最後の日⑨
「妬いちゃうわ」
「私のお姉ちゃん愛は変わってませんヨ」
私達の仲を見たエルさんが頬に手を当て、くすくすと微笑んでいます。
「妬いちゃったから、ちゃんと通訳しておいたわ」
「エ」
「素直なとこもあるんだな。チビ」
「シーアちゃん可愛い」
「可愛いの」
クランナちゃんとカルラさんに、シーアさんが揉みくちゃに抱かれています。途中から共和国語になっていましたからね。エルさんが通訳していたようです。
「ど、どこからでス」
「リツカさんが笑顔になって良かったって所からよ」
皆の前だったんですし、シーアさんとしても恥ずかしがる事はないと思うんですけれど。
「別に隠す気があった訳ではありませんけド……盗み聞きされた感じがして恥ずかしくなりまス」
どうやら、状況的な物の様です。確かに、隠しているつもりが無い物を暴かれるって、少し恥ずかしいです。私の森好きのようなものです。
「それじゃあ、また戻ってくるかもですけど、行ってきますね」
皆に一言告げて、森へ入っていきます。こんな、私達をからかえそうな場面にも来ないなんて、神さま何処にいるのでしょう。
「あ? アイツ、荷物忘れてんじゃねぇか」
「戻ってくる口実作りですヨ。それくらい察してくださイ」
ああ、帰って来ました。落ち着きます。この”神林”に入るのは、三度目ですけど……実家のような安心感というのでしょうか。それがあります。
それも当然で、”神の森”と兄弟みたいなものですし、繋がっているのです。
「初めて歩いた時は、”巫女”の話ばかりでしたね」
「私、何も知らなかったから、ね」
思えばあの時から、普通の友人以上にスキンシップしてました。普通の人は、ああはしないそうです。
でも、恥ずかしいって感情よりも、嬉しいって思います。
「私達は魂で繋がってて」
「生まれた時から惹かれる運命だったのですね」
「でも」
「はい」
「惹かれるのは決まってても、そこで育んだ想いは」
「私達だけの意志です」
アリスさんと指を絡め、湖を目指します。
この世界に来て、アリスさんに出会いました。最初から惹かれてた。綺麗で、格好良くて、意志の篭った瞳は何処までも透き通ってて、清廉で純潔な想いを表現する白銀の髪は、陽光を更に温かくしてくれました。
だけど、アリスさんを守りたいと、大切にしたいと想ったのは、運命だからではありません。
ちゃんとアリスさんと触れ合い、想いを共にしたからです。
運命で繋がっているだけではありません。私達は本当に、自分達の意志で繋がりました。
この繋がりは、斬れません。
普段は対岸から眺めるだけの核樹。その目の前で、私は告げるつもりです。でも、湖の前で立ち止まってしまいました。
「湖、光ってる……」
「私達の帰還を喜んでいる、というのは……都合の良い考えですね。この光は、見たことがあります」
湖が既に光っています。私が此方に来る時、向こうの湖は光っていませんでした。でも、この光は魔力。つまり、魔力に目覚めていなかった私は見る事が出来なかったのです。
アリスさんは私が来る時に……見たのです。この光っている湖を。
私が帰る準備、万端ですね。
「荷物取りに行くくらいは、許してくれるかな……」
「アルツィアさまもそれくらいなら――」
アリスさんの声が、何故か遠ざかっています。絡めていたはずの指が離れ、私は前のめりに――。
「神、さま?」
『お別れだよ。リツカ』
いつものように頭に直接響いた声。それは紛れも無く神さまの物で、何で私の後ろから? とか、何で遠ざかって行くのか? とか、疑問はありました。
でも私はただただ、離れていくアリスさんの悲嘆の表情しか見えなくて、そのまま落ちるのなんて耐えられなくて、足掻こうとしました。
「リッカ――っ!!」
「アリス、さんっ」
伸ばした手が届かなくて……”人”である証の詠唱をする事無く”疾風”を使ったのに、一ミリも進んでなくて……私の体は、湖に……吸い込まれていきました。
名前、また……さん付けに、しちゃった……。
自分の中で、何かが滞っているような感覚と共に、水の重み以上の重みが、体を襲っています。まるで、泥水の中を泳ぐかのようで、気持ちが悪い。早く上って、アリスさんを安心させないと。
「ぷはっ」
湖から出て、辺りを見渡しました。核樹と湖、そして森。確かに同じです。でも、分かっていました。それでも縋ろうとしました。
ここは……”神の森”。帰って、来てしまいました。湖から上がった私の服は、”巫女”の物です。でも、荷物は何一つ残ってません。イヤリングとブレスレット、だけです。柄だけの刀すらも、なくて、なくて、なくて、なくて…………。
ああ、森が喜んでいます。ただいまと、言わなくては。でも今は……ごめんなさい。私は……今は、あ、ああ……ああっ……!!
