”抱擁”
リツカが見つけた鳥のマリスタザリアは一定の距離を飛びながら近づいてこない。
「こっち来ねぇぞ……」
「届きませんカ」
「無理だな。あの高さに対応出来んのはお前ぇか赤いのだろ」
リツカが対応しないのは、先程会話に出た事が脳裏を占めているからだ。
この距離での投げナイフは避けられる可能性がある。ならば近づくしかない。近づくという事は、アルレスィアから離れる事だ。もしその間にアルレスィアが狙われたら? リツカはそれが気懸りで、地上の警戒に意識を割いている。
「私が落としまス。サボリさんは落ちてきた敵に止めヲ」
「ああ」
他のマリスタザリアが居ないとは言い切れない。そんな時、リツカの感知が必要になる。リツカの心情とは関係なしに、空の敵へはウィンツェッツとレティシアでやるしかないと、その場にいる巫女一行は考えた。
その考えは――正解だった。
「あの鳥……私の感知距離を知ってる……? 広域でしか届かない距離を絶対に保ってる」
「私達を観察し続けた魔王の事です。それを調べる事も可能では、ないでしょうか」
(そうなると、あの鳥は何で空に……)
リツカの頭がある結論に至ろうとしている。
「空に、注意を向ける――っ!!」
”影潜”。とっさにリツカが下を見る。鳥の影と船の影が重なっては離れを繰り返していた。
「し――っ!」
下、と言い切る前に、リツカの眉間に向けて何かが伸びてくる。
(刀――!?)
リツカが選択したのは、剣の腹による防御。
「私の強き想いを抱き、力に変えよ……っ!!」
剣で受けると同時に、敵の刀による刺突を逸らす。剣を納め、刀に手を置き”抱擁強化”を発動。すかさず影の中に刀を突き刺した。
(手応え――!?)
刀を持っていかれそうな手応えに、リツカは刀を急いで甲板から抜き、アルレスィアを抱えて大きく離れた。
「……!」
刀の先端に血が着いている。確かに刺さった。なのに、一切の怯みもなく、刀を持っていかれそうになったのだ。
(戦い慣れてる)
相手は痛みを克服している――歴戦の猛者だ。
「上は囮だと……?」
「あのまま飛ばれていたら邪魔でス。いきますヨ」
レティシアが鳥を落とすための魔法を紡いでいく。
(向こうは大丈夫。影の中も、もう居ない)
リツカが顔を少し顰める。右手に痺れがある。
「リッカさま」
刀を左手で構えたまま、右手をアルレスィアに差し出す。剣で攻撃を受けた時に痛めてしまった。”治癒”による手当てが施される。
「相手、強い」
「はい……っ」
戦闘中に治療できるのはこれが最後。リツカはそう、確信した。
先程の攻撃から十秒。一向に二の手が来ない。
「――ォラァ!!」
そうこうしているうちに、鳥のマリスタザリアがウィンツェッツによって両断された。
「敵はどこでス?」
「出てこない。影に注意しておいて」
船底の影に潜んだまま出てこない。
「一旦、船から離れよう」
「影が接触しないのはこちら側です」
影に潜まれないように、慎重に船から飛び降りる。全員が降りた頃、リツカが再び敵を感知した。その場所は、甲板だ。
(目深にフードがあって、顔が見えない……)
「人……?」
リツカは驚愕していた。背の高さは約百八十かそこらだが、確実に人と分かる細さがある。つまり、人の腕で……リツカの”抱擁強化”を引っ張ったのだ。
「サボリさんくらいの背格好ですネ」
「俺の兄弟は全員チビだぞ。百八十越えは本当の親父と俺だけだ」
まだリツカから詳細を聞かされていない二人が軽口を叩く。
「気をつけて下さい。あの人、今のリッカさまと切結べます」
「……何?」
咄嗟の判断とはいえ、リツカが剣で受け、反撃までの時間をロスしていた。普段であれば、避けてからカウンターを入れる。リツカが受けなければいけないほど、鋭かったのだ。
「……」
「リッカさま……?」
「あの人の武器、刀」
刀はこの世に三本しかないはずだ。ここにあるはずがない。
「冗談はよしてくださイ。謝りまス」
「……」
自分達の軽口に乗っただけだろうと、レティシアは言う。しかしその反応こそ、リツカが本当に言っていると思っている事の証左だ。
「鞘と腕だけは私が回収しましタ。敵が刀だけ回収したのではないですカ……?」
「俺が持ってった。王都にあるはずだが」
「……分かっテ、ますヨ」
(私の剣を押したあの感触……)
