”抱擁”②
「幹部、ですよネ。マクゼルトを助けタ」
「ええ。そうですよ。あの時は殺し損ねてしまい申し訳ない。今日はしっかりと殺してあげます。もちろん巫女から」
本心かそうでないのか計れない程に軽薄な殺意。しかし、リツカをイラつかせる効果だけは本物だ。
「……おい、てめぇ」
「何ですか? ライゼルト・レイメイのご子息」
「チッ……」
完全に調べつくしていると、言外に告げてくる。そして全て分かった上で、ライゼルトをここに連れて来たのだ。
「さて、誰から斬られますかな。そこはやはり――」
ライゼルトが構える。視線は、アルレスィアを捉えようとしていた。その視線はリツカによって止められているため、交錯する事はないが。
「レイメイさん」
「……何だ」
「ライゼさんを――殺せますか」
「……ッ」
リツカがライゼルトとゴホルフから視線を外さずに、ウィンツェッツに尋ねる。
「殺れってのか。お前ぇ……担当と約束したんじゃねぇのか」
「リツカお姉さン、こればっかりは承服しかねまス……!」
「違うよ。殺す気で、やってって意味」
リツカはまだ、諦めた訳ではない。
「この人は私達を知り尽くしてる。特にアリスさんと私については」
リツカが悠長に説明しているが、ライゼルトもゴホルフも動かない。今のリツカに隙はなく、先に攻撃する利点が少ない事を知っている。しかし、アルレスィアに魔力を練る時間を与えてしまっている。万全の二人を相手にするのは得策ではないだろう。残滓とはいえ、魔王を消滅させた実績がある。
(魔王様ですらわざわざ警告したくらいですからねぇ)
ゴホルフの軽薄な笑みはピクリとも動かない。リツカですら、その表情から何かを読み取る事は出来ない。
「そんな、私達を知り尽くしている人が、ライゼさんを使ってきてる」
「何が言いてぇ」
「もし死んでたら、人質にならない」
生きているか死んでいるかの余地がなくては、人質として成立しない。生きている可能性はあるのだ。
「……リツカお姉さんハ、まだ生きているト、考えているんですネ?」
「そう。単純な戦力なら、マクゼルトの方が良い」
「あのライゼさんならば、私とシーアさん、レイメイさんで止められます」
「私達を怒らせる為だけに連れて来てる可能性もあるけど、それも可能性。だったら私は、生きてる可能性に賭ける」
リツカの覚悟は、信じる覚悟だ。ライゼルトはまだ死んでいない。人質として連れて来たと。
「破綻してますねぇ。そんな幼稚な理論で乗り切れる程、現実は甘く――」
「……ッゥ、ガァ……」
「おやおや?」
わざとらしく、ゴホルフはライゼルトを見る。ライゼルトが呻きだし頭を抱える。
「俺……は……?」
ライゼルトの目が一瞬、生気を取り戻す。
「驚きですねぇ! まさか意識がぁ?」
軽薄な笑みのまま、リツカ達を煽る。
「この野朗……!」
「落ち着いて下さイ。安い挑発でス!」
(完全に操ってるって、事……? 目の光は本物に見えたけど……!)
(……)
ゴホルフの表情や挙動から考えれば、完全にこちらを玩んでいる。しかし、リツカはまだ自分の考えを曲げようとはしない。何より、アルレスィアが落ち着いてくれている。
「リッカさま」
「うん」
「私が、ライゼさんを正気にしてみせます」
ライゼルトは生きていると、ただ意思だけが封じられていると、アルレスィアは断言する。
「アリス、さん」
その言葉にも、根拠は無い。ゴホルフが言ったように、論理的ではない。でもリツカにとって、アルレスィアが自信を持って言ったというだけで――信じられた。
「私がゴホルフを斃すから、ライゼさんをお願い」
「はい。必ず」
リツカの瞳に力が宿る。もうゴホルフの言葉では、揺らぐ事はない。
(おかしいですねぇ。何故あそこまで自信を持てるのでしょう。やはり魔王様が仰っていた事は真実なのですかねぇ)
ゴホルフは初めて、表情を変える。真剣な、物を観察する目だ。恐らくこれが本当のゴホルフなのだろう。軽薄な姿は、相手の感情を引き出すための演技だったようだ。
(眉唾ですがねぇ。相手の心が解るなどと)
ゴトルフがライゼルトの肩を叩く。
「好都合ですよ」
「……っ」
ゴホルフの声が、冷徹な物となる。今までの軽薄さは演技だったと、ウィンツェッツとレティシアは瞬時に理解した。
「レイメイさん。ライゼさんを殺す気で止めて下さい」
「……」
「アリスさんが何とかします」
「……俺はお前ぇ程、巫女を信頼してねぇぞ」
「ならば、ライゼさんを殺しますか」
「……チッ」
