世界⑧
巫女二人が眠りに就いて三日目。二人はまだ起きず、レティシア、カルラ、カルメ、エルヴィエールは頭を抱えていた。
「まさカ、お医者さんに逃げられるとは思いませんでしタ」
「なの」
エルヴィエールとカルメが連れて来た女性の医師は、昨日と今日で五人程となる。その全てが、アルレスィアとリツカを見て逃げて行った。
曰く、失敗したら大変。曰く、点滴用の魔法が弾かれてどうしようもない。曰く、玉体に傷をつける事は出来ない。曰く、見る事すら出来ない。曰く、近づくだけで動悸が起こる。
”巫女”の存在感に気圧されてしまった結果だ。”神化”により神に最も近づいた二人には、並みの覚悟では触れる事すら出来ない。
レティシア達は【フリューゲル・コマリフラス】により想いを手に取った者達だからか、そういった存在感に耐性が出来ているようだ。しかしそれでも、二人の存在感を感じている。
何とか近づいて治療を頑張ろうとしてくれた医者も居たが、魔法が弾かれてしまって帰ってしまった。
「魔法が弾かれるのは、アルレスィアの”拒絶”なの?」
「ですネ。リツカお姉さんを守るためなら何でも出来るのでハ? と思ってましたけド。無意識下で魔法を操るとハ……」
「でも、どうしたら良いのかしら。このままじゃ栄養点滴も出来ないわ」
エルヴィエールの言うとおり、このままでは餓死もありえる。水の有無もあるが、三日から一週間程度は生きる事が出来るだろう。現状、二人の血色は良い。でもそれが何時まで持つか分からない。
「仕方ありませんネ。私がやりますカ」
「シーア、”治癒”系は苦手でしょ?」
「栄養点滴程度なら何とかなると思いまス。多分、私の魔法以外通さないでしょうかラ」
レティシアがリツカの頬に”水球”を落とす。もし”拒絶”が働けば弾かれるが、レティシアの魔法はリツカの頬を濡らした。
「点滴について学んでくるのデ、お出かけはもう少し待って欲しいでス」
「ええ。コルメンス様にお願いしてくるわね」
「それならわらわは皇女に連絡するの。他国も参加したいだろうし、その猶予期間という名目でいけると思うの」
行動が決まった所で、カルメも予定を話そうと手を上げた。
「わらわは二人が目覚める前に、エセファに行こうと思っていますので」
「ツルカさんですカ。あの”桜”を見れバ、流石のディモヌも理解するでしょうけド」
「ツルカさんとは直接話して、いくつかお願いをしなければいけませんので」
「そういえばそんな事をお城で言ってましたネ」
問題が次々と解決される中、ディモヌはまだ根強い。カルメの耳に入ってきた報告では、フゼイヒが活発に動いて回っているそうだ。恐らく【フリューゲル・コマリフラス】を利用して、更なる布教活動を進めているのだろう。
「金銭面と村の安全。人々の悪意制御の為のディモヌという装置。それがツルカさんの行動理念ですので」
すぐに行動しなければ、ディモヌの勢力が増えてしまう。カルメはもう出る準備を終えていた。
「目覚めたアルレスィア姉様とリツカ姉様に、良い報告が出来るように務めますので」
「そんじゃ、俺が護衛につくか」
護衛の時間割と、会談の出発日時の確認に来たライゼルトが、カルメの護衛を買って出た。
「良いんですカ」
「ツェッツは動けんしな。城の守りはフランカが主導する」
「よろしくお願いします!」
すっかり元気になって、ライゼルトの副官となっているフランカが敬礼する。窮地に陥らない限りはフラフラとしているジーモンでは、フランカの心労は軽減されなかったのだろう。
選任になったばかりで、カルラという要人の警護を任されて異国までやってきた。義務感と、カルラに対する敬意と忠誠心で何とかしていたが、やはり辛かったのかもしれない。
「フランカなら安心なの。でも、ライゼも怪我人なの」
「見た目だけなら一番の重傷者なんですよネ」
「見た目だけだ。完治しとる。つぅか今更だろ」
「それもそうですネ。カルメさんは任せましたヨ」
「ああ」
ライゼルトを連れ、カルメが出発したのがアルレスィアが目覚める前日だ。
その後レティシアは、医者から点滴の仕方を習い二人に施した。カルラとエルヴィエールは会談に向け準備をしながら、巫女二人の回復を待った。
そして翌日。アルレスィアが目覚めた。
「……ん」
目が覚めたアルレスィアは、幸せの中に居た。
「リッカ……」
一度失いかけた自分の全てが、目の前に居てくれる。
(体の状態から見て……四日程でしょうか……)
体の怠さを感じながらも、アルレスィアはリツカの背を撫でた。すると、レティシアやカルラがどんなに引っ張っても外れなかった腕が、脱力した。
(そういえば昔……アルツィアさまに、王子様が迎えにーとか、お願いしましたね……)
アリレスィアがリツカに馬乗りになり、頬を撫でる。
(その際、王子かは分からないと言われましたけれど……そうですね。お姫様でした)
眠るリツカ頬にキスをする。
「貴女さまの世界では、お姫様はキスで目覚めるそうですけれど……」
リツカの唇に触れるかどうかという位置で、アルレスィアの手が泳いでいる。
(ここへのキスは、まだ……)
ぽふっと、アルレスィアはリツカの胸に顔を埋める。我慢出来ない気持ちを表す様に、ぐりぐりと顔を左右に振りながら。
「気付いてないの」
「気付いててやってるかもしれませんヨ」
「見せ付けられてるの」
ゆっくりと体を起こしたアルレスィアが、ギギギギと後ろを向いた。幸福感か、はたまた羞恥からか、アルレスィアの顔は真っ赤だ。
