赤の巫女
リツカは家まで一直線に向かっている。途中車を追い抜かしたりと、明らかに人の物ではない力を発揮しているように感じる場面があった。
体のだるさはなく、絶好調だ。多分もう、半分以上人ではなくなっているのだろう。
家についたリツカは、息切れする事なく玄関を潜った。
「……ただいま帰りました」
どう言おうか迷って、リツカは「ただいま」と言った。ここが帰るべき家なのは、向こうに行ってからも変わらない。この世界がリツカの生きた場所で、帰りを待つ人たちが居るのだから。
「おかえり、立花。その様子だと」
「はい。合図が、ありました」
「そう……」
十花がリツカの部屋に向かい、荷物を持ってくる。その間に、武人と壱花、そして七花まで玄関にやってきた。
「聞いたわ。立花……」
「七花さんにも、お世話になりました。七花さんがあの時”森”に連れて行ってくれなかったら、きっと今の私はありません」
「んーん。私の方が、お礼言いたいよ」
リツカから責められた事はない。でも七花はずっと後悔していた。その気持ちを飲み込んで、リツカの笑顔を見る。やっぱり、自分よりもずっと相応しいと感じてしまう。六花の血が、そう言っているのだろう。
十花から荷物を受け取り、リツカは頭を下げた。
「長い間、お世話になりました」
「…………もし、帰ってこれたら、ちゃんと顔を見せないね」
「その時はアリス、さんだっけ、一緒に来て。挨拶したいし」
「体には気をつけるんですよ」
「私達の子供、見せたかったな……」
四人と順番に抱き合う。永遠の別れなのだが、そういった雰囲気をお互いに出さずに見送っている。最後の最後まで、リツカの事を想う。
「別れじゃないから、さようならなんて言わないでね」
「はい……。お母さん、お父さん、お祖母さん七花さん。今まで、ありがとうございました」
長く、長く頭を下げる。そして顔を上げ、涙を拭ったリツカは告げる。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい」
リツカの旅立ちを、四人で見送る。生きる世界は違っても、親子の絆は途切れない。母が子を想い、子が母を想う。その事に世界の壁の、なんと薄いことか。
寂しいし、辛い。今すぐにでも止めたい。だけど四人は、リツカが見えなくなるまで手を振った。リツカは真っ直ぐ”森”に向かっている。十花達はリツカの幸せだけを願い、笑顔を見せ続けた。
”神の森”に入ったリツカは、”森”もまた悲しんでいるのを感じ取った。”神の森”ともお別れだ。最後に核樹とも話をしておきたいリツカは、急いで奥へと向かう。もう、自分には時間がない事を感じ取ったからだ。
『来たね』
「その前に、”神の森”とも話をしたいです」
『ああ、構わないよ』
リツカが核樹の根に座る。ただ座っただけで、核樹は子供の様に喜んだ。長い歴史の中で、たった十年程ではあったが、リツカとの出会いと過ごした時間は永遠にも感じられたことだろう。
「神さまに近くなってるからかな。きみを強く感じる」
お互い、別れを惜しんでいる。”神林”に入れば、”神の森”の核樹もリツカ達を感じられる。だけど、傍でないと寂しさを感じるものだ。
リツカがそれに耐えられず、アルレスィアの傍を望んだように。
『アルレスィアは感じないのかい?』
「”森”の外はダメみたいです」
私が尋ねるまでもなく、すでに試していたらしい。
『そうか。急いだほうが良い。間に合わないからね』
「? はい、分かりました」
核樹を撫で、私と対面する。あの時を思い出す。丘の上で、旅に出ると誓ったあの時を。
『今一度確認しよう。きみはこれから選ばなければいけない。ここに残るか。向こうに行くかだ。そしてそれは、何度も行えるものではない。次が最後だろう。もう二度と、此方には戻れない』
「理解しています」
真っ直ぐと私を見ている。良い覚悟と気迫だ。
『もう一度異世界にいけるかどうかも、向こうできみが固着出来るかも、やってみないと分からない。きみが一番知っているね。私は何でも出来る訳ではない。出来ない事の方が多い』
「もし、出来なければ?」
