リツカの想い⑭
「なんでこんなこと」
武人が十花の背に声を掛ける。
「立花の覚悟、みたでしょ。私は負けた。絶対に負けたくなかったのに」
十花の声が潤んでいる。門下生達は空気を読み、道場の外に出て行った。十花の涙を見てはいけないと、感じたからだ。
「立花は勝ち取ったのよ。私は手放してしまった」
「だからって」
六花のルールに沿っているとはいえ、リツカが本当に行く事になったら止めるだろう? と、武人は十花に尋ねる。
「そうなったら、私達が覚悟するしかないわ」
「十花さん……」
十花は、リツカの勝利を認めると告げる。それを覆す事はないと。
「君が泣くくらいなら……僕は」
「ダメ」
だけど十花の涙は止まらない。認めても、リツカが離れていくのだから当然だ。娘だから、結婚したら嫁ぐ事もあるだろう。だけど出来るなら、婿入りという形になって欲しいと思っている。
ずっとリツカと一緒に居たい。それだけだ。
「立花を想ってるなら、覚悟して」
「あの時と、逆だね」
「何も聞かされてなかった時と違って今回は、ちゃんと聞けたもの。立花の想い」
一緒にいたいけど、リツカを最優先に考えている事に変わりは無い。
「立花が選ぶのを、待ちましょう。それが最後になるかもしれないんですから」
「何で立花ばかり、こうなる……」
十花は強く想っている。リツカの刃にも、母への想いが篭っていた。お互い想いながらも、そこにはあるのは母と子の感情だ。親は子の旅立ちを喜び、子は旅立ちを始まりとする。
旅立ちは必定だ……。だけど運命はリツカを試し続ける。
「それが、六花。そして……立花なのよ」
六花を活ける存在、それが立花だ。生まれた時から六花全員が感じたはずだ。リツカは特別だと。だからこそ、数字ではなく立花と名付けたのだ。
「立花ばかりこうなるのは……生まれた時から決まっていたの。いいえ……名は体を現す……私達が立花と名付けた時点で、決定付けられたのかも……」
武人ですら初めて聞く、十花の後悔。リツカを特別にしたのは自分達ではないのか、と。
「立花の事を考えたら、こんな……選択肢を与えるべきじゃなかったのかしら」
「でも、そうしないと何れ立花は、夢の中で後悔するよ? 僕達を置いて、無理矢理行った事を……」
「そう、よね。でも、選択して、しっかりお別れしても、立花はそうなるんじゃないかしら……?」
「その為の、時間だろう? 考えよう。立花から何を言われても、笑顔で送り出せるように……」
リツカもこれから、十花達のように悩む。悩んで悩んで、答えを出すだろう。その答えが最適でなくとも――。
「お嬢……」
「どうしました? って、お嬢は止めて下さいよ」
道場を出たところでリツカは、門下生に呼び止められる。
「何があったんすか」
「ちょっと、遠出する事になるかもしれないので……その許可を貰っていただけですよ」
「そ、そうですか?」
許可を貰うだけとは思えない戦いだったのだが、既にいつも通りの優しいリツカに戻っていた為、門下生は納得するしかなかった。本当にキレていたら、ここまで見事に切り替えることは出来ないと思っているようだ。
「組手、相手しましょうか。道場から締め出されたんでしょう?」
「い、いやぁ」
もはやリツカは、門下生達と一緒に学んでいた時とは違う。組手にはならない。組む前に投げられるだろう。
「お嬢、学校は良いんで?」
「今からでも、行っておきますか」
リツカが門下生に手を振って別れる。制服に着替えてからでなければ学校にいけない。
「お母さんに伝えておいて下さい」
「お任せ下せぇ」
学校に向かう道すがら、浮遊感と吐き気がリツカを襲う。焦点が合わない。何が起きたのか分からないが、リツカは「限界だ」と感じた。
そしてそこで――リツカの意識は途絶えた。
「……?」
