カルラの旅―フランジール③―
(カルメも、もっと素直になれば良いのに、なの)
紅茶を一口飲み、カルラも妹を想う。いつも自分に”蠱惑”をかけ、良いように玩んでいた妹だ。それが、カルラに対する不器用な愛情表現であった事は、知っている。だからといって、危ないという言葉に偽りはなかった。
(リツカ達にも発症しちゃうだろうけど、アルレスィアが居れば大丈夫とは思うの。ただ……リツカは少し心配だけど、なの)
リツカは警戒心が強く、その精度もずば抜けている。しかし、信頼すればその限りではないのは言うまでもない。
(カルメは悪癖を除けば本当に良い子なの。初めから悪癖の赴くままなら大丈夫だろうけど……やっぱり気になるの。シーアから連絡が来たら、やっぱり本当の事を――)
カルラが禁を破る算段をつけていると扉が開け放たれた。
「何事ですか。ノックも無しに入るとは――お兄様」
「……皇姫カルラ」
(シーアが言っていた、元老院を纏め上げる……エルヴィの兄なの)
扉を開けたのは、エマニュエル。継承権争いに破れ、元老院の長としてエルヴィエールの邪魔をしている。
「お前は黙っていろ。皇姫と話がある」
(何やら切羽詰っています。お兄様が体裁を取り繕う事すらしないとは)
「何なの。わらわはエルヴィと親交を深めているの」
「これからもっと出来ます」
エルヴィエールとカルラが顔を顰める。
「カルラさんこちらへ」
窓に近づき、エルヴィエールが詠唱を始めようとする。ここからカルラを逃がすつもりのようだ。
「動くな」
兵が部屋に入り込む。既に臨戦態勢だ。逃がすくらいなら、怪我をさせてでもという覚悟が見えている。
(後ろ向きな覚悟なの)
カルラが無表情になっていく。逃げ道はない。話を聞くしかないようだ。
「貴方達……何を考えているの? お兄様、貴方は……フランジールに対する想いだけは、同じと思っていたのですが」
皇姫に無礼を働く。その意味が分からないエマニュエルではないはずだと、エルヴィエールは訴えかける。
「……お前には関係ない。急を要する。皇姫カルラ。貴方には、この国に居てもらう」
「理由を話すの」
「連合といえば、貴方には分かるのでは?」
カルラだけでなく、エルヴィエールも理解する。すでに、カルラから聞いた後だ。
「どこから情報が流れたの」
「連合からですよ。貴女がレティシアと繋がっているのも知っている」
(あの豪族、連合に戻って報告はしたみたいなの。そんな事する人間には見えなかったけど、権力に負けたの。でもそこで共和国が焦り、わらわを捕らえる? 協力関係だったはずの二者が、あの豪族の報告で……成程なの)
少ないながらも、情報はある。エマニュエルの暴挙と表情が、カルラに現状を如実に伝えている。
そしてそれは、エルヴィエールも同様だ。
「お兄様……勝手に連合と協力関係を結んだ挙句……裏切られましたね……っ!!」
「協力関係は白紙、連合は王国共和国に侵攻といった所なの。わらわを人質にするのはせめてもの抵抗。一度に皇国まで相手取らないだろうって思ってるみたいなの」
カルラはエルヴィエールという女王に畏敬すら感じている。もしかすれば、その深慮は皇女以上、だと。
状況は至ってシンプルだ。連合と協力関係を結んだ元老院は、裏切られた。連合は王国と共和国への侵攻を選んだのだ。そんな中でエマニュエルに出来たのは、カルラを人質にし、皇国の威光を借りる事だけだった。
(何より皇国は常に臨戦態勢を整えているの。マリスタザリアで混乱している王国と、エルヴィと元老院で争っている共和国とは違うの。だとしたら、わらわの存在は確かに、堰になりえるかもしれないの)
連合にとって今、一番相手にしてはいけないのは皇国だ。皇国の内情を知らないエマニュエルが咄嗟に取った策は、一定の効果は見込めそうだと、カルラは考えている。
