”抱擁”⑦
「これは……!?」
「……!」
レティシアとウィンツェッツが目を剥く。アルレスィアだけは、薄っすらと笑みを浮かべている。自分の誇りを、見せ付けるように。
「フラス・フラス! 光をのみ込む光よ、私を照らせ。ヴァイス・ヴァイス!」
世界を赤くする程のリツカの魔力が、リツカの背へと集まる。
「赤を抱く白よ、私と共に――強き想いを胸に宿した英雄よ……顕現せよ!」
眩いほどの赤光が、形を成していく。
「私の想いを受け、”私”を抱擁せよ! 【アン・ギルィ・トァ・マシュ】!!!!」
リツカの魔力が力を持つ。その姿を見たアルレスィアとレティシアには、こう見えた事だろう。
「天使……」
アルレスィアがぽつりと――呟いた。
(何だ……? でけぇ巫女が出るんじゃねぇのか?)
【アン・ギルィ・トァ・マシュ】と似たような詠唱であったし、名前は確かにそうだった。しかしウィンツェッツの目には、何も映らない。ただ――力を取り戻し、しっかりと両の足で立つリツカしか見えない。
(レイメイさんには見えていないのですか……? あの、翼が……。それではあれはただの、魔力という事に……っ)
(あれは、魔力が……翼の形になっているだけなのでしょうか。あの翼がリツカお姉さんのアン・ギルィ・トァ・マシュ? てっきり、巫女さんが出てくるものと……)
ウィンツェッツとレティシアが、大きいアルレスィアが出ると思ったのは、アルレスィアの【アン・ギルィ・トァ・マシュ】がそうだったからだ。何よりリツカには片鱗はあった。エアラゲでの決闘の際、リツカの隣にアルレスィアが薄っすらと現れたと幻視した事がある。それはリツカの【アン・ギルィ・トァ・マシュ】が生まれる前兆だったと、二人は思ったのだ。
しかし実際は……リツカの背に、薄い白で覆われた赤い翼が出来ていた。その翼はしっかりとした形をしているが、どこか流麗。白いベールがなければ何時もの様に世界を覆う魔力の奔流となりそうだ。
「まさか……リッカさまが普段、魔法を使う際に迸らせていた魔力を……翼として押し留めているのですか……っ?」
「そんな事、可能なんですカ!?」
「意味あんのか……ッ!?」
ただ魔力を翼の形に押し留めているだけに見える。ウィンツェッツはそれに何の意味があるのかと問う。それに対してレティシアは、魔法ではなく魔力を押し留め続けているという事に驚いている。
本来魔力とは、体外に出ればマナへと還元される。その過程で、言葉と想いによって魔法となるのだ。元々リツカは魔力を砲弾のように撃ち出すという離れ技をしていたが、一瞬だ。翼となって形作られる事などない。
「意味があるかは、まだはっきりとは……しかし、それよりも重大な変化が、起きています」
「……?」
「はあ……?」
アルレスィアに言われてレティシアとウィンツェッツは再びリツカへと注目する。雑兵とはいえマリスタザリアに囲まれた状況でする事ではないが、そうしてしまったのだ。
(あの野朗、動揺してんのか……?)
(マリスタザリアが止まったのですか? これが変化……って訳ではなさそうですけど)
マリスタザリアから攻撃は飛んで来ない。ゴホルフの動揺を受けてしまったかのように、マリスタザリア達はピタリと動きを止めている。
(何故、そんなにも力強く立てるのですか……? もう血が流れない程に出し尽くして――血が、流れていない……!? どういう事ですッ!? 何故、完璧な止血がされて――)
リツカを観察するゴホルフもまた、混乱していた。マリスタザリア達を”傀儡”で操る事すらも忘れている。
このマリスタザリア達のことをゴホルフは、「急造品」と呼んでいた。力を増幅させ、姿を変えるだけの悪意しか込められていない。行動出来るだけの悪意がないのだ。だから”傀儡”で操っていた。それでも、攻撃が当たれば死ぬ。ライゼルトと同じだ。想い通りの行動を取らせる事が出来る。マクゼルトの技術を持たせる事だって可能だ。
しかし今は……リツカに全力の注意を向けなければいけなかった。リツカの今の姿がハッタリではないと、巫女一行を誰よりも評価している故にゴホルフは思考の渦に呑まれた。
「マリスタザリアは……今は止まっているだけです。今のうちに、殲滅を……!」
「……っはイ!」
「チッ……お前ぇも後で教えろよ……!!」
意味深な事を言っておきながら教えてはくれなかった。というより、アルレスィアもその変化に戸惑っていて説明出来ない。出来ないのならば、やる事は一つだ。現状を打破する。アルレスィアは何も――指を咥えて”治癒”だけをしている訳ではない。
「……ほう。アン・ギルィ・トァ・マシュ、でしたか」
(力が溢れてくる。”抱擁強化”よりもずっと……!)