リツカが目覚めた時、”神の森”の湖に居た。気分の悪さはないが、浮遊感だけはある。何の力もないのに、何故か全能感だけは感じている。”神化”だろうか。
「何で…………」
『リツカ』
「……!?」
駄目もとで声を掛けた。聞こえなければ良いのに。そう、私は考えた。なのにリツカは、反応してしまった。聞こえたのだろう。
『聞こえてしまったのかい?』
「……っ!!!」
リツカが私を殴る。私は避ける事が出来たが、甘んじて受けた。
「……ごめんなさい」
『良いんだ。私の罪だから』
「罪……?」
起き上がり、リツカを見る。涙を流しながら、怒りをどこにぶつければ良いのか分からないといった表情で狼狽している。
『本当は、きみがお別れを告げる前に戻すつもりだった』
「告げられて、ないですよ」
『アルレスィアにはね。レティシア達には告げてしまっただろう』
後悔があった。これもきっと、”人”には理解出来ない話だ。余りにも身勝手すぎる行いは、神の所業だろうから。
『何も告げずにこちらに送れば、きみはきっともっと早く諦められた』
「……」
『アルレスィアだけに告げられなかったという気持ちがあるんだろう?』
「……っ」
レティシア達にも告げられなかったら、皆で見た夢と納得出来たかもしれない。だけどリツカは、アルレスィアにだけ告げられなかった。
でも私は、アルレスィアに告げる前に突き落とした事を後悔していない。それが必要だったと確信しているからだ。
『きみはずっと後悔し続けるかもしれない。だからずっと、今を待っていた。声を掛け続けていた』
「神さま……」
声を枯らす、という経験は初めてかもしれない。リツカが”神の森”に来る度に、声を掛け続けていた。
『きみに声が聞こえたという事は…………やはりそうなったという事か』
「……?」
『きみはもうじき死ぬ』
「――っ」
『その様子じゃ、分かっていたようだね』
リツカは大して驚いていない。それもそうだろう。気力の消失、脱力、頭痛や動悸、リツカの体は、医学では説明出来ない病に侵されている。
『”神化”により私に近くなった。だけどきみは人だ。死ぬまで人として生きて行く。でもね、きみは剥がれている』
「世界から、ですか」
『そう。きみはもう、どちらの世界からも剥がれている』
こうならないように気をつけていた。だけどリツカは、向こうの世界に個を確立しすぎた。生まれ持ったカリスマか。リツカが持つ魅力は、向こうの世界の者達に刻み込まれた。
向こうの世界にも個を確立してしまったリツカは、こちらからも剥がれてしまった。辛うじて残っていた自己が、両方の世界から剥がれた。三日ともたずに、リツカは両方の世界から剥がれる。病死という形で死に、リツカは先に天界に行く。
『アルレスィアはこの事を知らない。何故なら、解決出来るから。教えていない』
「死ななくて、済むんですか」
『その方法は、分かっているね』
リツカが視線を逸らす。本当は今聞いても良いが、リツカもまだ迷っている。
夢は終わる。異世界を自由に行き来なんて出来るはずがない。どちらか一方に固着させる必要がある。
『ここで決めろとは言わない。でも、明日までだよ』
「…………」
『ちなみにアルレスィアは、少し時間がかかっている。明日も帰って来ない』
「……元々、私の問題です。自分で決めます」
もしアルレスィアが帰っていたとしても、アルレスィアに決めさせる事はないのだろう。背負わせる訳にはいかない。
明日まではもつ。でも、決めあぐねてしまえばきみは死ぬ。それは誰も幸福にしない。
『私も準備がある。今日はもう家でゆっくりなさい。核樹も良いね』
少し文句があると言いたげの核樹だが、納得してくれたようだ。気持ちは分かる。リツカが向こうにいくという事は、また寂しくなるからだ。でも、そこもクリア出来るはずだ。
私も最後まで足掻こう。




