リツカの想い④
A,D, 2113/05/01
「んっ……ぁ……?」
リツカは、異常なまでに反発の強いベッドで目覚める。
(このスプリング……気になった事なんて、なかったのになぁ)
向こうの世界の、沈み込むようなベッドに慣れてしまったのだろう。化学繊維やバネの入ったベッドが、合わないと感じてしまっている。
「起きて……アリスさんが……居ない、か……。こんなに、空っぽって感じて……」
ベッドにへたり込むように座り、リツカは涙を流してしまう。
「……放課後、会える」
それだけが、今のリツカを支えていた。
身支度を進める中で、リツカは腫れた目に気付く。軽い化粧を行い、それを隠すことにしたようだ。
「お化粧、覚えたのね」
「……軽い物、ですけど」
「……貸してみなさい。それじゃ、隠せないわ」
リツカからチークを受け取り、十花は薄く、目立たないように広げていく。
「濃すぎると、貴女には似合わないわ」
「そう、らしいね。化粧の乗りは良いって聞いたけど」
夢の中の話を本当にあった事のように話すリツカに、十花にフッと微笑む。二ヵ月、夢の中に入っていたのだとしても、リツカは楽しんだのだと、それだけで分かった。辛いだけではなかった。それだけで、良かった。
「はい、これで良いわ」
「ありがとう、ございます」
「……今日も送迎はする。森にも行ってあげる。ちゃんと帰ってきなさい」
「はい」
十花は、リツカのやりたいようにさせると決めた。しかしそれは、家に帰る事が前提の妥協だ。
「ご飯食べなさい」
「準備終えたら、向かいます」
部屋に戻り、リツカはバッグを手に取る。予習と復習の為にと教科書を持って帰っているが、結局意味はなかった。その事で自嘲的な笑みを浮かべて、一度鏡を見る。暗い表情にならないように、化粧が崩れない範囲でむにむにと顔を揉む。
「…………よし」
食事を済ませ、十花の運転で学校に向かう。久しぶりの母の料理は、少し濃く感じた。
学校での生活は、昨日と大差ない物だった。それを退屈とは思わない。だけどリツカは欠伸をしてしまう。
それくらい、どの生徒だってしている。勉強への意欲が全くないわけではない。しかし、単調な授業では仕方ない。
(アリスさんの教え方、上手だったなぁ)
思わず、アルレスィアと比べてしまう。人と比べるのは良くない事だと、首を振り自らを諌める。
「六花先輩!」
休み時間、自動販売機の前にある椅子で飲み物を飲んでいると、一人の少女が話しかけてきた。
「ん?」
「あ、ごめんなさい」
丁度飲み始めたばかりのリツカに、少女は頭を下げる。リツカはじっとその子を見て、ぽんっと思い出した。
「後輩ちゃん」
「は、はい! 大上久由里です!」
大抵の人は、昨日のようにお祭り的な状況でもなければ、今の様にリツカを遠巻きに眺める事しか出来ない。
ただストローを差し、飲む。そんな姿すらも絵になる。
だから、久由里のように声をかけてくれる子は珍しい。リツカとしても、そういった子は覚えている。
「お戻りになったとお聞きしたので……お体の方は、どうですか?」
「ありがとう。神隠し前よりずっと健康だって診察結果も出たし、大丈夫だよ」
食生活や環境がそうさせたのだろう。アルレスィアはリツカの栄養管理と体調管理に心血を注いだ。その結果だ。
「会長は、その事」
「まだ言ってない。後で話すつもりだけど、会長って思ったより忙しいんだね」
「この学校の生徒会は、特殊ですから」
昔、前会長から会長にならないか? と誘われたリツカとしては、椿に押し付けた気がして申し訳ないという気持ちが強い。
「大上さんは」
「久由里で構いませんっ」
「久由里さんも、生徒会なんだ」
「はい。会長が、少しくらい手伝えって、会計に」
(椿と久由里さん、知り合いだったんだ)
普通の学校の生徒会は、そこまで重要な仕事は任せられない。しかし、この学校は違う。少しばかり仕事量が多いのだ。その分見返りも大きいのだが。
「会長酷いんですよ。会計以外の仕事を押し付けて……副会長がまだ居ないからって言うんです」
「あー……」
副会長にと誘われたリツカは、更にバツが悪くなる。
「あ、チャイム……」
「もう少し学校に慣れたら、手伝うよ」
「あ、ありがとうございます!」
(やった! 六花先輩と会える機会が増える!)
