リツカの想い⑤
A,D, 2113/05/02
「また、日記書けなかったな……。体のだるさも、酷くなる一方……」
日記を書こうとしても、リツカの手は止まってしまう。体の調子は良いのに、魂が蝕まれたようにだるさが出る。
魔力に頼りきったツケ。リツカはそう考えている。
「学校、行かなきゃ…………あ、今日は休みか……」
休みになった。一日中”森”に居ても許されるだろう。アルレスィアも、リツカの世界での一週間を記憶しているはずだ。今日が休みである事も知っている。
「お母さんに、言おう」
リツカは十花の元に向かう。無言で出て行くのは許されていない。十花が安心するまで、リツカは十花に報告する必要がある。
部屋に入ると、十花は着替えをしていた。それも着物だ。
「何か、行事ですか?」
「何言ってるの。昨晩言ったでしょ?」
「…………あ」
リツカは自分が上の空だった事を恥じた。確かに昨晩、十花は言っていた。今日は園遊会がある。
「……何時から、でしたっけ」
「二時間後。神樹神社よ」
「少し、良いですか」
「……早くなさい。その代わり、制服で行くのよ」
「はい」
森に行く許可を貰って、リツカは走り出す。制服に着替え、一直線に森へ。アルレスィアに、今日も夕方からしか来られないと伝えるためだ。
”森”についたリツカだが、困惑の中に居た。アルレスィアが来ていないのだ。
(…………何とか、伝言残さないと)
まだ早朝。アルレスィアが来ていないのも仕方ない。なのに、リツカの心は予想以上に落ち込んでいる。待ち合わせをしていた訳ではない。だから落ち込むよりも、伝言を残す方法を考えなければいけないのに。
結局、伝言を残す方法を思いつく事すら出来ずに、リツカは”森”を後にした。
その後すぐにアルレスィアが来た。実は朝、ある事で集落の者達と話していたのだ。しかしリツカの気配が”森”に入った事で急いでやって来た。だけどリツカは、わずか数秒の差でアルレスィアを感じられない場所まで行ってしまった。
些細な事で、リツカとアルレスィアはすれ違ってしまう。それがお互いの心を蝕み、やはり二人の将来は、お互いを振り切った先にあると思い込むようになってしまうのだった。
リツカはとぼとぼと町を歩く。もしかしたら今なら居るかも、と後ろを見るがここから神樹神社までとなると、これ以上寄り道出来ない。
「……」
(夕方、ちゃんと話そう)
リツカはこちらでの行事に参加しなければいけない。此度の園遊会は、”巫女”のお披露目会も兼ねているのだ。今まで日程が合わずに出来ていなかったが、”巫女”が変わる度に行っている。
「……遠距離、かぁ」
前を見て歩いているが、リツカの気持ちは”森”の中に残ったままだ。だけどアルレスィア側からはリツカを感じられている。だからもう、気持ちは伝わっているのだ。
ただリツカはどうしても、自分で伝えたかった。アルレスィアもそうだ。言葉をなくせば、離れてしまう気がするのだ。ここでもやはり、二ヵ月という長いとも短いともいえない期間が牙を剥く。
信じてない訳ではない。なのにリツカもアルレスィアも――焦りを覚えていた。
「ねぇ」
「……?」
見るからに柄の悪い男達がリツカに話しかけてきた。もはや慣れたものだ。この町を一人で歩くと、大抵こうなる。多少は落ち着いていたが、時間が経てば戻る。
リツカはこう思っている。確かに、ライゼルトやコルメンスのような、誰からも認められる男も居るだろう。だけどそんな人は一握り。目の前に居る男達のような者が大半だ、と。
「一人? 一緒に遊ぼうよ」
「何それ? 木彫り? へぇ似合ってるよ! でも安っぽいねぇ」
「名前何ていうの? もっと良いアクセ買ってあげるって!」
リツカの瞳から光が消えていく。
(何で、こんな幸せそうな顔してるんだろ)
こんな男達が幸せな日常を送っているのに、自分は何も出来ずにもがいている。
褒美を要求する訳ではないが、世界を救った見返りがこれだと、リツカの瞳が濁る。怒りも悲しみも、失望も呆れもない。リツカはただただ無感情に、幸せについて考えている。
(私の幸せはやっぱり、アリスさんの傍。こんな能天気な人達が幸せをつかめているのに、私は無理なのかな。どんなに頑張っても、無理なのかな)
長く続く人生を、妥協し続けていくのかと、リツカは天を仰ぐ。雨でも降ってくれれば、何もかも隠してくれるのに、今日も今日とて晴れだ。
男達がまだ何か言っているが、リツカには届かない。
(あれって、立花? 何してるの!?)
