折れた心⑤
「お前等、そんな事より問題があるぞ」
「敵か」
「いいや。飯はどうすんだ」
余りにも神妙な面持ちでライゼルトが言うものだから、ウィンツェッツは身構えていた。しかし何の事はない。お腹が空いたのだ。
「朝から何も食べてませン」
「お前が巫女にあんな提案するからだぞ」
「あんな状態のアイツに、飯作ってくれとかお前……言えるんか」
「……」
落ち着いて現状を話してくれたが、憔悴しきっていた。レティシアはその姿を見るのは二度目だが……リツカの復活を信じて待っていた一度目とは違い、どうにも出来ないという表情が浮んでいると感じた。
「もう一人忘れてませんかネ」
「あん?」
「私が作りますヨ。丁度和食にも挑戦しようと思っていたところでス」
レティシアがマントを脱ぎながら船室に向かおうとしている。それを見たウィンツェッツは口角を、ヒクつかせていた。
「おい。いっぺん作ったヤツにしろ」
「一度出来た物を作っていては練習にならないでしょウ」
やれやれ、とレティシアが肩を竦める。小馬鹿にされた気がして、ウィンツェッツからプツンという音が聞こえた気がした。
「腹が膨れりゃ良いんだよッ!」
「おやおヤ。それが人に物を頼む態度ですカ?」
「こっちは乾燥肉齧ってるだけでも良いってんだ」
「まぁ待て、ツェッツ。レティシアが作りてぇってんだから良いじゃねぇか」
ライゼルトがウィンツェッツを宥めるが、散々味見という名のお仕置き受けたウィンツェッツの怒りは止まらない。
「どうせなら上手いもん食いてぇだろ。アルレスィアもリツカも、コイツの飯は美味いっつってたぞ」
「俺に阿呆程味見を強要した結果だがな」
「相変わらず食の細ぇやつだ」
「じゃあお前が味見しろよ」
「楽しみは後に取っとく派だ」
「初めて聞いたぞ阿呆」
多少食べ過ぎになるくらいならウィンツェッツがここまで嫌がるはずがない。何かあるのだろうとライゼルトは考え視線を逸らしている。
「何を遠慮しあってるんですカ。心配しなくても胃袋が二つあるんですから両方使いますヨ」
「……」
「……」
初の和食という事で、試行錯誤をしたいのだろう。味見役は一人よりも二人が良いという所か。
「行きますヨ」
「待て」
「遠慮――って訳ではなさそうですネ」
ライゼルトが刀を持つ。
「ライゼさん」
「分かっとる」
伝声管からアルレスィアの声が聞こえてくる。向こうでも感知したようだ。
「お前はそこに居ろ」
「しかし……」
「聞こえとるぞ」
「っ……」
アルレスィアが息を呑む。伝声管に一番近いライゼルトには聞こえているのだ。アルレスィア達の部屋で今、リツカが泣いている。そして小さく……か細い声が聞こえてくる。
「いぁ……ないで……アリ、ス……」
「リッカ……」
「俺等だけでも大丈夫だろ」
ライゼルトが船から降りていく気配がする。このままでは三人だけで戦う事になるだろう。
「リッカ……私は……」
「……っ……」
リツカは分かっている。アルレスィアもまた、じっとはしていられないという事を。旅の中で、王都での生活で、アルレスィアも変わったのだから……。
「私も、行くよ……」
「ダメ、です」
「戦う、よ……」
「ダメです……!」
アルレスィアを一人で戦わせるわけにはいかないと、リツカがよろよろと刀に向かって行く。しかしアルレスィアはリツカを抱き締め、止める。
「そんな状態で戦うなんて、自殺行為です。命を……命を大切にしないリッカは……っ嫌、い……です!!」
「ぅ……う、ううぅぅ……」
リツカが膝を折り、跪く。声を上げて泣くリツカの後ろ姿を見ながら、アルレスィアは青ざめ、震える。
「必ず戻ります。だから……」
リツカの返事を聞かずに、アルレスィアは部屋を飛び出していった。リツカは一人、部屋の中で涙を流し続ける。刀に手を伸ばそうとするが、力が入らないのか地面に突っ伏してしまうのだった。
「嫌……も……し、は……」
外で戦闘音が鳴り始め、リツカの声は飲まれてしまった。
「ライゼさん」
「結局来たんか」
「はい」
「馬鹿娘二号。お前……」
「行きます」
どういった経緯でそうなったのか想像出来るのだろう。ライゼルトがため息を吐く。何しろアルレスィアの瞳は潤み、声は震え、青ざめたままだったのだから。
「今のお前も戦わせる訳にはいかん」
「やります」
「はぁ……」
心にもない事を言ったアルレスィアの精神状況はガタガタだった。まともに戦えるとは思えない。
