リツカの想い②
「そのアクセ、貰い物?」
「うん。そう、だね」
運動の邪魔になるからと、アクセサリー類をつける趣味はなかった。付き合った者の趣味の影響を受けるというが、それなのか? と、椿は勘繰る。
(イヤリング、別々のを付けてる……そういう事、なの?)
リツカに憧れも持っていた椿は、洞察力も鍛えている。リツカから見て取れる別の女性の陰に、椿は言い様の無い、ぶつける事の出来ないイラつきを覚えていく。
イヤリングやブレスレットを愛でるように撫でるリツカの所作は、”女”の物だ。自分では引き出せないリツカの姿を引き出した。それだけで椿は、敗北を刻み込まれてしまう。
「はぁ……」
「うん?」
「何でもない」
負けたからと言って腐ることはない。椿は小和と本当の恋人になった時に大きく成長している。今ではリツカの成長を寂しがると同時に、喜ぶ事も出来る。もちろん、その幸せを祝える。
なのにリツカは何故こんなにも――。
(哀しそうなの?)
聞けば、ちゃんと人と恋をしている。森に恋している訳ではなく、結婚どうこうで悩む事も出来ている。なのに、何故憂いが見えるのだろう。
(相手が国に帰ってしまったから?)
それならば会いに行けば良い。そう考えるけれど、椿はそれを気軽にいえない。そんな雰囲気ではないからだ。
リツカはまるで、もう二度と会えないと、絶望しているように感じるのだ。
「……授業、今日から出るの?」
「うん。普通に、出るよ」
「そう。じゃあ、教科書と諸々の道具ね」
「ありがと、椿」
「ちゃんと、卒業するのよ」
「……うん」
リツカは教材を受け取り、ホームルームに向かった。進学は問題なく出来ており、三年の教室へと向かう。
一人取り残されたように、椿は生徒会長の椅子に座っている。
「……」
椿から見ても、リツカは今にも消えそうだった。生徒会室の扉が閉まった先に、リツカの姿が消えていく様が、余りにも危ういと感じてしまうくらいに。
それでも椿は、十花と違って仕方ないと思ってしまう。リツカがあんなにも”女”へとなってしまう。リツカをそうした相手の元に行くのなら、それを止められるはずがない。そのように椿は、冷静に考えた。
教室に向かう途中、リツカは教師と出会う。リツカの担任となったのは、英語担当教師だった人だ。たしか、バスケの顧問も受け持っている。
「見つかったって聞いて安心したわぁ。昨日の今日だけど、大丈夫かしら? 疲れたら言ってねぇ?」
「はい。誘拐って訳じゃないですから、至って健康体ですよ」
「そうー。酷い事されてないみたいねぇ」
ぽやぽや、と言って良いのかは分からないが、この英語教師は軽い事で有名だ。
実際は生徒の事を良く見ている優秀な教師なのだ。しかし、そう思っている生徒は少ない。
「時間割は貰ったかしらぁ」
「はい。教材もこの通り。でも、この自由時間というのは」
「それは、そのままの意味よぉ。生徒の自主性を高める為の時間。何をしても良いけど、ちゃんと見てるからねぇ」
「分かりました」
雑談をしながら教室へと入る。リツカと一緒という事で喜ぶ生徒が多い。それを適当な所で担任が諌め、ホームルームは始まった。
リツカは、真面目という部類ではなかった。幼稚園から高校までエスカレーター式に上がってきたが、中学での成績は良かったと教師達は聞いている。しかしある時期を境に、勉強への熱すらも、どこか別に向いていると感じる時があったという。
それは”巫女”になってからだ。勉強に必要性を感じなくなったリツカは、熱意の全てを森に捧げた。
しかし今日は、真剣に勉強していた。今日の授業でリツカが余所見をしたという報告は上がっていない。いつもは上の空で、ある方向をじっと見ているのだが。
「行方不明の間、何があったのかしらぁ」
教師達が職員室で集まって話をしている。校長からの業務連絡で、リツカの様子を確認するように言われているのだ。
当然校長に命令をした人間がいるが、教師達が知る由もない。
「真面目になりましたね。知識を手に入れる事に対する欲がある」
「間に合って良かったです。あの調子ならば、どの大学にも間に合うと思います」
「確か去年の担任は、佐藤先生でしたね」
「はい。六花さんの進路調査には、森番と一言だけ書かれていました。有吉先生は、何か聞いていませんか」
「いいえぇ? 戻ってきてすぐ進路の話というのも急かしすぎですし、まずは慣れる所からと思いましてぇ」
リツカが真面目になったのは良い事だ、という話で一致している。勉強さえすればあの身体能力だ。引く手数多だろう。
森番という物で食べていけるなんて教師達が思うはずもなく、まともな職に就けるようにと日々考えていたのだ。
実際は、森番という進路を見て悦んだ者達が居るのだが、その者達以外は普通の人生をと思っている。
「体調等、気になる所はありましたか?」
「すこぶる健康ですね。ただ、前よりもスポーツへの熱が感じられません」