「なん、で?」
こんな無理矢理なんて、酷いです。神さま……。
リッカが湖に落ちてくのを、私は必死で止めようとしました。なのに、魔法が発動すらせず、体はぴくりとも動かなかったのです。
理由は、簡単でした。アルツィアさまが私の肩を持っていました。きっと、私の魔法を押し留めたのです。
リッカもきっと、何かされたはずです。抵抗すら出来ずに、水しぶきを上げて……戻って、きませんでした――。
「何故……」
『きみ達なら分かっていると思うけれど』
「……っだからといって、こんな無理矢理な方法なんて!!」
『リツカがきみに想いを告げれば、リツカはこちらに残りたがるだろう。これが一番良い。きみ達にとってはね』
「それは私達が決める事ですっ!!」
分かっています。リッカも、分かっていました。想いを告げれば、帰りたくなくなる事くらい……。
リッカには向こうに家族が居ます。お義母様もお義父様も、お義祖母様だって……。友人も無碍にはしないでしょう。リッカの事を心配しているのは分かりきっています。
だから、向こうで生きる為の儀式をする為に……ここに来たのです……。
「アルツィアさまも、分かっているはずです」
『そうだね。きっとそのままなら、ここでは綺麗なお別れが出来ただろうね』
「……何が、仰りたいのですか」
『きみはリツカを、リツカはきみを、忘れられるのかな?』
言っている意味が、今度こそ分かりません。
「何故、忘れる必要があるのですか」
『きみ達の認識は概ね正しい。異世界であっても、”森”の湖で繋がっているきみ達なら、大魔法の行使は可能だ』
「……でしたら」
『今までの関係なら、お互いの幸せを願いながら、別の人生を探す事になるだろう。お互いの誓いの下、世界の為に”巫女”であってくれるだろう』
そうです。それの何処が問題なのですか。そして、リツカを忘れる必要が何処にあるのですか。
『だけど、リツカが想いを伝えた後、きみはきみだけの人生を歩めるのかな?』
「私達の間に、死が二人を別つという言葉はありません。最期を迎え、更にその先でも、私達は想い続け」
『きみ達が”巫女”で在り続けてくれるのは嬉しいけどね。私はきみ達にそのような生き方を望んでいない』
「何を、言っているのですか?」
私は初めて、アルツィアさまが何を言っているのか、理解出来ません。
『普通の女の子としての人生を歩んで欲しいと思ってるんだ』
「ですから……それを決めるのは、私達です!!」
”巫女”に年齢制限はありません。純潔を散らすその時まで、私達は”巫女”で在り続けられるはずです。何より私達は、”巫女”になるべくして生まれた存在。それでも、自分の意志で”巫女”を続けるつもりでいるのです。
「私は、貴女に感謝しています。尊敬も、信仰もしています!! 貴女の為に命懸けの旅に出る事に、躊躇はありません……っ」
私は、アルツィアさまが居たからリッカに出会えたのです。それに、幼かった私が、自分の特異性に押し潰されなかったのは、貴女のお陰です。
「ですが……リッカとの歩みまで、決める権利はないでしょう!?」
『まだ話の途中だよ。きみ達なら何だって出来るけど、異世界転移は無理だ』
「……っ」
分かっています……。だから、最後だったんでしょう……!! だから、リッカから……欲しかったのに……。この指輪を、あの場所に、欲しかったのですよ……!!
