”抱擁”⑩
アルレスィア達が離れている事を確認し、ゴホルフは思考する。
(赤の巫女は……殺せませんでしたか。残念ですが、ここまでですねぇ)
リツカを殺せなかった事を多少嘆きながら、ゴホルフは透明化させた鎖鎌を操る。
(所詮は元学者という事ですか。魔王様にお願いして”傀儡”を仕込んで頂いたのは正解でしたねぇ)
戦った事など一度もないゴホルフが、討伐部隊である巫女一行とここまで戦えた。奮戦といえるだろう。
(魔王様……あなたに拾われなければ、私は世界の爪弾き者のままでした。そんな私に、世界を変える機会を与えてくださった。最期まで見てみたいと思っておりましたが……)
自身の敗北と、何れ訪れる死を明確に感じながら、ゴホルフは鎖鎌の柄に仕込んだ紙を額に貼りつける。鎖鎌の透明化と操作は、これを隠すためでもあったようだ。
(赤の巫女が発動させたアン・ギルィ・トァ・マシュの詳細を――)
貼り付けられた紙に、ゴホルフの記憶が刻まれていく。これもまた、魔王に願い、用意していたものだ。
ゴホルフは自身の実力を過大評価していた訳ではない。徹底的に調べ、勝てるように計画を立てここに居る。しかし、それでも負けるような事態に陥った時、それはリツカかアルレスィアの進化が関わってくる。そうゴホルフは確信していた。
だから、魔王に伝えるための手段を用意していた。しかしリツカと戦う以上、最期には首を落とされるとゴホルフは分かっていた。そうなった場合、自身の口で話す事は出来なくなる。その為の”念写”だ。
(あなたは、神に最も近いお方だ。それなのに、私を捨て駒とする事に難色を示して下さった。人から裏切られた私にとってそれだけで、充分であります。これからの戦いに、私は不要。全てをお返しします)
悪意が抜けていっている。人間であった頃の性格が色濃く出ているようで、先程までの醜悪さがなくなっていく。もしくは……紙に記憶を移している影響で、人を恨もうと考えながらも、諦め切れなかった頃の記憶が表面に出てきたのかもしれない。
(何故、巫女はこちらを見て……?)
真っ直ぐに船に向っていたはずのアルレスィアが、ゴホルフを見ていた。すぐにでもリツカを安静にしたいはずなのに、立ち止まり見ている。アルレスィアからはゴホルフの目が見えないはずだ。気付かれているはずがない。
「私の怨敵へ、光の剣を突き立てる。大罪の輩を私は――拒絶する」
(まさか、私の生存に気付くとは。ですが、ウィンツェッツが私に到達するまでの間に魔王様に届ける事くらい可能ですねぇ)
自身の記憶を魔王へと。その為の時間はあると、”光の剣”を頭部と体へ受けながら考える。止めを刺さなければいけないウィンツェッツはまだゴホルフには気付いていない。
(――ゥグッ……ッ)
だが――。
(まさか、私の”傀儡”を見破って……ッ。こんなに早く……ッ!?)
