私と彼女④
―――えっ? 言葉の意味が分からず、聞き返してしまいます。
「どういうこと、ですか?」
そんなはずはないです。私は森に何もしていない……。私が居たからなんていうのはただの……慰め――。
「リッカさまが巫女の役割を継ぎ、森と契約してくれたからこそ、”結界”が維持されていたのです」
私は、話を聞くことを選択しました。思っていた言葉は全て飲み込みます。
きっと他の誰かの言葉なら、一蹴していたでしょう。ただの慰めだと……。でもアリスさんは、優しいけど……軽い気持ちで慰めたりはしないと、私の深い部分が叫んだのです。
「”結界”とは、守る力です。外敵からの攻撃、悪意を遮るのです。”神の森”にとっての敵、悪意とは、開発による森林伐採、開拓でしょう。”神の森”を守る、手を出さない。そういった気持ちを生み出すように設置されたのが、”結界”です」
思えば、”神の森”以外の森を躊躇なく潰していったのに、居るかどうかもわからない神さまに配慮して残すのは……おかしいですよね。いくら昔からの風習とはいえ、殆どないようなものでしたのに……。
「この”結界”は巫女によって維持されます。巫女が、しっかりと約束を守っていれば問題なかったのですが……」
アリスさんの顔がほんのり、赤く染まりました。
「ちょっと、待ってください……。まず”結界”がなくなって、”神の森”がなくなるとどうなるのですか?」
赤くなった理由は察しています、なので少し間をあけようと質問を始めます。
だって、その話は私の事も――熱くなる顔を無視し耳を傾けます。
「は、はい。……コホン。まず普通の森と”神の森”は違います。普通の森がなくなっても、直ちに影響が出ることはありません。長い年月を経て土地が痩せたりなどはありますが。それが世界の、その土地に住むものにとって必要なことであれば、仕方がないのかもしれません。心苦しくはありますが、人が生きるとはそういうものであると思っています」
アリスさんが悲しむように話を続けてくれます。
これは、私も思っています。感情では許せませんが、割り切っている部分も、あります。人が生きるという事は、森や動物にとっては毒なのです。
「ですが、”神の森”はそうはなりません。もし”神の森”がなくなれば、その土地は即座に――死にます」
死。私は砂漠を思い浮かべました。ですが、ことはそんなに単純ではなかったのです、
「土地の死。草木が枯れるのはもちろんですが、人も死にます。その土地にあるもの、生きるもの全て、死にます」
繰り返すようにアリスさんが死を告げます。その顔には、痛みを我慢するような、そんな悲痛がありました。
私はすぐに、答えることができませんでした。
土地の死の真相、それがどういうことなのか測りきれていないという事に加え、そう語るアリスさんの顔がまるで、自身に起きた出来事であるかのように悲しさに歪んでいたから。
「ただの死であるならそれは、いずれくる未来です。ですが、土地の死による死は、本当の死です。魂も残りません。そこにあったもの全てがなくなるのです。想いも、なにもかも」
魂、想いという言葉は、アリスさんにとって特別な意味があるのでしょうか。それが無くなるという事こそ、人の死なのだとアリスさんは言いました。
何もかも無くなるという言葉に篭められた”想い”は、気軽に頷ける代物ではありませんでした。
「楔なのです。”神の森”は。世界と土地をつなぐ重要な役割があります。そして神さまが世界に干渉するための場です。”神の森”がなくなると、結びつきが強い土地が死に、世界に神さまが干渉できなくなります。”神の森”にこの森、”神林”ほどの力を感じなかったのも、無理ありません。リッカさまが継いだとき、ほとんど結界が壊れていました。リッカさまが継がなければ……」
沈黙が、物語っています。死。森から町へ、町から国へ、国から世界へ。何れ世界は死んでいた……。
「神さまが干渉できなければ、緩やかに世界は衰退していきます。穀物などの恵みの異常に始まり、人が生まれなくなります。緩やかに、ですが確実に人類も生物も消えていきます」
アリスさんの説明は続きます。
あの森が、そんな役割を……。やはり私は、自分を嫌ってしまいます。ただ自分の欲を満たすだけの物と思っていた事が、自分の中で澱んでいるのです。
「神さまが世界に干渉することは、ほとんどありません。ですが、どんなものにも調整は必要です。リッカさまの世界でも、大災害や戦争などが起きることがありますね? それは調整の合図です。その合図を受け、神さまが調整を行っていくのです。この作業ができなくなると、ご想像通りの未来へと向かいます」
破壊された街を治すことが出来ずに生活水準が下がっていく、人は減り、食料もできずに人が、死んでいく。緩やかな、それでいて確実な……死。
「災害や戦争は、勝手に起きてるはずですよね。それが合図でいいのでしょうか。調整が必要な段階で何も起きなかった場合見逃すのでは……?」
私は漸く、一つだけ質問をすることが出来ました。調整の合図が曖昧な物過ぎると、思ったのです。何より世界では、戦争が毎日の様に報道されています。今も……危ないのでは、ないでしょうか。
顔を曇らせ、鎮痛な面持ちのアリスさんは、唇をかみ締め何かに耐えるようにしています。
何に耐えているのかは、今の私には、わかりませんでした。でもそれが、私には本当に……辛かったのです。アリスさんの、その表情を見ると……自分の事のように……。
「……起きないということは、ありません。絶対に」
搾り出すように発せられた言葉には、静かな怒りを含んでいました。
アリスさんが始めて見せる怒りに、何かを感じて私は思わず一歩下がってしまいます。
「っ! す、すみません。決してリッカさまに怒ったわけではないのです。――災いは確実に、起きます」
私へのフォローをいれつつ、小さく深呼吸をはさみ、祈るように、アリスさんは続けます。
私のせいじゃなかったんだ、よかった……。
「災いは、”人々の悪意”によって引き起こされます」
悪意、”神の森”や”神林”を守る結界が遮っているものも悪意でした。私の知る悪意という意味だけでは、なさそうです。もっと何か、深刻な……?
「悪意が森を壊さぬよう、”結界”をはっているのはこのためです。悪意は確かな意思をもって、神さまへ牙を向けます。神さまが言うには、えっと、構ってほしい子供が駄々をこねているようなもの。だそうで」
突然喩えが、コミカルになりました。その言葉だけは、誰かにいわされたような違和感があります。
「私たちは、神さまに創られた存在です。そんな人間から生まれた悪意は、母たる神さまに構ってほしいと、いうことです」
そ、それはアリスさんが怒るのもわかる、かな? 神さまを深く信奉しているアリスさんにしてみれば、身勝手な悪意の所為で世界は、危険に脅かされているのですから。
「ですが、神さまが構ってあげることはできません。神さまには神さまのルールがあるのです。これを破ると神さま自身が…………溜まりに溜まった悪意は、大きく膨れあがります。この悪意が弾けた時に起きるのが、災害です。そして戦争など人が起こす出来事は、この悪意に当てられた人々の奥底にある、本人の悪意が呼び覚まされるために起きます。ですから、絶対におきるのです」
アリスさんは噛み締めるような表情で一息に言い切ります。
災害とは、悪意が溜まり、”世界の死”の影響が表面化した物。戦争は、悪意が人の根っこを呼び起こし、凶行に走らせた物。災害の発生はまだしも、戦争はどう足掻いても……人の欲が、巻き起こすのですね……。
神さまならきっと、この悪意をどうにかできるのでしょう。しかし、ルールを破った際のリスクは、アリスさんの表情から察するに、神さまの……。