『二度と会えない。会えるのは死後だ。それまできみ達は、遠距離恋愛を続けるつもりかい?』
「アルツィアさまには関係ないでしょう。私達はずっと、ここで」
『リツカの幸せはそこにあるのかな』
「先程から、何が言いたいのですか」
『アルレスィア。リツカの魔法は封じた。今向こうに居るリツカは、アルレスィアを薄っすらと感じるという状況だ。きみが”森”から出たなら、”森”の部分だけが残り孤独を感じるだろう』
「だから、何です」
『きみは”森”から出ても感じられる。きみはきっと、リツカを感じて生きていける。でもリツカは、”森”にきみが居なければきみを感じられない』
私の息が荒くなっていきます。先程まで怒りで曇っていた視界が透き通り、胸が締め付けられていきます。
『リツカは孤立する。きみと結ばれれば確実に、”森”に囚われる』
「――」
私は、膝から崩れ落ちました。反論、出来ません。今も、リッカの慟哭と行き場の無い嘆きが伝わってきています。もし想いを告げられていたなら、このような事にはならなかったでしょう。
でも、問題は暫く経ってから、です。
リッカはきっと、本当に……”森”に篭ってしまう。お互いの人生を楽しむと言っても、リッカはきっと、”森”以外に目を向けなくなる時がきます。
最初こそ、旅の経験から色々と試みるでしょう。でも……私がそうであるように、リッカは私を求めます。
それは本当に、リッカの幸せなのでしょうか。
今の状態は、後悔している段階です。だからここを乗り越えれば、お互いの人生を歩めるでしょう。だって今の私達は、”人”として私達は結ばれていません。魂が繋がっているだけの、友人でしかないのですから……。
「……」
(きっと二人共結婚はしないだろう。だけど、”森”にだけは篭らないで欲しいんだ。やっと世界に目を向けてくれたのだから、その感性を殺して欲しくない。何より、今のリツカは……)
アルツィアさまの考えは、分かりました。リッカの本当の幸せを願っての行動だったという事も。
でも私は、リッカと……結ばれたかったです。私は森に囚われても良い……リッカの想いが、欲しかった……っ!!
その後アルレスィアは呆然と湖を眺め続けたが、その場を離れた。その間もリツカは泣き続けていたし、戻ろうともがき続けていた。だから、アルレスィアが湖を離れたのは、これ以上はリツカが風邪を引くと考えたからだ。
一先ず家に帰るようにと、自分が離れる事で伝える為に。その後姿しか見えなかったが、アルレスィアが大粒の涙を流していたのは、想像に難くない。
「戻って、来……アルレスィアさんだけ……?」
エルヴィエールが最初に気付いた。
「巫女姉さン……? リツカお姉さんは……」
リツカの荷物を持ってきたレティシアだが、その手は震えている。
「……アルツィアさまに、強制送還されました」
「どういう事だ。アリス」
ゲルハルトが思わず尋ねる。集まって来た全員聞きたい事があったようだが、顔を上げたアルレスィアの表情を見て、何も言えなくなった。
「何も出来ないまま、お別れになりました」
余りにも痛々しい、作られた笑顔。それは昔、アルレスィアが作っていた表情だ。笑顔が何か知らなかった幼少期、笑顔の練習と称して作っていた。
外側は綺麗な笑顔だが、周りの者を安堵させる事は出来ない。
「しばらく、ひとりに、してください。ごめんなさい」
涙は流していなかった。目尻も頬も赤くなっておらず、普通の者なら騙せる笑顔だった。
だけどどう見ても――絶望していたのだから。
何が起きたのか分からず、呆然とアルレスィアの背を見送る。この背中に声を掛けられるであろう唯一の者はもう、この世界には居なかった。
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