ゴホルフの意識が急激に遠ざかる。”光の剣”はウィンツェッツが斬れる様にという配慮と思っていた。しかし、狙ったのは”傀儡”の拒絶。死んだと思っていたゴホルフが生きていた。何かカラクリがあると考えるのが普通だが、”傀儡”に思い至るだろうか。
(魔王様……申し訳――)
そう考えたが、最期にゴホルフが思ったのは――魔王への謝罪だった。
「まだ、生きてたのかよ……ッ!!」
「脳と心臓を”傀儡”で操っていたようです。予め魔王にかけて貰っていたのでしょう」
(”硬質化”も”影潜”も、黒の攻撃魔法も、詠唱出来なければ出来ません)
トゥリアの森で、アルレスィア達を攻撃した黒の魔法を使ってこなかった。イェルクが使った闇の砲撃を使えば、此度の戦い……判らなかった。
(魔王から直接的な支援がなければ使えない、のでしょうか))
「レイメイさん。あの人の頭に張り付いている物を取っていただけませんか」
「あ?」
「透明化されています。触れば判るでしょうからお願いします」
(兎にも角にも……リッカさまの情報は渡しません)
ライゼルトを抱えたまま、ウィンツェッツはゴホルフに近づく。首を切り離されても生きていた男に、ここまで簡単に近づいて良いのか? と、ウィンツェッツの歩調は遅い。
「……」
「もう”拒絶”しました。完全に絶命しています」
(そりゃつまり、お前ぇが殺――)
「悪意が北西に向かっています。地図を埋めながら向いましょう。魔王は間違いなく、そちら方面です」
(リッカさまだけに、背負わせたりなどさせません)
言いたい事は山ほどあるウィンツェッツだが、アルレスィアの淡々とした受け答えがそれをさせない。いつも、一番キレている人間が一番落ち着いているという状況。ウィンツェッツには理解出来ない。ここまで感情を抑える事が出来るのか、と。
「これか」
(見えねぇが。確かに何かあるな)
「ありがとうございます」
ゴホルフを気にしながら船に戻るウィンツェッツに対し、アルレスィアはその後ずっと、見る事はなかった。視界に入れる事すら、もうしたくないのだろう。
演技なのは知っている。実際はあそこまで自らの計画や考えを言う男ではない。本来は淡々と、一つ一つ片付ける男なのだ。それが、リツカを追い詰める為に、狂人を演じていた。
人であった頃は、人の世を憂う者であった。多くの者達に説いてもきた。そういった過去は知らずともアルレスィアには、ゴホルフは悪意により歪められたという事は分かっている。だがそれと同時に、魔王への崇敬もあった。リツカに向けた敵意と言葉は本心であった。
ゴホルフの性根は悪である。アルレスィアはそう断じ、同情を見せない。今はただ……リツカの命を腕で感じたかった。
「シーアさんももう疲れきっています。早く船へ。シーアさんとレイメイさんの治療もしないといけません」
「……何の事だ」
「その膝、放って置くと変形して可動域が狭まりますよ」
「……ッ……ああ、後で頼む」
治療、それしか自分には出来ない。アルレスィアは今回の戦いでも、何も出来なかった。そう自分を分析している。アルレスィアは自身の無力さに歯噛みする。最後の最後で共に戦う事が出来たが、もっとやりようがあったはずだ。と……いつものように、考えている。
(共に戦わせない為に、あそこまでの事を……次も、分断を狙ってくるはずです……。早く、遠距離を守れる”盾”を……っ)
想いだけは募っている。しかし……遠くに”盾”を作れない。”拒絶”を混ぜない、ただの”盾”すら、遠くでは強度を生み出せない。
(私では……守れないのでしょうか……)
弱気を見せるアルレスィア。それは腕に伝わり、リツカへと流れる。戦争の時とは違う。リツカは今眠っているだけだ。だから――。
「アリスさん……」
「リッカ、さま……?」
「私……やっぱりアリスさんの事……」
じっと聞いているアルレスィア。しかし、リツカの声は途中で消えてしまう。後たった二文字を、言い切る事が出来なかった。ただその口は動いており、アルレスィアの不安や嘆きは瞬時に――消え去るのだった。
ハーメン。監獄だけで構成された町がある。そこの住民の九割は罪人であり、更生を見込めない者達が殆どだ。
「……出ろ」
そんな中で、出所しようとしている者が居た。看守長のウドは苦渋の声で出所を促す。いつもの覇気はなく、必死で衝動を押さえ込んでいる。今にも、殴りかかりそうな怒気が見えているのか、出てきた男がニヤリと笑った。
「ああ。漸くですか」
髭を蓄え、猫背になり、歩く事すら苦労している。しかし、そこまで高齢という訳ではない。歳にして五十かそこらだろう。
「まぁ、そんな顔しないで下さいよ。次はバレないようにしますから」
男の名はイオニアス。罪状は強姦、殺人教唆、拉致監禁、死体損壊罪、殺人エトセトラ。このハーメンにおいて最高年数である……四百七十年の投獄に、処された者だ。