメンスとエルヴィエールの仲を知らない事だろう。
「はぁ……! はぁ……!」
体の疲れからではなく不安から、リツカの息が上がっていく。走るスピードが落ちていっているのは、アルレスィアの幸せがそれだったらという想いからか。
(傍に居られれば…………それだけで……)
集落が見えたあたりで、リツカの足が完全に止まった。しばらく下を見て、唇を噛む。
「ここまで来て…………想いを伝える前に、諦めるのは、嫌だよね」
再び前を見て、走り出す。未だに想いが通じ合っている証拠を自分の目で見ているというのに、勘違いしてしまったリツカを止められる者がここには居ない。
「えっと、刀は……あ、核樹の前か……。巫女服に着替え、あ、それも核樹の……」
一旦戻って着替えるか? と考えるが、リツカは自分の手を見る。
(いけるかな)
「リツカ様……!?」
「あ、オルテさん」
「どうして此処に……いえ、それよりもその御姿は……」
「あの、剣を一本くれませんか。急いで王都に行かないと」
「は、はぁ」
初めて会った時も露出の多い服で目のやり場に困ったものだが、制服の短いスカートもまた、目のやり場に困るものだった。オルテはおどおどとしながら道場に戻ろうとしている。
「あ、その腰ので大丈夫です」
「しかしこれは、訓練用の」
「大丈夫です。一応の、護身用ですから」
「分かりました……」
アルレスィアを守る為ならまだしも、自分を守る為の護身用にあの剣は使えないと、リツカは刃毀れした剣を受け取った。
「それじゃあ――」
リツカは大きく深呼吸する。出来るか不安だが、今は一分一秒が惜しい。やるしかない。
「私に強き――力を!!」
巫女服はない。しかしブレスレットの核樹がリツカの想いを世界へと現出させた。オルイグナスは無理だったはずだが、成長したリツカには可能だったようだ。
「いける……!」
活歩にて、一瞬で集落の外へと飛び出す。その速度は馬を越え、船を越える。陸を走る戦闘機の如き速度で、走りならば二日は掛かる距離を駆け抜けていく。
(いそげ、いそげ、いそげ、いそ――ああ、もう……こんな時に)
急いでいるリツカの前方で、悪意が燻っている。【フリューゲル・コマリフラス】の恩恵は、もう終わっているらしい。
しかしそれ以上の何かが、リツカの第六感を刺激していた。
王都では、一世一代の大イベントが行われようとしていた。”巫女”凱旋に続き、二つの結婚式。世界各国の要人まで招待され、王国は過去数百年遡っても類を見ない程に盛り上がっている。
そんな王都の南門で、一人の少女が丘の上を見ていた。
「あ、帰って来た!」
丘の上から馬車が降りてきている。少女を見つけた男性が大きく手を振っているのが見えた。
「クランナー! 帰ったよー!」
護衛をつれ、いつもの交易に向かっていたクランナの父が帰って来た。今日のイベントの来場者達がクスクスと笑いながらクランナを見ている。
(もう……恥ずかしいよ……)
検問で少し苛立っていた来場者達も、父と娘の微笑ましい光景に和んでいる。
そんな日常を引き裂く悲鳴が、丘の上から上がった。
「きゃー!!」
護衛の冒険者が身構えるが、一歩遅かった。丘の上から飛び降りたホルスターンのマリスタザリアが、荷馬車目掛けて落ちてきている。もう――間に合わない。
「お父」
クランナが悲痛な表情へとなっていく。今日くらいは休むようにと母と一緒に昨日父を止めた。なのに行ってしまって、今マリスタザリアに襲われようとしている。
クランナは思い出していた。この世界の日常はこれなのだ。簡単に命が散ってしまう。だけど思い出したのは、そちらではない。
「赤い……」
クランナは父を呼ぶのを止め、それを見ていた。
死を覚悟したクランナの父や護衛、回りの者達。だが、赤い何かがマリスタザリアの背を蹴った。
苦痛の声を上げる事すら出来ず、マリスタザリアは丘から投げ出され地面に向かって落ちていっている。
だが恐怖は止まらなかった。荷馬車の馬がマリスタザリアへとなってしまったのだ。変質するやいなや、クランナ父に前蹴りをくらわせようとしている。馬の蹴りを受ければ一溜りもない。
だがここでも、赤い何かはクランナ父の前に躍り出て、馬の蹴り足を掴み、ホルスターンと同じ方向に投げた。