「……レティシアが、余計な事をしなければ」
「シーアが悪いわけないでしょう!」
(この様子だと、あの豪族は今回の事に関係ないの。シーアに罪を被せる気が見え見えなの。だったら……議会の決定なの)
エルヴィエールが怒声を上げる。レティシアは確かに、リツカ達と共に豪族ヒスキを追い詰めた。しかしそれで連合が逆切れを起こすはずがない。何故ならカルラの思った通り、ヒスキは最後のプライドだけは捨てていない。
リツカにボロ負けした挙句、訳のわからない魔法で意識を奪われ、カルラとレティシアに論破されたなど言えない。言ったのはせいぜい、自身の策が失敗に終わったという事だけだ。
そして議会は、ヒスキの策などどうでも良いと斬り捨てた。もとより用意していた策にて、王国と共和国を攻める算段がついただけだ。
「どうやら元老院を吸収するふりだったみたいなの」
「そのようですね……。内部抗争を煽り、共和国の防衛に穴を開ける策だったのでしょう。現に今、私を裏切らなかった兵の全てが僻地に飛ばされています」
エルヴィエールが悔しさに目を閉じる。
近隣の敵国は連合。その連合に睨みを利かせるための兵だった。争いを起こさない為に力を誇示する。最低限の防衛機能はしっかりとあったのだ。なのに連合と組んだからと、元老院がそれを解体してしまったのだ。
(反乱因子を遠ざけるのは一長一短なの。確かに目の前の反乱は押さえられても、隠れて準備を整えられるの。例え連合との協力が上手くいっていても、内部抗争に負ける未来しかないの)
反乱を起こしそうな者は近場に置くのが確実な管理方法だ。僻地へ飛ばす行為は一見楽で、すぐに反乱を起こされる心配もない。だが、準備を進められる。そして、頃合を見て食い破られる恐れがある。
「……? まさか、なの」
廊下から物音が聞こえだし、カルラが動こうとする。しかし、足元に”火球”が撃ち込まれ走ることは出来なかった。
「お前達……! カルラ様に何をしている!!」
「っフランカ、駄目なの!」
何人もの共和国兵の叫び声が聞こえる。女性とはいえ選任の証を貰った者だ。金に目が眩んだ兵に、そう簡単に負ける謂れ等ない。
だがいかんせん、数が多い。次第にフランカの詠唱の合間に飛んで来る魔法が増えてきた。
「うぐっ……」
「フランカ……!」
”水球”がフランカの足を包み込み、歩みが止まってしまう。
「がぁ……っ」
そして、フランカに”火球”と”風の刃”が襲い掛かった。
「も……申し訳、ございません……」
「檻に入れておけ」
火傷と切傷を負ったフランカが引き摺られていく。カルラはそれを、憎しみの篭った瞳で見ていた。
(フランカ……っ)
「形振り構ってないの……っ」
「すぐに治療を! 手加減もなく攻撃を……!」
エルヴィエールが命令するが、兵は動く気配すらない。倒れた者達も、緩慢な動作ながらも立ち上がる。フランカは怪我が残らないようにと手加減していたが、兵達は一切の手加減をしていない。
「っ……このままでは連合と王国、共和国と三つ巴となります」
(フランカの様子が気になるけど……なの)
「エマニュエルとやら、エルヴィを解放するの。すぐに王国と連携して事に当たる必要があるの」
「……それは出来ない。コルメンスにはもう書状が送られている」
「書状……? まさか、開戦の報せなの?」
エルヴィエールとカルラの表情が更に険しくなる。
「連合と共闘し、近日中に攻め込むという書状を送ったばかりだッ!」
「一体何故、そこまで連合を信頼出来たの? それとも信頼もなく、裏をかくつもりだったの? 自身の能力を過信しすぎなの」
カルラが一切の遠慮をせずにエマニュエルを罵倒する。
「お兄様は私への敵対心で動いています。そして元老院の殆どは自身の利益の為に。それを利用されたのでしょう」