「まさカ、本当に気付いてなかったんでス? いつぞやのリツカお姉さんみたいに感知がなくなったんじゃ……」
「こほんっ。いえ、余りにも広範囲を感知出来るようになっていたので、この部屋だけの感知に切り替えていただけです」
”神化”の影響で広範囲を感知出来るようになった。寝起きでその感知は負担が大きい為、部屋の中だけにしていたようだ。
「なるほド。範囲外だっただけですカ」
「はい。ですからまずは、皆さんの記憶を”拒絶”させていただきますね」
「誰にも言わないからそれは止めてくださイ」
「アルレスィア。わらわ達もしていいの?」
「カルラさんのお願いでもそればっかりはお断りさせていただきますっ!」
まだ体が本調子ではないアルレスィアは、よろよろとリツカを抱き寄せる。この二人はリツカを気に入っている為、したいと言った事は本音だ。
「大体、お二人の仲も発展したご様子ですし、リッカは私だけのリッカです。カルラさんにはシーアさんが居るではありませんか!」
「シーアは抱っこさせてくれないの」
(流石にキスは恥ずかしいの)
「抱っこだけじゃなくて変な事しようとするからでス」
(キスはまだ早いです)
二人の仲が良くなったのは感じ取ったが、キスするかどうかまで進んでいるとは思っていなかったアルレスィアは、何が起きたのだろうと首を傾げている。
(というより……キスをするかどうか迷っているという事は、そこから見られていたって事じゃないですか……)
アルレスィアは考え至り、リツカの寝顔を一度見詰める。
(……リッカへの想いを隠した事はありませんし、今更ですね)
リツカの安らかな寝顔に心が落ち着いたのか、アルレスィアは短く息を吐くと、いつも通りに戻った。
「リツカお姉さんはいつ頃起きそうでス?」
「三日後くらいになると思います」
(やはり、私の方が先に目覚めてしまいましたね……。”神化”前のダメージが大きすぎました……)
”神化”後に人を超えた力を手に入れたが、人を辞めた訳ではない。流した血も、傷ついた体も、消耗した魔力も、自動に回復なんてしない。
「そうですカ……。起きるのを待っていたかったのですけド」
「王国西へ行くのですね」
「はイ。途中でカルメさんを拾ってから向かいますかラ、帰りは五日後くらいになるんじゃないかト。お二人が気にしているであろう神隠しの事も調べたいですシ」
「それは……いえ、余裕があれば、よろしくお願いします」
「合点でス」
これから飛行船で出発する。途中エセファでカルメとライゼルトを拾い、王国西に直行するようだ。帰りはゾルゲに立ち寄り、神隠し被害者の者達に尋ねる時間を取る。巫女二人は先の戦いで、これだけが気懸りだった。
「シーア。起きたって本当?」
エルヴィエールがひょっこりと顔を見せる。
「お久しぶりです。エルさん」
「ええ。良かった……」
エルヴィエールがほっとした表情を浮べ、アルレスィアの傍までやってきた。リツカを大事に抱き締めている姿は微笑ましい。
「本当はもっと、シーアと一緒に皆を御もてなししたいし、ゆっくりさせてあげたいんだけど……」
「いえ。会談は私達ではどうしようも出来ないので、よろしくお願いします」
「ええ。二人の想い、ちゃんと伝えてくるわ」
エルヴィエールの決意を受け、アルレスィアはにこりと笑む。リツカと自分の願いは、エルヴィエール達が理解してくれている。そして見ている先も同じ。むしろ会談の成功を祈り、労いたいと思っているくらいだ。
「執事には巫女さんの言う事を聞くように伝えておきますけド、他に必要な物があれば言ってくださイ」
「ありがとうございます。ですけど、今の所必要な物はありません。私達の荷物も持ってきてくれているようですから」
アルレスィアにとっては、リツカさえ傍に居てくれれば、そこが荒野であっても楽園だ。
「シーアさんもまだ疲れが取れていないようですけれど……皆さんの護衛、お願いします」
「お任せ下さイ。途中でお師匠さんも拾いますからネ。負け無しですヨ」
「もちろんです。負けるなんて思っていませんよ。食事の管理だけは気をつけて下さいね?」
「もう”書き込み”してませんからそんなに食べませんヨ」
(ここ数日で知ったけど、シーアは結構食べるの。手料理作ろうと思ったら大変なの。料理出来ないけど、なの)
アルレスィアは柔らかい表情で微笑む。笑顔はいつも見ていたはずなのだが、レティシアは思わずどきりとする。”神林”集落を出た時には既に翳りを見せていたから無理も無い。この笑顔が、アルレスィアの本当の笑顔であり、リツカが取り戻したかった表情だ。
「留守は任せましたヨ」
「はい。しっかりと守ります」
リツカの傍から離れないアルレスィアがどうやって、という疑問が三人にあった。だけど、アルレスィアの瞳には力がある。その目を見ただけで、大丈夫と思える力だ。
「それじゃ、行って来るわね。アルレスィアさん」
「はい。帰りをお待ちしています」
フランカとウィンツェッツを部屋に呼び治療を行った。その足でカルラ、エルヴィエール、レティシア、ウィンツェッツ、フランカは会談に出席する為に旅路に着いた。
会談のルールに則り、エルヴィエールにはレティシアが、カルラにはフランカが、カルメにはライゼルトが護衛として入る。ウィンツェッツは船の番でも良いからと付いていった。城の中が暇だったのだろう。
アルレスィアはリツカの体を清め、着替えをした後ゆったりと過ごした。