「あ、貴女は――」
「見覚えが……あ、クランナちゃんの」
短い邂逅を終え、赤い少女は落ちていくニ匹のマリスタザリアに向かって加速する。剣を抜きニ匹纏めて地面に――串刺しにした。
「リツ――」
「――シッ!!」
絶命したマリスタザリア二匹には目もくれず、赤の少女はクランナに向け剣を投げる。もはや悲鳴を上げる事も困惑する事も許されない南門前で、赤い閃光だけが動いていた。
「リツカ様!?」
クランナの上を剣が通り抜けると、クランナの影から出てきたマリスタザリアの頭が吹き飛んだ。
「え――?」
「ごめん、説明は後ね。まだまだ出てくる」
いつの間にかクランナの背後に居たリツカが、投げたはずの剣を掴んでいた。そして再び剣を投擲する。今度は東側。検問を受けるために並んでいた人達の横に、ニ匹現れる。その内一匹は剣により心臓を貫かれた。もう一匹を滅するためにリツカは空中で剣を掴み首に向かって振り下ろす。だがそこで、粗悪な剣は折れてしまった。
辛うじて生き残ったマリスタザリアは、リツカに向け拳を振りぬく。どうやら魔法を纏っているらしく、”風”が轟音を立てていた。
「――シッ!!」
パンッと空気が弾ける音が起こり、マリスタザリアの拳から魔法が消し飛ぶ。その事でマリスタザリアの勢いが止まる事はなく、もう片方の腕を振るおうとしたが、リツカの手がその拳に触れる。
そして力は受け流され、マリスタザリアは自身の力で体勢を崩し倒れた。
「借りますよ」
門番から槍を奪い取り、倒れたマリスタザリアの脳幹を突き刺す。ビクン、ビクンと体を震わせたマリスタザリアは、絶命した。
「ここには、もう居ませんね。門番さん。防衛班に連絡して、南門に三人程護衛を。残りは北と東です」
「え、は……ハッ!」
リツカが簡単に命令を出し、自身は東門に視線を向ける。東に二つ、北に一つ、西に一つ。西と北は誰かが戦闘中で時間的余裕がある。しかし東は、勇士の者が応戦している状況だ。
「リツカ様!」
クランナの喜びを含んだ呼び声に手を振って応え、リツカは消えた。
「あれが……」
「赤の、”巫女”様……」
初めて見た者達は、絶命した五つのマリスタザリアを見る。不思議と恐怖はなく、リツカの華麗で鮮烈な戦いぶりに、見惚れていた。
東ではマリスタザリアにより怪我人が出ていた。死者は居ないが、盾役も限界らしい。恐怖が場を支配し、更なるマリスタザリアを呼ぶ。何より、影から出てくる者や魔法を使う者まで居る。明らかに、自然発生ではない。
「もう駄目だ……」
諦めが声に出てしまった。それに呼応するように、盾が消える。絶望に落ちた者達を、マリスタザリアは舌なめずりしながら見ている。誰から殺すのが楽しいか、吟味しているようにも見える。
最初に目をつけたのは、子供を抱き締め震える女性だ。
「や、やめろ……!」
血塗れで倒れている男が、頑張って立ち上がろうとする。その者は昔、港でリツカ達と出会った者達だ。リツカ達が守った国を維持する為に奮闘したが、影から出てきたマリスタザリアによって撃破されてしまったのだ。
「グフ」
芋虫のように這い蹲る冒険者を見て、マリスタザリアは嗤った。何も出来ずに倒れている男を嘲笑うように、女性に手を伸ばし続けている。
「……?」
だが、マリスタザリアの手は一向に女性に届かない。倒れた男から女性に視線を戻したマリスタザリアが見たのは、腕がなくなり、血を吹いている自分の体だった。
「鍛治屋さんが開いてて良かった」
剣を一本調達したリツカがマリスタザリアの前に立っている。
「……」
誰とも知れない羽虫が、自分の手をやったのか? とマリスタザリアは怒りに顔を歪めていく。その周りでいつの間にか絶命していたマリスタザリア達にも気付かずに、力の差を量れずに殴りかかった。そして、何が起きたか分からないままマリスタザリアの首は跳んだ。
「何で……ここに」
「医療班を呼んでます。もう暫く頑張って下さい」
「……また、助けられました」
「貴方達が、助けたんですよ」
リツカはそれだけ告げると、北に向かって走った。一歩で数十メートル進むリツカの姿は一瞬で見えなくなってしまう。気絶してしまった冒険者達は、最後までその後姿を見ることが出来なかった。