”抱擁”⑪
再び罪を犯すと宣言するこの男が、何故出所出来ているのか。それは、この男が元とはいえ貴族であり、大金を諸々の者達に握らせたからだ。減刑を繰り返し、今まさに世へと解き放たれようとしている。
「同じ、人間とは思えんな」
また悪夢が繰り返される。次捕まるのは何時になるだろうか。憲兵にいくら握らせたかによるだろう。ウドは歯軋りする。本当にこのままで良いのか? 独断で追跡魔法でもかけた方が良いのではないか? 監視を付け、隔離施設に――。
「そうですね。先生もそう言うと思いますよ」
「先生だと?」
急に出てきた先生という人物の話。久しぶりに外の空気を吸ったからだろう。気分が高揚しているイオニアスは上機嫌に話す。ウドは耐え難い屈辱感を押さえ込み、話を聞く。
「もう何十年も前ですか。私がまだ無垢な子であった頃」
「お前が?」
「無垢を知るからこそ、無垢な子を穢したいと思うんですよ」
(そんなはずあるか……クソ……ッ)
「そんな私でも一度は、世界の為にと勉学に励んでいた時があるんですよ」
生まれながらの悪。そうでなければあんな事は出来ないと、ウドは経験上知っている。
(歪んだのではない。目覚めたのだ)
「先生は常に先を見据える方でしてね。この国の問題点を挙げ、解決法を何十と考えたりしてました」
ウドの苛立ちなど構わず、イオニアスは先生という人物を褒め称える。
「様々な法や施設を考えてましてね。私は特に可愛がられましたよ。何しろ貴族ですのでね。将来舵取りをする事になったら、この事を思い出して欲しいと」
(子供の時は真面目だったという話を信じれば、そういった政治的な話ではないだろう)
苛立ち続けても意味はないと、イオニアスの話に集中する。その話から、イオニアスについて何か解るかもしれない。解れば、更生も――。
(ないな。解ったくらいで更生出来たら苦労はない)
イオニアスには何も期待していない。逮捕の際も、裁判の時も、投獄された時も、常にウドはイオニアスを見ていた。その時と今……何も変わっていない。イオニアスは今でも、欲している。幼子を。
「どんな物だったか思い出せませんがね。何しろ途中で先生は捕まったので」
「何?」
大仰に肩を竦める。残念そうには見えない。少なからず敬愛しているように感じたが、先生という人物が捕まった事に一切の感情が見えない。
「王国転覆を狙った反逆者とね。実際過激な物も多かったと、大人達が言ってましたよ」
危険分子として、先生とやらは捕まった。行った事といえば、現政権がいかに愚かなのかと、完璧な説明をしていた事くらいか。更にそれを止めるには革命しかなく、選挙や左遷程度ではどうにも出来ないとも言っていた。
「無垢であった私には衝撃的な光景でしたよ。尊敬していた先生が、大人の保身により連行されている。散々頼っていた私の領民達も見て見ぬ振りだ。あまつさえ、変人で、意味のわからない事を話す異常者扱い」
久しぶりの自由な会話。漸く舌が回ってきたのだろう。ペラペラと話し始める。余程、会話に餓えていたのだろう。
本来であれば、先生を思い、現政権への不信感を募らせたはずだ。言っていた事は正しかったと、正しき道に進む切欠になるはずだったのだ。
しかし、イオニアスは違う。
「私は違う事を思ってました」
雰囲気が変わった事に、ウドは気付いた。この事件がイオニアスが目覚めた切欠だと。
「敬愛する先生が連れされれているというのに、尊厳を傷つけられる先生を見て、私は何というか……興奮しましてね」
初めて、ニヤケ面から表情が変わる。それはなんとも、醜悪な紅潮だった。
「その後大人になるまでもやもやと過ごしましたよ。あの時の感覚は何だったのか、と。実際に、その後も同じ場面に幾度か遭遇しました。その都度興奮する自分が居たのです。ただね、隠しましたよ。自分の性癖を」
人の尊厳が傷つけられ、ボロ雑巾のように扱われる様。それが、イオニアスにとって至高の瞬間だと、愉しそうに話している。
「しかし……大人では満足出来なくなった。これがもし、正真正銘、純真無垢な幼い子であったらどうだったろうと考えたのは……自身の子が生まれた当たり」
「もういい」
目覚めたのは恩師が逮捕された時。無様にも連行され、他者から蔑まれ、絶望に染まった姿を見た時、イオニアスの中で黒い物が滲み出した。それはじわじわと、しかし確実に、イオニアスを変えていった。それでも表立って見せる事はなかった。自分の一部として理解し、只管に隠していたという。しかし……結婚し、子が生まれ育った時……目覚めてしまった。