『こちらで固着するしかない。そうすれば二度と、死ぬまで私と会う事はない』
そうなればリツカは再び日常を送るしかない。夢は覚め、二度と訪れない奇跡に想いを馳せながら、アルレスィアと”森”の中でだけの交流を続けるしかない。
アルレスィアはそれを望んでいるだろう。リツカが辛い別れをしてまで、一緒には居たくないはずだ。それはあくまで、本音に蓋をしてだけど。
『仮に向こうに行けたとしても、固着出来なかったらきみは――明日には死んでしまう』
向こうの世界で、アルレスィアと最後の夜を過ごす事しか出来ないだろう。
きっとリツカはそれを一番恐れている。アルレスィアの目の前で死ぬ事。アルレスィアを残して逝く事。アルレスィアに自分を刻む込む事にはなるが、そんな傷は望んでいない。
『それでも行くかい』
アルレスィアは内心望んでいる。リツカとの再会を。自分が此方に行けるのならば、そうしたいくらいだろう。しかしアルレスィアは背負うものが多すぎる。アルレスィアが転移するという事は、向こうの世界の全てを捨てるという事だ。
魔法を使える方が向こうにいなければ、世界を見続ける事は出来ない。
「……絶対に成功させます」
『ご家族や友人と一生離れ離れになる事に、後悔は?』
「あります。だけど、私は…………アリスさんの傍で、一生を終えたい」
リツカの覚悟は揺るがない。後悔もあれば、心残りもあるが、アルレスィアの傍が良いと言う。リツカの人生で最大の我侭。そしてきっとこれが、最初で最後なのだろう。
『良いだろう。さぁ』
私は手を差し伸べる。
『あの時は無理矢理だったけれど、今度は優しく連れて行ってあげるよ』
「失敗しないで下さいよ」
『どうだろうね。私は失敗ばかりだったからなぁ』
「ちょっと……こんな時は嘘でも」
最後まで聞かずに、湖に飛び込む。ある意味私も、きみ達二人の親なんだから。似てる所があるんだ。例えばそう。嘘をついても良い所で素直に言ったりね。
A,C, 27/05/09
どんどんとリツカは水底に沈んでいく。意識を手放し、体から力が抜けていっている。
(…………)
『リツカ』
「……!?」
試しに呼んでみると、リツカが目を開けた。そして勢い良く湖面に向かって行く。
「ぷはっ」
けほっけほっと咳き込み、リツカは湖から上がる。荷物は既に上げているが、置いてきてしまった物があるかもしれない。リツカの事で手一杯だったから、注意出来なかった。
『魔力の蓋は開けておいたよ。暫くは気分が悪くなるだろう』
「はい……気分、悪いです」
そう言いながらもリツカは魔力を練る。そして少しだけ発露してみた。しっかりと魔力色が見えている。少し赤が強めの桃色だ。
「魔力が見えてて、私の体が透けてないって事は……」
『まだ油断は出来ないけど、とりあえずは成功みたいだね』
正直な話、私という存在よりも謎が多いリツカとアルレスィアに関しては、私も分からない事ばかりなんだ。
それはもう、混乱したまま行動してしまうくらいに。
『そういえば、アルレスィアの結婚式だけどね』
「ライゼさんのでしょう。私も行けるんですかね?」
『もう一組急遽増えたんだ』
「え。そうなんですか?」
(えっと、アリスさんの結婚式って言ってたよね、神さま。え? ……ええ?)
転移後の混乱ゆえか、それとも燻っていた不安に火がついてしまったのか、リツカがもぞりと立ち上がり、王都の方を見ている。すでにお互い感じ取れているはずだが、アルレスィアも混乱の中に居て交信出来ていない。
リツカが此方に来る訳がないと思っているのだから、仕方ないが。
『急いだ方が良いんじゃないかな。コルメンスと』
「え? 嘘」
『リツカ、まだ途中――って、もう見えないな。私は出られないし、どうしたものか』
私がちゃんと説明しようとしたのだけど、リツカの早とちりが出てしまった。もう、”森”の中腹まで行っている。今のリツカには、私でも追いつけない。
『まぁ、見た方が早いか』
私はとりあえず、流れに身を任せることにした。リツカの固着を注意深く見る必要があるから、追いかける暇が作れそうにないというのもある。何より――少し面白そうだ。