リツカの想い⑮
A,D, 2113/05/08
「立花。どうしたの? 朝よ」
朝になっても起きて来ないリツカに、十花が声を掛ける。眠る事が出来なかったリツカが、ちゃんとベッドで寝ているのに安堵はしている。しかし、ここまで起きないのはおかしい。
「立花?」
リツカの体を揺らし、顔を見る。頬を紅潮させているが、青ざめている。息が荒いが、呼吸出来ているか怪しい。
「立花……?」
触れたリツカのデコは、異常な冷たさをしている。首筋に触れ脈を取るが、ゆっくりになっていく。
「武……お、お母さん!」
「どうしたの、十花」
武人を呼ぼうとしたが、もう基地に戻っていた事を思い出し壱花を呼ぶ。
「立花が!!」
下手に動かしては何があるか分からないと、リツカの横で狼狽している十花の姿を見て、壱花が急いでリツカを見る。
「風邪には、見えないわ。病院に行きましょう。電話をしてくるから、リツカを温めなさい」
「う、うん」
少し幼くなったような十花に、壱花が命令を出す。リツカがこんなに弱った姿を、二人は見た事がないのだ。十花は何をしたら良いのか分からず、布団の上からリツカを抱き締めた。
病院で待っている二人に武人が近づいてくる。軍服のままなので、仕事を抜け出してきたのだろう。
「十花さん、お義母さん、立花は……」
「検査待ちです。貴方は十花に付いてあげなさい」
「はい……」
項垂れ、顔を手で覆った十花に、武人が寄り添う。
「ずっと、不調だったけど……何でこんなになるまで……」
リツカは普通だった。眠れなかったり気分が悪かったりはあったが、精密検査で異常が無い以上病院に行っても仕方がないと、様子を見るに留めていた。
だけど、昨夜までは問題なかった。不調だけど、十花から勝ち取ったからか、やる気に満ちていた。しかし学校ではなく”森”に行った時から、迷っているようだった。
「昨日学校に行くと言って”森”に入った後、何かあったのかしらね」
「……」
「十花、貴女と戦った時は普通だったのね?」
「はい……強かったです……」
「そこまでして勝ったのに、昨晩は別のことを考えてたわね」
「迷いない一撃でした……。なのに、その事に集中出来てなかった……」
リツカが遠くに行くかどうかは、もはや問題ではない。あの様子では、生きるか死ぬか――。
三人がその考えに至った時、医者がやって来た。
「どうぞ、こちらへ」
三人が呼ばれ、リツカの居る病室に入る。入院かと思ったが、そういった雰囲気ではないようだ。
「結論から話しますと、健康体です」
「何を……こんなに苦しんで」
「武人さん」
「す、すみません……」
医者に掴みかかる勢いだった武人を壱花が止める。十花はリツカの傍で、頬を撫でている。頬だけは、熱を感じる。しかしそれ以外の所は冷たい。
「どうしようも出来ないと?」
「入院をして頂き、こちらで様子を見たいのですが」
この病院は”巫女”の事情を知る機関の一つだ。ここに預ける事に異論はない。しかし十花は、顔を顰める。
「……家でも、良いのでしょう」
「十花……それで、こうなったのよ?」
医者に診て貰っても意味がないと、急変したら病院に行くとリツカを見ていた。だけど結果は、自分達も気付かずにこうなってしまった。
「お母さんでも気付かなかったのよ!? ここで診て貰っても、変わらないでしょう!」
「十花、失礼でしょう。それに、ここなら何かあった時の対処がしやすい」
「でも……」
”巫女”について理解がある病院とはいえ、今のリツカを任せられるとは十花には思えなかった。十花も壱花も、リツカの事を第一に考えている。しかし十花は今、冷静な判断が出来ないでいる。壱花と武人はどうにか説得しようとしているが、病院に居ても仕方ないという言葉を強く否定出来ない。
「でもじゃありま」
「帰り、ます」
「二人共、立花が起きました!」
二人の喧嘩で起きてしまったのか、リツカがもぞりと体を起こした。弱弱しく力のない動きだが、不思議と危うさはない。
リツカは自分の体を見ている。今日の異常で、漸く自分の不調がどういった物か理解したらしい。もし今リツカが魔法を使えたら、自分の体を見ただけで理解出来た事だろう。今リツカの体は殆どが、透けているのだから。
存在が希薄になっている。それもまた、十花が焦燥を覚える原因だった。
「今日しか、ないんです」
「立花……」
今にも消えそうな程儚げなのに、リツカの目だけは煌々と光っているように感じてしまう。
「大丈夫、です。今日一日は大丈夫って、聞いてますから」
「誰に……?」
「神さま、です」
信じて貰えないと思いながら、リツカは答える。七花ならば信じたかもしれない。実際にリツカが連れ去られようとしているのを見ている。
「……」
「その神さまの所為で、そうなってるんじゃないの……?」
十花はリツカの言葉を信じている。しかし、だから余計に怒りも出てくるのだ。リツカの声音から、神さまという者は信頼に足る人物なのだと理解出来る。しかし、神さまが夢の中にリツカを連れて行ったからこうなったのではないのか? と、十花は訝っている。
(巫女の事は聞いてますが、怪しい宗教にしか見えませんね。こんなに真剣に話す事?)
