光⑩
「なぁ、母さんの最期の言葉。もう一回聞かせてくれ」
「……何でだ」
「良いからはよしろ」
「……お前を守れ、だ」
「違ぇ」
眉間に皺を寄せたライゼルトが、マクゼルトを一蹴する。
「母さんは――恨むなっつったんだろ」
「何言っとる。お前が知るはず」
「知らん。だがな。母さんはあんたの事を誰よりも理解しとったはずだ。そうなった時、俺を守れってのは違和感しかねぇ」
睨み合ったまま、ライゼルトとマクゼルトは語らう。
「母さんは確かに俺を心配しただろう。だが、一番はあんただ。目の前に居たあんたを心配した」
「この……ッ」
「トゥリアの馬鹿共に怒りを感じてたあんたを止める為に、あんたに言ったんだろ。恨むなってよ」
マクゼルトが攻撃に移れないでいる。無防備でマクゼルトを糾弾しているライゼルトを見たまま固まってしまっている。
「俺の事ももちろん心配だったんだろ。あんたが俺を生かしたのが何よりの証拠だ。だがな。母さんは誰も恨むなっつったんだろがッ!!!」
「黙れ……ッ!」
「あんた。死者の想いなんざ分からんと言った。だが、母さんの言葉を無碍にしたな」
今度はライゼルトが怒る。
「あんたが分からんのは死者の声じゃねぇ。母さんの想いだ」
「ッ……」
「リチェッカの献身に母さんを重ねたな」
「んな訳……ッ!!」
ライゼルトの言葉に揺れるでもなく、マクゼルトは怒りを露わにする。
「母さんも嘆いたろう。あんたの悲しみに、トゥリアからの仕打ちに。だが、母さんはあんたと俺を守るために……恨むなと言ったはずだ」
「お前に、何が分かる。ライゼ」
「分かる訳ねぇだろ」
ハッと、ライゼルトはマクゼルトの怒りを一笑に付す。
「これは俺の願望だ」
ライゼルトはマクゼルトを真っ直ぐ見る。
「母さんならそう言ってくれると思っとる。そして――あんたもな」
「……」
「かかって来い。大馬鹿親父」
チリッ。ライゼルトの”雷”が奔る。
「俺が――俺達が、母さんのとこに葬ってやる」
ライゼルトの言葉にマクゼルトは目を見開き、レティシアは肩を竦める。
「リツカお姉さんの影響、お師匠さんも受けてるんじゃないですかネ」
「かもな。カカカッ」
ライゼルトとレティシアの様子を見ながら、マクゼルトは怒りの表情のまま様子を見ていた。だが――ピンと、脳裏に浮かび上がる。
(阿呆孫、何処行った)
「――ッ!!」
思い至った時、マクゼルトの頬が斬れた。
「とんだ……役者共だ――!」
「いいや。本気さ。俺達は」
「あなたが手抜きしてるっていう話を証明するなんテ、こっちが勝つくらいしかないのデ」
パッパッと、マクゼルトの視界の隅に何かが映る。
「こりゃ――ライゼのッ」
「俺のじゃねぇな。元々こいつの為のもんだ」
(チッ……! やっぱこいつは見えん……! ただの疾風の連続なんだろうが……上手い事俺の死角に入ってきよる。しかも、そこに居るってのを俺が知っとるという事を知っとる)
マクゼルトが狙うのは疾風の切れ目。そしてウィンツェッツはマクゼルトの死角を上手く使って疾風の継ぎ目にしている。そこを狙っているマクゼルトの事は良く理解しているだろう。だから、そこでカウンターを狙うはずだ。安易に手を出せない。見えない攻撃と読めない動き。つまりウィンツェッツは、マクゼルトを檻に閉じ込めた。
「結局名前は何にしたんでス」
「ウィンツェルシュナ」
「やっぱり聞くの止めておきまス」
「おい、まだ途中だぞ」
(阿呆の阿呆みてぇな会話が聞こえるな。チビとライゼなら気を抜くなんざねぇだろうが、阿呆爺を荒立てんなッ!!)
特に何をするでもなく、ウィンツェッツが作り出していく”風”の糸による檻を眺めている。マクゼルトのイラつきも頂点に達そうとしている。
(リチェッカの行動も、魔王の阿呆にも、思う所があるのは認める。だがな、リチェッカとアイツを重ねたってのは認めん。お前等に、あいつ等に想いがあるように――)
「俺にもある」
「馬鹿親父……終わりにするぞ」
「ああ、そうだな。俺の覚悟を、ここで確かなもんとする……お前を今度こそ――殺してな」
片腕だけで戦っていたマクゼルトが両腕を解放する。まだ完治はしていないが、腕を落としてでも勝たなければいけない。あの時殺せなかったライゼルトを殺し、自らの甘えを斬り捨てる為に。
「阿呆爺が」
マクゼルトは迂闊に攻撃はしてこない。だが、今は迂闊でも何でもない。素の戦闘力はリツカやリチェッカと同格。
右手を突き出し、ウィンツェッツの顔面を狙う。リツカのように”疾風”を感じ取る事は出来ないが、それを越える反射神経と運動能力がある。見てから、感知と第六感を操るリツカに追い縋る。人外の技が。
(チッ……!)