リツカ自身、変化を確かめていた。
(翼……。止血も出来てる。思った通り、”強化”も中に……!)
翼がリツカの意思で動く。左腕から流れていた血は何故か止まっていた。動かないが、出血による死は避けることが出来ている。そして――今まで纏っていた”強化”が、見えない。
(強化を解いて……!?)
気付いたレティシアが、再び驚愕に目を見開く。しかし、それではリツカの力強さの説明がつかない。それも【アン・ギルィ・トァ・マシュ】の効果なのかと考え、頭を振った。
「”強化”とは、纏う物ではありません」
アルレスィアが、レティシアの疑問に答える。
「内から漲らせる物、です。今リッカさまの”強化”は、リッカさまの中にあります」
”強化”を纏う事で、体を外側から強化していた。”抱擁”の一端を手に入れた際、より深く強化が浸透するようになった。しかし、奥底まで届いていなかったのだ。それが今――達した。
(真の”抱擁強化”、という事ですか……! でもそれは、”強化”に対しての想いの差でしかないのでは……? アン・ギルィ・トァ・マシュの効果という訳ではないと思うのですけど……っ)
レティシアによる次の疑問に、アルレスィアは答えられない。アルレスィアも解らないのだ。
(血が止まったのは”抱擁”によって傷口を魔力で包んだから、でしょうか。ではアン・ギルィ・トァ・マシュは”翼”や傷口を覆った魔力の部分に集約されているという事になります)
魔力そのものに訴えかける魔法と、アルレスィアは考えた。
(私の物もそうですけれど、私の特級魔法の特性を色濃く反映しています。ならば、リッカさまの物も……同じく……!)
「またっ……巫女さん気をつけておいて下さイ!」
「はい。しかし……」
リツカを只管に見詰め、アルレスィアはライゼルトに手を翳し続けている。冷静さを取り戻したゴホルフはそれを見ていた。
(ライゼルトの治療は難航しているようですねぇ)
ゴホルフが冷静さを取り戻した事でマリスタザリアは再び活動を再開させた。
(赤の巫女の顔色は悪いままという事はですよ。血が増えた訳ではないのです。ならばやる事に変わりはありませんねぇ。見たところ、巫女のアン・ギルィ・トァ・マシュとは別物。私の硬質化を突破する事など――)
リツカが消え、ゴホルフの思考を止める。その速度たるや、死に掛けの者に出来る動きではない。ピーク……いや、それ以上だ。
(血が足りずフラフラのはずなのに、どこからそんな力が出てくるんでしょうねぇ。まぁ、どんなに早くとも……最終的には私を攻撃するのです。そこを狙いましょう)
自身の防御に絶対の自信を持っている。マクゼルトの全力を多少の怪我だけで終わらせるその防御を、刀があるとはいえ突破出来るはずがない。”抱擁強化”といえども、元は只の人間だ。
(私の後ろですねぇ。最初の一撃は大事ですから、確実に当ててくるでしょう。あの速度、明らかに全盛より速いようですからねぇ)
予想通りリツカが背後に現れる。音もなければ気配もない。完全に死角を突く。しかし、ゴホルフは考えを修正している。消えてから攻撃に移るまでの速度を計り、鎖鎌により奇襲をかける。
更に背後から迫る鎖鎌を、リツカは弾く。
(弾いた? 避けると――――ッ!?)
避け、攻撃を優先すると思ったゴホルフの背に衝撃が走る。確かな痛みは、自身が傷ついた事の証だ。
(な、何です……とォ!? 何故攻撃出来――)
鎖鎌を弾いたリツカは攻撃に時間がかかる。その思いがゴホルフを混乱へと誘う。
(確かに弾いたはず……! ならば、攻撃に遅れが……まさか自身の体で弾いた……? 強化されても防御力は然程上がらないはずでは……!? 何より――貴女は片腕が使えないはず……!!)
肩越しに後ろを見たゴホルフの目には、片腕で刀を再度振り被るリツカが映る。片腕しか使っていない。鎖鎌を弾いた際についたであろう傷も見えない。
(無傷で弾き、片腕で私に傷を……! それが貴女のアン・ギルィ・トァ・マシュとでもいうのですか……!!)
魔力色が見えないゴホルフには翼の存在を理解出来ず、起こった事象により予想するしかない。
しかし、見える者達にははっきりと理解出来た。
「まさかあの翼っテ……!?」
「自由自在に、扱える様です」
ただの翼に在らず。リツカの想いを受け、共に舞い上がる”抱擁の翼”だ。