折れた心④
「……」
「お前ぇが後悔しても仕方ねぇだろ」
甲板でぼーっと遠くを見ているレティシアに、ウィンツェッツが話しかける。
「そうはいってモ……」
「ツェッツの言うとおりだ。お前が落ち込んでも仕方ねぇ。リツカは隠すのが上手すぎた」
リツカの心労に、レティシア達は気付いていた。明らかに衰弱していたし、笑顔も消えていた。しかしリツカならば大丈夫と信じきってしまっていた。
レティシア達がリツカの心が折れそうと感じたのは、ケルセルガルドの一件からだ。それまでは「気にしているけれど、立ち直ってくれている」と思っていた。
でも実際は、ずっと抱え込んでいた。
「アルレスィアにはまだ何かあるみてぇだからな。今は静観しとけ」
「私達は頼りなかったのでしょうカ……」
「あん?」
レティシアが考えているのは、ゴホルフの言葉だ。ゴホルフはレティシアに「信頼されていないのではないのか?」と言われた。それが今になって、気になっているのだ。
「お前は阿呆か」
「何でス……」
ウィンツェッツが吐き捨てる様にレティシアに言う。
「あの阿呆が何を考えてるかなんざ、普段なら分からんがな。こればっかは分かる」
「……それハ、何ですカ」
「あの阿呆。お前も辛いのに自分だけ落ち込む訳にはいかねぇとか、お前は頑張ってんのに自分が頑張らないのは失礼とか考えてんだよ」
ウィンツェッツに言われ、レティシアがハッとする。
「一本取られたな。レティシア」
「……です、ね」
レティシアも確かに辛く、落ち込む事もある。しかしレティシアもまた、リツカのお陰で奮い立っていたのだ。それに、レティシアは感情を発散するタイプだ。
「リツカはこの世界の人間とは違ぇ」
「はイ……リツカお姉さんの様に、抱え込む人は稀でス」
「巫女が近ぇが、アイツもどこか割りきりが良い」
「溜め込む前に割り切る。俺等はストレスが化けもんを呼ぶってのを本能的に理解してたからだ」
「良く言えばさっぱりした性格デ、悪く言えば薄情でス」
リツカが感じていた。この世界の人々の特性だ。ストレスを溜め込みすぎないように、どこかで折り合いをつける術に優れている。だけどそれは精神的強さからではなく、どこか後ろ向きな逃げによるものだ。
ストレスは悪意を生み、マリスタザリアを呼ぶ。世界の人々は本能的に気付いていた。しかしそれをしっかりと理解出来たのは、アルレスィアが世界に知らせた時だ。それまでに人々は、あらゆるストレスを発散する術を身に着けた。時には薄情ともいえる程に、無頓着ともいえる程に、感情を捨てる事になる。
なので、今まではマリスタザリアも月に一体出るかどうかだった。しかし今は、悪意が澱み過ぎる。何より悪意が自分で意志を持っているかのように自己増幅しているのだ。
「今でこそ減ってきたが、俺達もそういった所がある」
「あの阿呆を理解しきれなかったのも無理ねぇ。アイツもどっかで割り切ってるもんと思ってたからな」
自分と違う者を理解するのは難しい。ましてやアルレスィアのように、心が読めない者では尚更だ。もしリツカが溜め込まずに相談していたら、今とは変わった未来になっていただろう。
「巫女さんがまだ隠している何かガ、関わってくるのでしょうカ」
「だろうな」
「……」
「お師匠さんまさカ……?」
「いや。まだ確信が持てねぇ」
ライゼルトは首を横に振る。そこで、”巫女”二人の話は終わった。三人はアルレスィアが話してくれるのを待っているのだ。
「もし……もしリツカお姉さんが立ち直れなかったラ……」
「そん時は、俺等だけでやるしかねぇ。これも俺等がアイツに頼りすぎたツケだ」
ライゼルトは、自分がいかに無謀な事を言っているのか分かっている。それでももう、リツカに頼るのは止めるべきだという考えを変えるつもりはないようだ。レティシアも、その方が良いと頷いている。
「無茶だろ……」
「弱気だな。どうした」
「何だかんだで、俺ももう一月はあの阿呆を見てる。アイツ抜きでどうやって勝つってんだよ」
リツカには頼らないと言うが、その道は険しい。一行の要はアルレスィアだ。しかし、戦闘となるとリツカの比重は常に重い。だがそれは、リツカに丸投げしている訳でもなければ、サボっている訳でもない。そうするしかないのだ。
「アイツの回復を待つのが確実だ」
「それハ……分かってますけド……」