「話す暇、ないでしょウ」
拳が当たる寸前、分厚い氷がマクゼルトの前に出現する。マクゼルトにすれば吊るされた紙を殴ったようなものだったが、ほんの少し鈍った。ウィンツェッツはその隙に”疾風”に入る。
戦いは、そういった物だ。刹那の瞬間で命が散る。
(レティシア・エム・クラフト。まだ隠し玉がありそうだな)
レティシアが瓶を”風”で作られた領域に投げ入れていた。だが、ウィンツェッツを手伝うのはここまでだ。
「レティシア」
「分かってますヨ。お師匠さン」
レティシアとライゼルトは傍観している訳ではない。時を待っている。
薄っすらと、この部屋に霧が立ち込め始めていた。レティシアが起こした”激流”。その水がこの霧を作り出しているようだ。
(サボリさんの言いたい事も分かりますけどネ。お師匠さんを殺す覚悟と言いました。私達もあなたを殺す覚悟をしています。ですが、同じ覚悟でもマクゼルト……あなたのは違う)
(あんたは……逃げてんだよ。母さんの死から。過去でも、今でも生きれんあんたは、未来に逃げてんだよ)
「お前に――明日なんざねぇッ!!」
ウィンツェッツの体が躍り出る。最初の一撃に全てを込め、白刃を煌かせた。
狙いは心臓。今までの太刀筋は見られた。その中で唯一行っていない攻撃。しかしそのリスクは、余りにも大きい。
(突きか。心臓狙いだな)
狙いが分かっていながら、マクゼルトは避けない。あえて受ける構えだ。
(少しズラすだけで良い。刀の自由を奪い、ぶん殴らせてもらう)
刀がマクゼルトに襲い掛かる。真正面だが、ウィンツェッツの方が早い。受けるつもりがなくとも、避けられなかっただろう。
ギリギリでマクゼルトが体を反らす。刀は心臓を狙っていたが、少し当てが外れてしまっている。マクゼルトが構え、刀が刺さった瞬間ウィンツェッツの腹を殴るだろう。それだけでウィンツェッツはこの世から細胞一つ残さず消える。
「――」
刀の切先が、マクゼルトに刺さった瞬間だった。
「――な、に?」
落雷がマクゼルトに襲い掛かり、足元の水と相まって体がブスブスと音を立て焦げていく。
刀には”雷”がかかっていたようだ。心臓に刀が突き立てられていく。だが、マクゼルトは拳を振るいウィンツェッツを殴った。
「ッ……!?」
カシャン、と音を立て、ウィンツェッツが文字通り粉々となる。しかし、何故か背後から刀が心臓目掛けて突き立てられた。正面から刺された刀まで、自分の意思をもっているかのようにマクゼルトの体を貫通せんと勢いを増して沈み込んでいっている。
「……あっけねぇもんだな」
口から血を吐き、マクゼルトは嗤う。嗤いながら、目の前で膝をついたウィンツェッツを見ている。今蹴りを見舞うだけでウィンツェッツは死ぬが、マクゼルトは動かない。
「奥義ってのは、敵を殺すための技じゃないんか」
「俺が一度見せた奥義。あんたは警戒し、油断したろ。対処法を知っとるし、弱点も分かっとるからな」
「奥義が囮か」
レイメイ流奥義を囮とし、この作戦は始まっていた。奥義で決める。その思い込みがマクゼルトの目を曇らせた。
「何を、した」
「サボリさんを守った時、同時に鏡を作っておいたんですヨ」
「俺の刀入りのな」
ライゼルトの言葉にマクゼルトは、二人を見る。確かに……いつの間にかライゼルトの手から刀が消えていた。
「あんたがツェッツと思って殴ろうとしたんは、鏡に映ったそいつだ」
「その奥義。背後から攻撃があると思い込んだあなたハ、予定通り現れたサボリさんに殴りかかりましタ」
「鏡に仕込んだ刀には俺の”落雷”が込められとった」
「鏡から取り出シ、サボリさんの動きに合わせて射出しましタ」
「成程。この霧も、鏡と本物が分かり辛くする為に」
刀は弾かれても良かった。マクゼルトに触れるだけで、落雷が襲い掛かる。だがマクゼルトはその身に受けて対応した。
「そんで、まんまと背後を取ったお前が」
「……突いた。一対三で納得いかんが、阿呆爺の捻じ曲がった性根を叩き直す為だからな」
「ハッ……こんくらいで直ったらマリスタザリアになってまで生き長らえたりせん」
足元を埋める水に、マクゼルトの血が滲んでいく。ゆっくりと、じんわりと、まるで花を咲かせるように……人と同じ色のそれは、漂っていた。