それしか道がないというのにまごつくウィンツェッツに、リツカは強い言葉で叱咤する。考える暇があるのなら行動するしかない段階にきている。
「シーアさんも――」
「良いんですカ。相手は幹部ですヨ」
レティシアはリツカではなく、アルレスィアに問う。それは――究極の選択だった。
リツカに傷ついて欲しくない。だからレティシアと共に戦い、少しでも有利に立ち回って欲しい。しかし、アルレスィアが傷ついた時、リツカがどうなるか――誰もわからないのだ。こればかりは、アルレスィアでも想像でしかない。しかし確実に、リツカの何かは壊れる。それだけは、全員分かっている。
「……っシーアさん、こちらへ」
「すぐにお師匠さんをのして来ますかラ」
(ありがとう。アリスさん――)
「それまでに、私の方も終わってるよ」
リツカはもう、振り向かない。レティシアを連れて行ってくれたアルレスィアならば、アルレスィア自身を優先して守ってくれると判ったから。
ゴホルフの横からライゼルトが跳ぶ。真っ先にアルレスィアに向かっていくが――。
「――シッ!!」
リツカの中段蹴りが、ライゼルトの横腹を襲った。
「おま……ッ!」
ウィンツェッツが驚愕に声を出す。傷だらけなのは見ただけで判る。恐らく体の中までボロボロだ。リツカの蹴りなど受けようものならば、生きていても死んでしまう。
「吹き飛ばしただけです」
いくらライゼルトを任せたといっても、無造作にアルレスィアに近づく敵を、リツカが無視する訳が無い。ライゼルトは予想していなかったのか強襲をまともに受け、リツカとゴホルフの戦闘域から離れていった。
アルレスィアはリツカをもう一度だけ見て、ライゼルトの方へ向かう。レティシアとウィンツェッツもそれに倣うが、リツカを見ることはなかった。
相手はマクゼルトより強そうに見えない。ライゼルトによる搦め手を使ってくる相手だ。リツカが遅れを取ると思っていない。
「レティシア・エム・クラフトさん」
「何でス。気軽に呼ばないで欲しいのですけド」
そう言いながらも、レティシアは突然話しかけてきたゴホルフに注意を向ける。リツカが対峙している為レティシアを襲ってくる事は不可能だが、何かしてくるかもしれないという思いは捨てきれない。
「そういえば赤の巫女が魔法を使えなくなった時、貴女、知らされませんでしたね」
「何が言いたいんでス?」
随分と昔の話を出してきたなと、巫女一行は思う。
「いえね。信頼しているとか何とか言いながら、本当は巫女達に信頼されていないのではないかと思いましてね」
信頼しているというのなら、その時に相談されてしかるべきだった。ゴホルフはそう告げる。
あの場合、レティシアが傍に居れば避けられた事が多い。牧場でリツカが戦う必要はなかったといえるだろう。
「あの時、北にマリスタザリアを呼んだでしょウ。リツカお姉さんの状態を知っていてモ、私がそこに行くしかありませんでしタ」
「ええ。それはそうです。しかし、何故告げられなかったのでしょう」
ゴホルフは何故かレティシアを煽る。
「すぐに治る物と思ってたし、あの時は言えなかった」
「ほう?」
「私が起きてシーアさんは、安堵してた。それに……」
「……」
レティシアは少しだけ気になっていた。あの時はリツカが無事で良かったという想いがあったが、何故言ってくれなかったのかと。不安にさせたくなかったのだろうとか、リツカの状態を知る人は少ないほうが良いという判断だったとか、色々と考えてはいたが、気になっていたのだ。
「姉は妹に、弱いところ見せたくないものだから」
ゴホルフは極めてつまらないといった表情をしている。
「散々煽った罰って奴でス。リツカお姉さんの煽りも中々でしょウ」
「私は本気で、言ってるんだけど……」
(何で平気な顔で恥ずかしい事言えるんですかネ。巫女さんからの視線が痛いでス。全く……)
「もう行きまス。無茶だけは駄目ですヨ」
(そのお願いが、無茶だったり?)
レティシアが少し耳を赤くして、アルレスィアの元に走り寄る。アルレスィアの半目に曝されながら、レティシアは戦闘態勢を整えていった。
(とんだ茶番ですねぇ)
レティシアの不信感を呼び起こそうとしていたゴホルフだが、不発に終わってしまった。なのに、ゴホルフの表情は然程残念がっていない。
(まぁあれだけ信頼しているのなら、問題ないですねぇ。予定は変わりません)
ゴホルフの口角が上がった事をリツカは見逃さなかった。しかし、それが何を意味しているのか――今は分からなかった。