医者が少し離れた所で会話を聞いている。世界に必要な存在という事は聞いているが、神様だ何だと言い始めると怪しさしかない。こういった侮りが医者達にある為、十花はこの病院を好きになれないらしい。
「明日、どうなるの? 立花」
「決める、だけです。帰ったら話が、あります」
「そう……分かったわ。先生、今日は帰ります」
「はぁ……。何かありましたら、またお越し下さい」
壱花が医者に頭を下げる。医者がどう思っていても、リツカが嘘をついたり、幻を見たりといった事はないと解っている。もし幻であったのなら、ここまで迫真な言葉を発する事が出来るはずがない。
武人も一緒に帰って来た。一度居間に集まり、リツカの話を聞く。
「それで、話って?」
十花が有無を言わさずに尋ねる。武人はリツカを寝かせてからでも、と思っているが、それを提案出来る雰囲気ではない。
「明日、決めないと……私は死んでしまいます」
「どういう事か、ちゃんと話しなさい」
昔からリツカは、自身の生き死にに頓着はなかった。自分が死ねば、家族や友人が悲しむと知っていても、それが必然であったなら事実として話す。本当は死にたくないと、もっと長く生きたいと思っているのに、他人事として話せるのだ。
それが十花には、悲しかった。
「こっちに残るか、向こうに行くかしないと、死んでしまうんです」
リツカが説明する。自分は世界から剥がれてしまったという事も。それは荒唐無稽な話だが、リツカの瞳と声音が真実と言っている。
「……当然、こっちに残るのよね?」
生きるには、どちらかを選ばなければいけない。ならばリツカはこちらに残るべきだと、十花はリツカの肩に手を置く。
「……」
「立花……!」
リツカの表情を見て、十花は置いた手に力を篭める。もう離さないといわんばかりの力だ。リツカと違い、十花には力がある。魔法がないリツカでは振り解けない。
「次はいつ帰ってくるんだい?」
「え?」
雰囲気を変えるためか、武人が軽く聞いてみる。その質問はリツカ達の予想外の物で、武人以外の三人は首を傾げた。
「せめて誕生日くらいはこっちで過ごして欲しいんだ。ダメかな?」
武人はどうやら、行き来出来ると思っているようだ。
一度は行き来出来た。今回も、向こうに住みつつ、リツカの誕生日くらいはこちらで祝いたいと言っている。
もしそれが可能なら、ここまで場が荒れる事はないと自覚しつつも、武人は一縷の望みに賭けるのだった。
「今度は、もう帰ってこれません」
「……立花、冗談は」
「どっちに永住するか、です」
「そんなの、こっちに決まって……!」
「武人さん、十花」
十花と一緒に、リツカを行かせまいとする。しかし二人は、壱花の声でリツカから手を離し、項垂れるのだった。
「立花はもう、決めてるのね」
「はい……っ」
リツカだって、生半可な覚悟でこの場を設けた訳ではない。もし残るつもりなら最初から、こんな話し合いは必要ない。
夢は夢のまま。リツカの体調は次第に良くなり、リツカは一生”巫女”宣言の通りに森通いを続けながら一生を終えたはずだ。
こんな場を設ける事もなく、誰も知らずに。
「何で……」
武人と十花が掠れ声で呟く。自分達のたった一人の子供だ。その子が、永遠の別れを告げてくる。その理由を尋ねる。
「私だって、行き来出来るのなら、そうしたいです。お母さんもお父さんも、お祖母さんも……私の掛替えの無い家族なんです!! どっちかを選ぶなんて……本当はしたくない……っ!!!」
リツカが、こちらに帰って来て初めて声を張る。それは小さい怒りだった。どっちかしか選べない事への、怒り。何故? という言葉は、リツカが一番言いたいのだ。
「仕方ないとか、諦めたとか、そんなんじゃないんです!!」
「立花……?」