「もう処刑されているのか、まだ投獄されているのか、何をしているのでしょうねぇ。その姿はさぞ……クククッ」
懐かしむ男の目に黒い物が宿っている。紛れも無い悪意だ。しかし、生まれた瞬間から魔王により吸収されていく。吸収され、更に生まれる。イオニアスは、人間の形をしたマリスタザリアといっても過言ではない。
「……」
「では、そろそろ帰ります。何れまたお会いするかもしれませんが――その時は少しばかり、お世話になりますよ」
また捕まってもすぐに出て行く。その繰り返しだと醜悪な笑みを浮かべる。ウドはもう、我慢が出来ない。握り拳を作り、決意する。例え罪人になろうとも、この場で――。
「ウドさん」
一人の看守がウドに声をかける。止めた訳ではない。何かを運んで来たようだ。少しずつ離れていくイオニアスに歯噛みしながら、ウドはそれを読み始めた。
「待て」
「何でしょう」
負け惜しみでも言うのか? と、イオニアスは慇懃無礼に振り向く。
「巫女様達の提案で陛下に連絡をしてみたが、良い返事をもらえた」
「はあ」
巫女? という疑問はあるが、すぐにでも帰り再開したいイオニアスは気の無い返事でウドを見る。そこには、いつもと同じ覇気で佇むウドが居た。
「お前の特例は取り消しだ。死ぬまで入っていてもらおうッ!!」
「そのような勝手が通る訳が」
「コルメンス陛下の印だ。財を全て差し押さえた上で、貴様の特権を全て剥奪する、とな」
特権には、特例も含まれていた。
「捕らえろ。確実性を重視せよ」
もはや只の罪人へと戻ったイオニアスに、手加減する必要はない。看守六名による拘束が開始された。余程鬱憤が堪っていたのだろう。本来してはいけないことなのだが、暴行が加えられていく。確実性を重視しろとはつまり――殺さない程度に痛めつけても良い、という事らしい。
「人の死は絶対。ならば人生、悔いを残さぬよう過ごせと先生は言っていたが――悔いを残さないなど無理でしょう。ゴホルフ先生」
小さく呟いたイオニアスは、再び檻へと戻る。今度は一生出れない――最奥へと、閉じ込められた。
ボフとグラハの間にて、マリスタザリアを全滅させた巫女一行は出発しようとしていた。
「リッカさま……」
ベッドで横たわるリツカの額を撫でながら、アルレスィアは涙を零す。
「貴女さまはどんどん強くなる。でも、私は……」
一向に成長しない”盾”の魔法。”光”と”拒絶”、”治癒”だけでもリツカの助けになってはいるが……傷だらけのリツカを見ることしか出来ない日々が続いてしまった。アルレスィアにはそれが、耐えられない。
「私は貴女さまに、相応しいのでしょうか……」
答えは帰って来ない。
「きっと貴女さまは、相応しいと言ってくれるでしょう」
しかしリツカならばそう言うだろうと、確信している。
「でも……」
それに甘える訳にはいかない。アルレスィアはリツカの想いを、聞いた。実際聞いた訳ではないが……リツカの唇は確かに、想いを紡いでくれた。
「リッカさま……私も、もっと……私の気持ちに、素直に……」
アルレスィアの唇が、リツカの額に触れる。短く、本当に触れるだけのものであったが……アルレスィアは一歩前に、進む決意をした。
「たったこれだけの、触れ合いでも……」
カタカタと震え、アルレスィアは涙を流して微笑む。
「魔王を斃せたら、今度はちゃんと……目を見て……」
アルレスィアも覚悟を決める。どんなに……思う所があろうとも、しっかりと向き合うと。
「貴女さまも……次は、まどろみの中ではなく……」
もしかしたら、覚えていないかもしれない。何度目かの死の足音を聞き、想いが溢れてしまっただけなのかもしれない。
「私は貴女さまを――お慕い、申し上げて……おります」
それでもアルレスィアは……はっきりと、告げた。
お互い、お互いの耳には届かなかった告白。しかし、確実に……蕾が生じた。花が咲くのはまだかかりそうだが……。強い幸福感が、アルレスィアを満たしていく。常に想っていた。しかし実際に言葉に出すだけで……こんなにも、溢れてくる。そして、物足りないと、感じてしまうのだ。
(もっと先に……でもそれは、貴女さまと、共に……)
今はこの触れ合いが、アルレスィアにとっての……精一杯だった。