「どこの兄も、なの」
王族特有の問題かもしれない。長兄が王に即位出来なかった場合の、根深い問題だ。能力主義の皇国とは違い、共和国は基本的に長兄が即位する。しかしそんな中でエルヴィエールが女王となった。それはつまり、絶対的な能力差を見せ付けられたようなものだ。
「伝言紙を返しなさい。コルメンス様には私から話します。その書状の提出を待っての作戦だったのであれば、戦闘の意志を手放せば良いのです。そうすれば連合も開戦に踏み込むのが遅れる。その間に講和への道筋を立てる事も出来ます。このままでは戦う以外の選択肢を用意する暇すら、王国にはありません!」
強制的に戦争へと巻き込む作戦に、納得出来るはずがない。コルメンスと話をし、一刻も早い解決を目指したいのだ。
「ならん。皇姫の存在と徹底抗戦を連合に伝える。王国の内情が切迫していようとも、兵は精強。共和国と同時に攻めるのは連合も苦しいはず。そこに皇姫という存在があることで、共和国への攻撃を遅らせる事が出来る」
「王国を犠牲に共和国だけが講和への道を探ると……!?」
共和国だけを守る手段としてカルラを使うと言っている。そして王国は囮として利用される。エルヴィエールがそんな事を許すはずがない。
「エルヴィ。この人は貴女と想いを共にしていないの。共和国という意味を理解していないの」
カルラもコルメンスは他人ではない。この瞬間から完全に、カルラとエマニュエルの間に話し合いというテーブルはなくなった。
「余所者に、何が分かる!」
「共和国とは、共に平和である国なの。長い年月をかけ、少なくない争いを越え、今があるの。そして次は世界との共和を目指していたの。利己的な平和では、軋轢を生むの」
「それが政治だ……! 皇姫という立場に酔っているのか? 小娘である事に変わりはないだろう!」
世界平和。リツカ以外にもそれを考えている者がいる。コルメンス、カルラ、そしてエルヴィエール。世界平和は夢物語。そう本人達も思っている。
だが。
「お兄様。私はその夢物語を追い求めているのです。父と母が目指した、共に生きる世界を」
想い、行動しなければ……実らない。
「ッ……! 皇姫は絶対に出さん……! この部屋に”硬化”をかけよ! エルヴィエールは”硬化”を突破出来ないッ」
「わらわは突破出来るかもしれないの」
「常に監視をつける。おかしな事をすれば、容赦はしない」
(そして罪は連合に、なの。やってしまったの。ここまで愚かとは思わなかったの。思考を止めた人間と、話し合いの場すら用意しない国が相手なの。この状況で戦争を回避する方法……難しいの)
逃げ道を塞がれ、エルヴィエールの部屋は完全な監獄へと代わってしまう。外部との接触も出来ず、戦争回避の為に行動も出来ない。カルラは焦っている。
「カルラさん……申し訳ございません……」
「エルヴィの所為ではないの。せっかくだから、色々と昔話を聞かせて欲しいの」
焦りを隠し、心を落ち着かせる。機はやってくる。それまでカルラは、レティシアの過去を聞きながら待つ事にしたようだ。
「ええ。もちろんです……。貴女の安全、シーアに代わって約束いたします」
「な……なの」
カルラが照れ顔で頷く。エマニュエルに見えぬよう扇子で隠すが、エルヴィエールには丸分かりだった。
「っ」
(”伝言”なの……シーア?)
「どうした」
「何でもないの」
「……”伝言”だな? 出ろ。公開設定でだ」
「……」
”伝言”に出ないのも怪しい。余計な事を言わないように監視するが、”伝言”に出る許可だけは貰えた。
(何とか、伝えたいの)
「レティシア。久しぶりなの」
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