どっちかしか選べないから、自分の欲望のままに選ぶしかなかった。そんな気持ちで言っているのではない。リツカは涙を流しながら、三人に話す。
「お母さんはいつも私の心配してくれて……それが不器用で、解りづらかった……。でも、今の私があるのはお母さんのお陰で……。私、お母さんが好き……もっと色々、教えて欲しい……! もっとお母さんと、過ごしたいよ!! 買い物とか、映画とか……普通の親子っていうの、したいよ……!! お父さんはお母さんに対して弱いけど、ここぞって時は頼りになるし……私達の事一番で…………向こうで、男の人に会う度に、お父さんと比べて……お父さんの良さ、やっと分かったの。だから、最後まで見て欲しかった……傍で、私の事っ!! お祖母さんは私のやりたい事、助けてくれてたの知ってる……! お母さんとお父さん、過保護だから……お祖母さんの口添えで私が我侭出来てたの、知ってる……!! 神さまに聞いたの……お祖母さんが一番苦労して、今の”巫女”を作ったって……私達が知らない所で、一番苦労して、私を見守って、私が一番幸せになれるようにしてたの、知ってる!!!」
リツカの言葉は掠れていたけれど、三人はちゃんと聞き取っていた。だから、流れる涙を止める事が出来なかった。
リツカからここまで想われていた。それは知っていた。三人を誰よりも信頼し、身を任せる。そんな事、リツカは他の者にはしない。三人が選んだ事は疑う事なくやっていた。それも全ては、三人のことを想ってのことだ。
リツカは三人を家族として愛している。それは深すぎるほどだ。しかしそれを、声に出したことはない。きっと、こんな事にならなければ一生聞けなかった慟哭だろう。
「でも、私……知っちゃったの……!! 出会ったの……! アリスさんと、出会ったの……!!」
「アリス……それが……夢の子の、名前?」
「……はい。私が、家族以外で愛した……私の全てを捧げたいって想った、人です」
初めて聞いた想い人の名前。そして、リツカから告げられた絶大なる信頼。三人はもう、何も言えなかった。
普通の子供の発言なら、戯言とか、若気の至りとか、言えた。だけどリツカに関しては違う。
椿と仲良くなったという事自体、リツカにしては珍しい事だったのに、自分の全てと躊躇なく言えるのは、アルレスィア以外には居ない。
家族を誰よりも愛しているリツカが、それ以上に愛しているという『アリス』。もはや、ここで止める事は……リツカの死だ。
「アリスさんを知らなかったら、迷わなかった……。でも私は…………アリスさんと、生きたい……っ」
女の子との恋愛。それが向こうの世界でも難しいのは薄っすらと理解した。でもリツカは選び、きっと彼女もそれを喜ぶ。リツカから感じた『アリス』という少女は、リツカを誰よりも深く愛してくれる。
涙を拭い、一拍置く。どんなに拭っても、流れる涙を止められない。
「……ねぇ、立花?」
「……はい」
言葉が途切れ途切れになる。
「手紙くらい、頂戴ね……」
十花が言えるのは、それくらいだった。リツカから言われるまでもなく、十花達はリツカの幸せを願っている。リツカの幸せが『アリス』の傍というのなら、娘の旅立ちを止められるはずがなかった。
「何があっても……送るよ……。お母さん達に絶対に、届けるよ……」
十花がリツカを抱き締める。もう言葉は、必要ない。三人はただただリツカを抱き締めた。
その後、四人で町を歩いた。遊園地どころか、大きなショッピグモールすらない小さな隔離島だが、三人で散歩する事すら初めての事だ。最後に、家族らしい事をしようとしたのだ。
河川敷でちょっとピクニック気分でお弁当なんかを食べる。最後と思うと涙が出そうになるが、四人は笑顔でいた。
作ったものではない本物の笑顔は、通行人達から見ても微笑ましく見えたそうだ。