椿はそんなリツカを見つけて顔を青ざめさせる。いつもなら逃げる人数を前に、ぼーっと空を眺めているのだ。当然の反応だろう。
だけど、リツカに触れられた男は一人も居ない。
「何だよこれ……!」
「ガラスでもあんのか!?」
呆然としているリツカは、周囲の変化を気にしていない。こんな事、向こうの世界でもこちらの世界でもありえなかった。リツカは今、危機感ゼロで突っ立っている。
しかし、リツカが危機感を持たないなどという事は出来ない。危険があれば、否応なく第六感が働く。なのにリツカは呆然と出来ている。
魔力が見えない。感じない。リツカから魔法は奪われている。だけど――アルレスィアはいつだってリツカの傍に居る。
(何してるの、あの馬鹿達……。兎に角、警察……)
リツカに手を出すでもなく、パントマイムをしている男達を見て、椿は首を傾げる。
リツカは今――守られている。
「……?」
漸く変化に気付いたリツカだが、男達の手が伸びてきた所だった。こちらの世界にもマナはあるが、魔法がある訳ではない。アルレスィアの”拒絶”も、長くは保たないのだ。
「――はぁ……」
避けようとしたリツカの脳裏に、ライゼルトの言葉とアルレスィアが思い浮かぶ。その瞬間リツカは――男を投げていた。
「――あ」
リツカは、「やっちゃった」といった表情を浮かべる。
投げた男は他の男に踵落としをしながら地面に落とされた。もちろん、怪我がないように手加減はしている。しかしだからこそ、男達の反撃が始まってしまった。
「この!!」
「ガキが、嘗めてんじゃねぇぞ!!」
「優しくしてやろうとしたがもう関係ねぇ!! 無理矢理剥いで――」
リツカの体は、感情とは裏腹に動いていく。二ヶ月程度だったが、命の危機の真っ只中に居たのだ。拳が閃光となり、男三人の顎を正確に打ち抜く。リツカに触れる事すら出来ず。拳を見る事すらなく、男達は崩れ落ちる。
「な、何だよこのガキ……!!」
倒れていた男が逃げるように後ずさる。
「ば、化け物……」
リツカは肩を竦めて歩き出す。時間が少し押しているのだ。
リツカは拳が勝手に出た事に驚いたが、直に理由は分かった。リツカの体は自分だけの物ではない。何より、触られたくなかったのだ。アルレスィアの愛を受けた体を。
(園遊会でも気をつけないと、要人ばっかりなんだから……)
触れられないように気をつけながら、投げないように努力するという、何とも危ない考えを持ちながら、リツカは再び歩み出す。
”巫女”の中でも最上位のリツカにそんな事をする者は居ないだろうが。
「立花!」
「椿? あー……変な所、見られちゃった」
「私はあんたの強さ知ってる。手を出したのは驚いたけど……」
椿は、リツカが手を出さないのを知っている。
リツカは四人なら絶対に逃げるというが、手を出さない前提だからそうなるだけだ。ただの人間が、リツカに触れる事など出来るはずがない。世界広しといえど、リツカを投げ飛ばせるのは十花と壱花だけだ。
「でも、安心したわ。危なっかしくて仕方なかったんだから」
「見なかった事に、してね」
「ええ。良いわ。その代わり、副会長になりなさい」
「ふぅ……脅しなんて、ずるいよ」
肩を再び竦め、リツカは歩き出す。荒んでいた心を押し込んで、微笑む。リツカの学校生活。少し忙しいものになるかもしれない。
リツカはやっぱり、アルレスィアとの時間を作るために頭を回転させるのだった。




