リツカの想い⑨
A,D, 2113/05/04
学校で授業を受けているリツカだが、頭の中はアルレスィアの動向が気になって仕方ないという様子だった。
(今は、王都内かな。泊まりは王宮? 結婚式だけって事は無いだろうし、前夜祭とか。じゃあ、パーティの準備とか、サプライズの計画とか話してるのかな。シーアさんも、きっとカルラさん、デぃモヌの事が解決したカルメさんも)
そうやって熟考していたリツカの頭に、教科書がぺしっと置かれる――訳も無く、リツカはひょいと避けた。
「ん……?」
「……集中力落ちてますねぇ」
「あー、ごめんなさい」
漸く勉強に熱意を持ったと思っていたのだが、昨日今日とリツカの様子がおかしい。教師の心配も膨らんでいる。良くも悪くもリツカは注目度が高い生徒。リツカに何かあれば、その分生徒達も浮き足立つ。
リツカが行方不明になってから一週間、町はその話題しかなかったくらいだ。
ファンクラブがある所為か、学校の生徒は登校してからも話題にしていた。
「それでは六花さん、ここを読んで下さいねぇ」
「はい」
罰として教科書の英文を丸々読まされている。生徒達はリツカの朗読をうっとりと聞いている。リツカはお喋りという訳ではないから、声が聞けて嬉しいのだろう。
「発音上手になりましたぁ?」
「そうですね。少し、コツを掴んだみたいです」
「これなら海外留学も選択肢に入りますねぇ」
「海外、ですか」
事情を知らない教師達の言葉に、リツカは苦笑いを浮かべてしまう。発音が良いだけで、英語力がある訳ではないのだ。
「皆さんも、発音には気をつけましょうぉ。連絡通り、来週から英会話で授業を進めますからねぇ」
リツカの声を聞く為に静かにしていた教室がざわめき出す。
「皆さんはこの国の将来を担うんですよぉ。今更慌てないで下さいねぇ」
リツカが着席し、窓の外に視線を向ける。
(さて……英語、どうしよ。苦手なんだよねぇ)
そんな事を考えながらも、リツカは”森”を見ている。太陽が差し込み、リツカが照らされている。バックに、ショパンのノクターンでも聞こえそうな光景に、気付いた者達から静かになっていく。まるで光が透けているかのような、儚さだった。
放課後。リツカは約束通り森へと入った。
アルレスィアは来ない。完全にアルレスィアの気配がない”森”だ。
「思えば私は、きみの本当を知らなかったんだね」
ずっと、アルレスィアを感じていた。今でこそ”森”を感じられるが、果たしてあの頃、”森”を感じられただろうか。
「アリスさんが居ないだけで、特別な感じは変わらないや」
”森”のざわめきが強くなる。
アルレスィアにばかり構っていたから、寂しいと言うと思っていた。でもリツカは、”森”が好きだと伝える。
寂しいという気持ちは胸に仕舞っている。だけど、それと”森”は関係ない。
「よい、しょ」
リツカは湖の前から、核樹の前へと移動する。対岸から眺める事が殆どだったが、近づくとやはり重々しい雰囲気を感じる。
目を閉じ、しばらく浴びる。その後リツカは核樹の根に腰掛けた。
「樹齢、二千年くらい? だっけ。この国に文字が生まれてからだから……? わかんないや」
幹に背中を預け、くつくつと笑う。
「他の木より、柔らかい。温かいし……。でも、アリスさんの方が上かなぁ」
楽しげに惚気るリツカに、核樹が頬を膨らませるように枝を揺らす。アルレスィアと居た頃のように、リツカが自然と笑う。アルレスィアが見たら嫉妬しそうな光景に、核樹も流石に呆れているのかもしれない。もしかしたら、アルレスィアに自慢するかもしれないが。
「アリスさん……どうしてるかな……」
核樹に聞いても仕方ないのだが、リツカは思わず吐露してしまう。
「ん? そうだね……きっとアリスさんも、私の様に、考えてるよね……」
核樹に慰められたのか、リツカはうとうとしながら会話している。
「お花見、出来るかな…………湖の前で、アリスさんと食べ物とか持ち寄って……でも、花が咲く時期、違うね……」
アルレスィアの料理は食べられないが、花を一緒に見ながら談笑は出来る。しかし時期が違う。こちらで花が咲いていても、向こうでは咲いていない。
「え? 頑張って……くれるって……?」
リツカがぽかんとした表情で、核樹を見る。
「ふふ……あははっ」
本当に嬉しそうに、リツカが笑う。
「ありがとう……。でも、そんな無理しちゃダメだよ。寿命縮んじゃうからね――私が言うな? それを言われると、弱いかも」
一頻り笑うと、リツカは再び核樹と話す。しかし、目がしぱしぱとしだし、舟をこぎ始めた。
「帰らないと……また、怒られちゃうな……」
そう言いながら、リツカは立ち上がれずに居る。そしてそのまま――眠りについてしまった。
「………………寝て、た?」
完全に暗くなっている。五時間以上は寝ていたようだ。
「んっ……」
くすぐったい感触に、リツカは首を傾げる。
「これ、葉っぱ?」
リツカの体に、葉っぱが掛かっていた。普通に降ってきた程度では絶対に掛からない量だ。
「ふふ……。ありがと」
リツカが風邪にならないように、核樹が一生懸命葉を落としたのだろう。
丁寧に葉を落とし、根の近くに敷く。何れは腐葉土となって、木々の栄養となるはずだ。
「また明日ね」
リツカは核樹を一撫でし、走り去る。核樹も他の木達も、リツカを見送っていた。
当然、”森”の前で待っていた十花にその場でお叱りを受ける。昨日の朝と今日、二日連続で約束を破るような行為をしたのだ。叱られるのは仕方ない。
しかしリツカは、十花の歯切れの悪さが気になった。
十花はいよいよ、リツカの異変が気になり始めた。最初こそ寝不足だと片付けたが、明らかにおかしい。リツカの精神力は十花が一番知っている。いくら眠いからといって、寝落ちするなんてありえない。
「立花、貴女」
「……私も、おかしいとは思ってます」
「検査……意味ないのよね」
「多分。でも、私は大丈夫です」
何の根拠もない言葉に、十花は眉間の皺を深くする。だけどリツカの目を見ると、脱力してしまう。
(ただの意地ね……。はぁ……夢の子さん。貴女のお陰かしら。立花は生き急いでたはずだけど…………私も、会ってみたくなっちゃったわね)
十花が深くため息をつく。アルレスィアに感謝すると共に、母親として力不足を感じてしまったのだ。
リツカの自主性を重んじるばかり、放任すぎたのかもしれないと。
「お母さん」
「何?」
「私……ちゃんと、お母さんに……感謝してますから」
リツカが急いで車に乗り込む。照れ隠しなのは一目瞭然だ。
「……急にどうしたの。お馬鹿」
十花もまた、車に乗る。その頬に、一筋の涙を流しながら。