名のない国⑩
「エンリケさんと接触を図ってみるとかは……どうでしょう」
一応、聞いてみます。
「リツカさんには申し訳ないのですが、それはありえませんので」
「そう、ですよね……」
「ああ、でも」
カルメさんが扇子をパタンと閉じ、セルブロさんを見ました。
「お時間を頂けるのであれば、明日にでも」
「ツルカ氏との面談を二日遅らせるので」
「分かりました」
カルメさんが私を見て、片目をパチリと閉じました。カルラさんの為に最大限の譲歩をしてくれたのです。私は頭を下げ、頬が綻んでいる事に気付きました。
「愚物が居ても何かが変わるとは思えませんが、共和国をフラフラされても迷惑なだけですので」
「ありがとうございます。カルメさん」
船に残っていて、皆が捕まる場所にいたと仮定します。何か見ているはずですし、何か聞いているかもしれません。些細な事でも良いので、覚えていてくれたらな、と思っています。
「護衛はジーモンさんとフランカという新人さんみたいでス。フランカさんは女性ですかラ、カルラさんに同行したのはフランカさんでス」
「船に居るのはジーモンさんって事になるね。もしかして?」
「希望的観測ですけどネ。私はそれなりにジーモンさんにの事信頼してるんですヨ」
ずぼらさんと呼んだりとしているのは、ある意味では信頼の証なのかもしれませんね。
「船に何か伝言を残している可能性があるという事ですね」
「はイ。徒労に終わるかもしれませんけド」
「情報は少しでも多い方が良いので。セルブロ」
「心得ております」
セルブロさんにばかり負担をかけてしまいますけど……よろしくお願いします。王国選任冒険者としての意地が、私達にはあります。ジーモンさんもきっと、何かを残せているはずです。
「ジーモンか。懐かしいな」
「オルデクに行けるつってはしゃいでたぞ」
「まぁ、男なら仕方ねぇな。あいつ独身だろ」
「……」
「あ、やべ」
「リツカお姉さン。酔っ払いは放っておきましょウ」
「え。う、うん?」
ジーモンさんの話で酔っ払い組みが盛り上がってましたけど、アリスさんに睨まれてからは水を浴びたかのように大人しく……。
「姉様も行ったんですよね」
「はイ。私の友人が付き添ったので大丈夫でス」
「それなら安心ですね」
アリスさんも、私がオルデクに行くのを心配していましたね。ドリスさん達のお陰で、下衆以外で困った事はなかったんです。
エンリケさんの事をセルブロさんに任せるという確認をして、食事を終えます。今は外が見える高欄でお茶を飲んでいる最中です。お酒組みは……コップを持っています。どう見てもお酒ですよね……?
「それでは、明日の予定を少し話しておきましょう。ご老人の説得とケルセルガルドを目指す、でよろしいでしょうか」
「うん」
カルメさんのお陰で、そのまま北上して良い事が分かったのです。最大限活用させていただきます。
「ご老人の名前はクロジンデ。七十八歳の女性です。夫と息子に先立たれ、一人でウルという村に住んでいます」
「その村も、そうなんですよね……」
「はい。すでに、クロジンデさんだけです」
ここからそんなに離れていない場所に住んでいるそうです。偶に様子を見に兵を送るそうなのですけど、これから国を広げるに当たり、兵を少しでも効率的な活用したいと思っているとの事。
確かに、一人しか居ない村に兵を派遣し続けるのは無理があります……。この国に入ってくれるのが一番です。その説得を私達にお願いしたいという話でしたね。
「ご家族の墓を放っておけないからという事ですけど……」
「この国は基本的に火葬ですシ、遺骨の移動は可能でス」
「しかし……そんなにも愛していたご家族との思い出の場所から離れるのを、良しとしないのでしょう」
思い出の場所は、特別な物です。台所も、食卓も、寝室も、お風呂場でも。私だって、アリスさんとの思い出の場所を離れる時は寂しさを感じました。また帰れる私達と違って……もしかしたらもう帰れないかもしれないのです。クロジンデさんはそれが、嫌なのでしょう。
「マリスタザリアの習性からすると、この国に来ると思うけど……」
「見つかってしまえば、関係なく襲われる可能性は捨て切れません。やはり説得をするのが一番ですね」
人が多い所に集まるのは、少しでも人を殺したいからです。嗜虐性が強かろうが、残虐性が強かろうが、です。でももし、クロジンデさんが見つかれば……関係なく命を奪われます。
「そんなに生まれ住んだ場所ってのは重要なのか」
「故郷を捨てちまった俺等には良く分からん。場所よりも人間で見とるからな」
カルメさんの話を肴にお酒に興じていた二人が、クロジンデさんに何かを感じたのでしょう。話に加わりました。明日からの予定なので、元々二人も関係しているんですよ。
「死んだ奴の気持ちは誰にも量れん。だが、生きてる奴は少しでも長く生きる努力をするべきだ。それが一番の供養だからな」
「流石。死に掛けた阿呆は言う事が違ぇな」
「生きようとはしたんだがなぁ。剣士娘ぇ、あのクソ親父の弱点教えろ」
「明日の朝稽古の時にでも教えます」
話が脱線しては、予定確認の邪魔になります。でも、ライゼさんが言った事は尤もですね。生きる努力。死に急ぐ事はありません。
「とはいえ、思い出から離れたくないという気持ちは理解出来ます」