予鈴が鳴り、二人は自分の教室へ帰っていく。移動教室だったリツカが、ちょっと走る事になったのは内緒だ。
放課後、リツカは十花の車に向かっている。そこに、バスケットボールが転がってきた。校庭にも関わらず転がってきたバスケットボールに、思わずリツカは手に取ってしまう。
「立花」
「椿?」
「少しくらいなら時間あるでしょ」
十花がこちらを見ていたが、車に戻って行った。椿との用事が済むまで、車を出す気はなさそうだ。
「バスケ、続けてたんだ」
「当たり前でしょ。来週試合なのよ。国際試合、デビュー戦」
「生徒会長で忙しいのに」
「だから副会長して欲しいのよ、馬鹿立花」
体育館へ向かいながら、椿は近況を話す。
「副会長、か……。あ、私の精密検査だけど、問題なかったよ」
「あんたの様子見れば、検査要らない事くらい皆分かってる」
呆れながら、リツカの背中を押す。体育館に押し込まれると、中ではバスケ部が並んでいた。
「新入生歓迎の試合やってるんだけど、あんたも入って」
「何で私が? 篩い役にはなれないよ」
この学校のバスケット部は強豪だ。椿の全日本入りも含め、今年の入部数は前年の三倍。やる気がない者、実力的についていけない者を最初に落とすのは当然だった。
指導者が見れる人数にも限度があるし、人が増えれば緩みも出てくる。酷な事だが、最初にやらなければいけない事だ。
「うちの練習メニューはもう見せた。それで経験者の大半と、やる気がある子の一部が残ってる。最後にうちの実力を見てもらおうと思うの」
「その為の試合に私も?」
練習一つ取っても、軽い気持ちで入れる範疇を越えている。それとプラスして、実力を見せれば更なる篩いになるだろう。
「もう篩いは殆ど済んでる。だから篩い役じゃない、偶には遊んでいって」
「最初からそう誘ってよ」
「そうね。前のあなたなら断ると思ったから」
「……三十分だけなら、良いよ」
アルレスィアが待っているが、リツカが友人を蔑ろにする事を望まない。こちらの世界で生きていく以上、友人関係を壊す行動は避けなければ、アルレスィアが悲しむ。
三十分だけという事で、最初にリツカが参加するようだ。椿の悪戯心で、一人のレギュラーと四人の新入生対リツカ、椿ペアとなった。
「はぁ……」
「立花と組むの久しぶりね」
「それで、何で私がガード?」
「元々のポジションだし、良いでしょ」
試合開始のジャンプボール、参加したはずの椿は飛ばずに相手のボールとなった。受け取った選手がドリブルをしようとした瞬間――ボールが消えた。
「え!?」
驚いたのも束の間、自軍のネットが揺らされる音が聞こえてしまう。
「ス、スリー?」
リツカ・椿ペアのボードに三点が入る。何が起きたか分からないという相手チームに、椿は肩を竦めた。
「立花、そのままじゃ試合にならない」
「本物のボール触るの久しぶりだから、はしゃいじゃった」
ジャンプボールが敵の手に渡った後のドリブル、パス。そこは最も警戒すべき瞬間だ。受け手はもちろんレギュラー、新入りの緊張を解そうと取ったドリブルによる一泊が命取りだった。
「今のこの学校で、立花の腕知ってる子は居ないのか。そういえば」
椿が肩を落とす。このままリツカが埋もれるのは嫌だなぁと思っている。
「やるなら本気になって」
と、忠告はしたものの、リツカと椿は一点も許さず試合を終えてしまった。
流石にやりすぎたと感じたのだろう。椿が立花を半目で見ている。
「椿の方がはしゃいでた」
「立花が手加減出来ないの忘れてたわ」
(ボール奪ったの、殆ど椿なんだけどなぁ)
篩い落としよりも減るかと思ったが、憧れの方が強かったのだろう。むしろ士気向上に繋がったみたいだ。
「もう行くの?」
「うん」
「……これからは、偶に寄って。私の変わりに練習相手になって欲しいんだけど」
「……三十分だけね」
「それでも良い」
椿が再び背中を叩き、もう行くように促した。リツカの、唯一の友達として率先して居場所作りをしている。
リツカがこの町に居続けるにしろ、どこかへ行ってしまうにしても、友人という立ち居地は揺るがない。
リツカは”森”に入る。今日も、もうアルレスィアは来ているようだ。
「ごめん、お待たせ」
(いえ。私も、ほんの少し前に来たところです)
「ちょっと、バスケに呼ばれてね」
(椿さん、ですか?)
「うん」
アルレスィアが口篭る。言わずもがなだが、椿に嫉妬しているのだ。友人という事は理解している。しかし、そういった関係でリツカと接する事が出来る事自体羨ましい。何より、椿は敬称無しで呼ばれているのだから。
(バスケは楽しかったですか?)
「ちょっとだけ、ね。やっぱりもう私には……バスケ熱、ないみたい」
好きではある。だけど、多くあるスポーツの中の一つくらいの物になってしまっている。そう、今日感じてしまった。
「生徒会……生徒による学校運営みたいなのがあるんだけど、それにも誘われてる」
(良いと思います。リッカならば、出来ます)
「……ありがとう」
本当は少し、ダメと言って欲しかったのかもしれない。リツカが他の者と交流し続けるのを、ちょっとだけ焼きもちを焼いてほしいと。
「アリスさんの方は、どう?」
(エルケちゃんが身の回りのお世話をしてくれています。シーアさん達に説明はしましたし、皆も自分の夢に向かっています)
「……アリスさんの夢は?」
(……変わりありません。世界の平和を維持する事です。リッカが守ってくれた世界を……私の命が尽きるまで……一人、で)
「…………湖から、応援してる。手伝える事があったら教えて……?」
(はい……っ)
お互い、真意を隠して話す。本当はすぐにでも逢いたいのに。すぐにでも抱き合いたいのに。一人でなんて居たくないのに、だ。
隠したまま、話し続ける。隠していても、溢れる想いは抑えられない。二人の睦言は紡がれ続ける。聞く者が居ない”森”だから良いが、もし他の者が居たなら赤面してしまう事だろう。
今日もまた、湖から太陽が消える。終わりの時だ。
「また、あした」
(はい……)
どんなに話しても話し足りない。それでも、二人は歩み出す。
今日もまた、二人は涙を流す。