「そこから”光”を撃て」
「はい」
アルレスィアが頷くのを確認し、ライゼルトとウィンツェッツは敵陣に突っ込む。数にして二十程度だが、質が高い。昨日もそうだったが、アルレスィアの”光”があった為楽だっただけなのだ。アルレスィアの参戦は喜ばしいというのが本音だった。
「巫女さんは自分を優先させてくださいネ」
「そう、させて頂きます」
杖をぎゅっと握り締めるアルレスィア。その脳裏にはリツカが泣き崩れた後姿がこびり付いて離れない。膝を折った姿など、アルレスィアでも見たことが無かったのだ。
ほんの一瞬、アルレスィアは油断してしまった。
「…………ッ」
「しま――ッ!」
船の影から、一体のマリスタザリアが飛び出す。アルレスィアも気をつけてはいたが、油断した一瞬で鳥の影から船の影へと移動されてしまった。
(リッ、カ……)
”盾”で防ぐか”疾風”で逃げるか。アルレスィアは迷ってしまう。普段ならばどちらも使わずに避け、その後”盾”を作るといった選択を取ったのだろう。しかし、アルレスィアは冷静ではない。
それにアルレスィアは、いつもはリツカが居たから、と思ってしまった。
(私も、頼りすぎでした……)
支え支えられ、ではない。アルレスィアはリツカに頼っていた。と思考が止まってしまう。リツカだって、アルレスィアに頼る事は多々あるというのに。
(貴女さまの負担……だったのでしょうか……)
アルレスィアは自身の存在に疑問を持ってしまった。リツカに対する負い目から、心に亀裂が入っていく。
足が止まり、下唇を噛む。アルレスィアが悲しんでいる。
「巫女さん逃げ――――っ!?」
「馬鹿、娘ェ……!」
リツカが苦しんでいる時、アルレスィアは何時も寄り添っていた。そしてその、逆も――。
「……っ!」
上から降ってきた何かが、アルレスィアの頭を殴り飛ばそうとしていた腕を斬りつける。斬り落とそうとしたのだろうけれど、浅い傷をつけただけだ。その何かは、消える直前の火みたいな……赤い髪をしていた。
「リッ、カ……何で……」
「っ……!」
突き放すように戦場に出たアルレスィアは、今のリツカが来るはずが無いと本当に思っていたようだ。実際戦えるはずがない。敵を見る事すら出来ない程に衰弱しきっているのだから。
「……っ! ……!」
舞踊とも言える流麗な剣戟は見る影もなく、駄々っ子が木の棒を振り回すような動きでリツカは戦っている。魔法が使えないのか、振る度に体がよろよろとして、見るからに痛々しい姿だ。
必死。その気持ちだけで、目を瞑り刀を振り回している。
しかし、一瞬でもマリスタザリアの動きを止めた事で、間に合った。
「オラァ!!」
ライゼルトが刀を一閃させ、首を刎ねた。
敵の絶命を感じ取ったリツカが、刀を手放しアルレスィアに抱きつく。
「嫌わ、れても……いい……」
我慢していた。しかし一度でもリツカのお荷物なのかと思ってしまったアルレスィアは、耐え切れなかった。
「ぁ……あぁ……っ!」
戦闘中にも関わらず、アルレスィアはリツカを抱き締め嗚咽を上げる。自分の発言を後悔しているのだ……。
アルレスィアはただただ……リツカにとって自分という存在の大きさに、咽び泣く。
「嫌ったり、しません……しません、リッカ……」
負担であるはずがない。荷物であるはずがない。リツカに頼りすぎているなんて事もない。
リツカはそんな事、思ってもいなければ考えた事もない。敵が勝手に言った事でしかない。
「レティシア。水で囲っとけ」
「はイ。傷をつけるだけで良いですヨ。私が内側から炸裂させまス」
「ああ……!」
巫女二人を水の柱で囲み、レティシアが敵を捕捉していく。精神と魔力に大きな負担をかける事になるが、無防備な二人をそのままに、長々と戦闘出来ない。
(大体、このタイミングで敵が現れた事自体怪しいなんて物じゃありません。思いつくのは、リツカお姉さんの状態を確かめようとしたって所ですか。その為の戦力にしては多すぎますけど、リツカお姉さんを誘き出す為に戦力を割いたんでしょうね)
レティシアが思考を纏めながら、集中していく。傷は付け終わったようだ。魔力の奔流が起き、一帯が大爆発に呑まれる。数多の断末魔の中、レティシアは水柱の中で二つの嗚咽を聞いた。二人で声を押し殺そうとしているのか、本当にか細い。
レティシアは、戦闘が終わっても水柱を暫く解こうとはしなかった。きっと二人は涙を、見られたくないだろうから。