校長に言われたからというだけでなく、単純に心配だから見ている者も多いようだ。実際、気力という面で見ると違和感が多い。
昔から熱意という物は殆ど無かったが、今日は特に無かったという。
「それは仕方ないのではないでしょうかぁ」
「そうですね。しばらくは様子見で良いのではないでしょうか」
異変らしい異変は見つからない。むしろ好転しているのだ。教師としては今まで通り気にかけるくらいで良いという結論に至る。
「それにしても……何方か、六花さんが二ヶ月以上も何処に行っていたか知っている方は居ないのですか?」
「本人は誘拐ではないと言っておりましたが、六花さんが家出というのは考えられませんし」
「宮寺さんならば知っているのではないでしょうかぁ」
「そう思って聞きましたが、何も聴いていないと」
話題はリツカがどうなったかに変わった。内申の面でも、リツカが一ヶ月学校をサボったという事実がある。気になるのは仕方ないだろう。本人が言うように誘拐ではなく、家出や単純なサボりならば問題改善に動かなければいけない。
「余り噂を信じるのは好きではありませんが、SNS上では、六花さん捜索に警察ではない者達が携わっていたと」
「佐藤先生がSNSの話題を出すのは珍しいですねぇ」
「その情報が、不自然なまでに綺麗に消されていまして」
「それは、怪しいですねぇ」
「そこまでにしましょう」
段々とゴシップになってきた為、教頭が話を打ち切る。
「六花さんに関しては、これまで通り一生徒として気にかけて上げて下さい。その上で、本人が話すまで深入りしないように」
「分かりました」
放課後、リツカは再び十花の車で家に向かっている。
部活や委員に所属していないにも関わらず、リツカの放課後は長い。
「お母さん」
「駄目よ」
「……」
朝はそれとなく拒否されたが、今回は有無を言わせぬ構えだ。
「私、まだ”巫女”です」
「そんな物は形だけの物よ。毎日熱心に行く必要は無いわ」
「あります」
「無いわ」
世界の創りを話したところで、十花は信じないだろう。それはリツカが森に行く為の口実、と一蹴される。だからこうやって、押し問答となってしまう。
「降ろして下さい」
「家まで信号はないもの。このまま行くわ」
確かに信号はない。しかし、一時停止等はある。本来標識を完全に守る十花だが、今日に限っては一時停止でも減速だけだ。
しかしリツカには、それだけで十分だった。
「っ――立花!!」
「お母さんには悪いと思ってます。でも私から、奪わないで下さい」
会話出来るだけの時間はなかった。一瞬の隙をついてリツカは車から降りてしまったのだから。だけど十花は、リツカの懇願が聞こえたような気がした。
もはや自分にはそうする事しか出来ない。それに縋るような懇願に、十花は少し行動が遅れる。
「ちゃんと帰ります。もう夢は、醒めてしまったんですから」
リツカが走り去っていく。十花の車が急停止した事で辺りにはクラクションが鳴っている。しかし十花は、動く事が出来なかった。
ハンドルに突っ伏して唇を噛む。リツカが森好きなのは知っている。しかし今は、森以上に夢の先に居る人物がリツカの心を占めている。
「立花……あなたの先に居るその子は……本当に今のあなたを求めているの……?」
まるで強迫観念の如く森に向かうリツカの背に、十花は呟く。
リツカが好きになったという、大切だと断言するその少女は、今のリツカを見て喜ぶのか? と、十花は首を傾げる。
答えは、ノーだ。
アルレスィアは望んでいない。自然な状態のリツカで居て欲しいと思っている。
しかし今のリツカには、アルレスィアを感じるには森の湖を目指すしかないのだ。少しも離れたくないリツカが焦るように森に入るのを、アルレスィアが責める事はない。
だけど本当は、昔の様に森を楽しみながらやって来て欲しいと思っている。その日起こった事を話しながら、少しお茶でも飲んで、お互いを感じていたいと思っている。
アルレスィアはリツカがいつ来ても良いように、今日も”神林”に居る。それは嫌々ではない。むしろアルレスィアとしても、リツカに来て欲しいと思っている。だけどリツカが、こんなにも苦しんでいるのは嫌なのだ。
だけど、今すぐにでも傍に行きたいという想いから、何時間も”神林”に入っている。
リツカは自覚している。今の自分の行動は、アルレスィアを縛っているという事に。
アルレスィアも分かっている。自分が居るとリツカは知っているから、焦って向かっているという事に。
そんな二人も、何れは穏やかになるだろう。適度な間隔で森に通い、お互いの幸せを願い、偶に気持ちを確認し合うくらいの物になるだろう。
その時まで、二人の自由にさせるしかないのかもしれない。
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