「説得の鍵は、思い出との折り合いかな」
この問題が一番の難点なのです。私達は新に思い出を作ることが出来ますけど、クロジンデさんはもう……。過去に縛られた人を解放する、手段ですか……。私に出来るでしょうか……。
「いつまで飲んでるんでス」
私に質問が流されたからなのかは分かりませんけど、お酒を再びガブガブと飲み始めた二人に、遂にシーアさんが突っ込みました。そのまま止めて下さい。
「まだ半分だぞ」
「そうですネ。私の腰に届きそうな瓶の半分ですネ」
「座ったら隠れるんじゃねぇか」
「魔女娘、座ってみ」
ダメです。シーアさんも絡まれてしまいました。
「はぁ……」
「絡み酒って奴でス」
「私達だけで話を進めましょう」
こんなに飲んで……漢方じゃどうしようもないですよ……。カルメさんは楽しそうに笑っていますね。国作りに、私達への対応に、カルラさん達の対応……もしかしたら、今の時間を楽しんでくれているのかもしれません。
シーアさんやカルラさんもそうでした。同じ歳の頃の友人が居るというだけで、楽しい気持ちになれるのです。
カルメさんが許容出来る範囲で、私達も許容しましょう。
「ケルセルガルドですが、最北部の森の中という事しか分かっていません。というより……森の中を知っている人が居ないのです」
「居ない、ですか?」
「入った者は悉く、帰って来ていません」
そうなると、今まで聞いたケルセルガルドの情報は一体……どこで手に入れたのでしょう。
「皆さんが知っているのは、入り口で追い返されたか、逃げる事が出来た人だけです。中まで入って帰って来た者は居ません」
凶悪、ですね。不法侵入者として処罰されるという事ですか。入り口で追い返されると言う事は、話は通じない事はないのですよね。
「詳しい場所が分からず、魔法とアルツィア様を嫌っているという事しかお伝え出来ない事、心苦しく思います……」
「いえ、それだけでも大きく違います」
魔法を見せなければ会話は出来る。それが分かっただけでも違います。後はケルセルガルドがあるという場所を目指しながら、住民との遭遇を狙うのが良いですね。出会えれば何とかなります。
「ただ、遠くから見た限りでは……森に異変が起きています」
「ア」
「お」
「森に、異変?」
そうですか。ケルセルガルドがある付近には森が広がっているのですか。そしてそこに異変があると。
「一体何が起きているんですか? まさか火事……? 除草剤を撒いたとかでしょうか……。それとも森がこちら側に広がって? そんな素敵な事になっているのでしょうか。いえでも魔王が関わっている可能性があるんですから……。どんな森かは分かっていないのです。でも森なんですよね。じゃあ、やはり……私の出番ですね。どのような異変なのでしょう」
「え、えっと」
「リッカさまは、”神の森”と”神林”を知った時から森が大好きなんです。草花や木々を愛で、森を全身で感じられる事を喜びに」
「あ……アリスさん。流石にちょっと恥ずかしいかなって……」
また少し白熱していたようです。久しぶりだったので、つい。
「王都で皆さんを調べた者の話にありましたが、ここまでとは」
(ここまで可愛らしいものとは思いませんでした。凄い森好きというのは聞いていましたが、面白い光景なのかと思っていたので)
泣いてしまった事もそうですけど、気が抜けすぎです。カルメさん相手なら問題ないという気持ちはありますけど、羞恥まで諦めていません。
「森の異変ですが、広がっている訳でもなく、火事でもありません。ただ、除草剤? というのは近いかもしれません」
「草を枯らして、庭の手入れなんかをする薬剤ですね」
「でしたら、それです。今森が枯れています」
枯れている……。”神の森”や”神林”は枯れないので、枯れた森を見たのはトぅリアが初めて、かもしれません。また見ないといけないのですか。木の一生というのであれば、良いのですけど……。異変ですから。
「それもただ枯れているのではなく、木や草が白くなっているのです」
「白く……カビでしょうか」
うどんこ病と呼ばれる物があります。胞子は光合成を邪魔し、草花を弱らせるのです。それならばまだ異変とは言えません。きっとこちらでもしばしば見られる病気でしょうから。
「それが……まるで、白骨化と言いますか……。近くで見ていないので詳しくは……」
白骨化……? 化石化とは違う、んですよね。珪化木というのがありますけど……あれは地表に眠ってますから……。
「自然では置きませんね。間違いなく、魔王です」
「かな……。ケルセルガルドの人が魔法を使わないのなら、そんな事出来るのは魔王だけだから」
森を虐めるとは……何のためにそんな事をしているのでしょう。神さまを敵対視しているのなら、”神林”を白骨化させる手段を模索して……? でも私達は、マクゼルトとゴホルフが”マリスタザリア”と呼んでいる事を聞いています。
マリスタザリアとは、全てを愛している神さまがつけた名前です。そこに込められた意味を私は知りませんけれど……神さまと敵対している者が、それを使うでしょうか。
私は……絶対に使わないと思います。散々苦しめられました。何度も殺されかけて……。
全て問い質します。その上で……”お役目”を遂げるんです。
それが、アリスさんとの……別れの始まりであっても……。