「だが、それは難しいだろうな」
アルレスィアが感じた事を、ライゼルト達もまた感じていた。リツカは確実に、ケルセルガルドと子供達の為に無茶をしようとする。あの状態で戦っても死ぬと分かっていてもだ。
「自分で折れたと言った癖に……怯えた瞳をしとった癖に……アイツはやろうとするだろう」
「心が折れてモ、リツカお姉さんはリツカお姉さんでス……。私が尊敬しテ……目標にしているお姉さんでス」
リツカという少女はそうなのだと、これだけは確信して言えるのだ。この最終局面で心が折れてしまったリツカを攻める事は出来ない。むしろ精神力に瞠目してしまう。
「つまり、どうすんだ」
「アルレスィアが来たらまた言うが、明朝発つ」
「……分かりましタ」
「結局か……。覚悟は、しといてやる」
リツカが死んでしまうという事態は避けなければいけない。アルレスィアも同じ気持ちという事は聞くまでもなく、同じ行動をする事も想像出来る。この場合アルレスィアをどう守るかだろう。
「後でお前が治療して証拠隠滅ってのは」
「気付きますヨ。というよリ、この船から巫女さん一人で離れる事すら許さないでしょうネ」
「もういっそ巫女抜きの方が良いんじゃねぇか。赤ぇの以外にゃ無理だろ」
「私達だけでは魔王と戦えませんヨ。実体があるかどうかすら分からないのニ」
「そんじゃいっそ、リツカも連れて行くか」
「真面目に考えてますカ? リツカお姉さんを殺す気ですカ」
「冗談だ。冗談」
腕に刀を突き立てられていたにも関わらず、アルレスィアの危機を感じ……刀を抜き反撃に出たと聞いている。今でも、アルレスィアに傷をつける訳にはいかないのだ。それにリツカは確実に、身を挺して庇う。魔王の戦力は未知数。そんな場にリツカを出す訳にはいかない。
「お二人が親子って今実感しましたヨ」
「あ?」
「あん?」
「私はリツカお姉さんと巫女さんが心配で仕方ないんでス。これ以上ふざけるようなら明朝まで氷漬けにしますヨ」
「すまん」
「やめろ」
(どうせならリツカお姉さんの前でしてくださいヨ。望み薄ですけど笑ってくれるかもしれませんシ)
昨日戦いが終わった後、リツカは一応笑みを見せている。力のない物であったが、微笑みながら謝罪していた。その笑みは余りにも痛々しく、アルレスィア達の言葉を詰まらせたのだ。
レティシアも、リツカの本当の笑みが見たいのだ。
「今だから言うがよ」
「おい。止めとけ馬鹿」
「いいや。言わせてもらう」
「何でス」
「面倒臭ぇ二人って話だ」
我慢していたのだろう。常々思っていた事が爆発してしまったようだ。
「二人で完結しとるからな。面倒って事ぁねぇぞ」
「心を痛める事はあってモ、面倒と思った事はありませン。一心同体とはお二人の事を指すんだと思いますけどネ」
自身が少数派と悟ったのか、ウィンツェッツはため息をつき不貞寝をし始めた。
「言っておきますけド、私達だから気付けてるんですヨ。他の人ならただ仲の良い二人ってだけなんですからネ」
「人を見る訓練をしてねぇと、あいつ等の表情すら読めねぇからな」
諭すように二人がウィンツェッツに語りかける。
「お前の観察眼も鍛えられたって事だ。リツカに感謝しとけ」
「……そういう話じゃねぇ」
「サボリさんはもっと感謝しても良いと思いますヨ」
「ふざけるなっつぅ話はどうした」
「真面目に感謝しろという話をしてるんですヨ」
結局いつものように言い争いを始めた二人を、ライゼルトは苦笑いで眺めている。塞ぎこんでも仕方がない、と。リツカとアルレスィアを支えるのだから、自分達はいつも通りが一番なのだ。
先程、この世界の人々は悪意を溜めない様に努め逃げていると言ったが、ライゼルト達は気持ちを切り替える術として利用しているようだ。塞ぎ込んだ気持ちを戦意で追い出す。これを逃げとはいえないだろう。
(あの馬鹿娘は、何で溜め込むんだろうな。アイツの世界でも、追い出すくれぇ普通だろうに)
もう一つ。この世界に限らず、逃避は精神衛生上必要な行為だ。向こうの世界でもリツカ程感情を溜め込む人間は居ない。どこかで折り合いをつける。だけどリツカは、物心ついた時からずっと……隠している物がある。
この世界に呼ばれなければ、いつまでも隠しておけただろう。だが、運命はそれを許さない。リツカはアルレスィアと出会う為に生まれてきたのだから。