リツカが口を開こうとした瞬間、敵が消える。”疾風”だ。リツカだけが反応し、”疾風”の出口に刀を合わせる。しかし――。
「……っ伏せて!」
リツカは剣を抜き、地面に突き立てる。そしてその場から大きく離れ、アルレスィアに覆い被さった。
眩い閃光が走り、直後に轟音が鳴り響く。光ってから音が聞こえるまでに決して短くはない差があった。圧倒的な明滅――。
「”雷”……?」
「おい。赤ぇの」
「……」
リツカが刺した剣に雷は落ちた。”疾風”の出口での奇襲。にも関わらず、相手は更に上をいった。
「間違いない。私を知ってる」
「……っ」
刀を剣で受け止めた時から、リツカは気付いていた。それでも、否定したかったのだ。
ライゼルトが敬愛していたマクゼルトは魔王の部下として虐殺まで働いた。そんな変貌、あの人に起こるはずが無いと思いたかった。
敵は、リツカの刺した剣を抜き、遠くに投げ捨てる。そのフードは”疾風”の中で脱げてしまったようだ。
「……ライゼ、さん」
「……」
虚ろな目と、口元から胸にかけて大きな縫い痕がある、ライゼルトが立っていた。
(この可能性を、考えなかった訳じゃない)
(むしろ、これが一番だとさえ……思っていたはずです)
「だからっテ……!」
「……」
巫女一行はこの事実に思い至っていた。しかし考えないようにしていた。マクゼルトも意味深な事を言っていたはずだ。
「アンネさんが、悲しみますよ」
駄目元で、ライゼルトに話しかける。ティモはアメリーの名前を聞いて記憶を取り戻した。ライゼルトもそうではないか? リツカは、一縷の望みにかける。
「……」
ライゼルトは虚ろな目のまま、リツカだけを見ている。
「そう、ですか」
リツカはこの時を想定していなかった訳ではない。
「敵なんですね」
「リツカお姉さん……?」
刀を構え、迷いを拭い去ったリツカを、レティシアが見ている。その後ろで、魔力を練っているアルレスィアも、視界に入っている。
「……やるんですネ」
「その前に、出て来てもらおうか」
リツカが告げる。そして、ライゼルトの背の影が膨らみ、裂けた。
「やはり、気付きますよねぇ」
そこには眼鏡をかけ、白髪の男が居た。男、だ。例えその容姿が、蛇のような白い肌と鱗、舌。鬼の様な二本角に、鹿の様な脚をしていても。
(最初は一つだった……)
「ライゼさんが影の中に居る時も、ライゼさんの影に居た、と」
「ええ。察しが良い。マクゼルトやあの子に見習って欲しい限りだ」
(あの子……。トゥリアで聞いたあの声ですか……)
アルレスィアだけは、「あの子」という言葉に小さい動揺を見せる。
「影の中に居たまま、更にその者が影に入るとですねぇ。なんと……赤の巫女でも感知出来ないんです。これは新発見。やはり偶然の中にこそ新境地は眠っている。引き篭もるなんて勿体無い。私は昔の自分に言いたい」
(私でも、ね)
饒舌な男だ。巫女一行はそう思う。しかしリツカは、男から伸びてきている鎖を踏みつけた。
「おやおや」
「……私の感知範囲を調べたのは、あなたですか」
「ええ。ああ、私の事はゴホルフとお呼び下さい。本名です。後ほど調べても構いませんよ。後があればですが」
鎖を踏みつけたまま、リツカはゴホルフに話しかける。リツカが話しかけた以上の言葉で帰ってくるが、その間も……ゴホルフはリツカを挑発するように、アルレスィアを狙って攻撃している。鎖の次は針だ。リツカが刀で弾く。更に砂の飛礫。リツカは魔力砲によって弾く。
「貴女の感知は非常に広い。巫女が二百メートル程なのに対し、赤の巫女は四百メートルから五百六十メートルです。更に広く出来るんですよねぇ? その距離は三キロ前後ですよ。正確な距離だと思うのですが、どうでしょう」
(……自分でも、そこまで測った事はない。私以上に私を知ってるのは、アリスさんだけで良い)
リツカの怒りは高まっていく。しかし、冷静さは失わない。なぜならゴホルフが肘置きにしているのはライゼルトで、その馴れ馴れしさを見ただけで、ゴホルフの所為でライゼルトがそうなったと分かったからだ。
「あの戦争。お前の立てた計画?」
「ええ。私と魔王様で立てましたとも。ああ、細かい部分は私が立てました。最後に巫女を使って貴女を殺そうと言ったのは私ですよ。良い演出だったでしょう。巫女を守る健気な貴女、血塗れの貴女に呆然となる巫――」
ゴホルフから軽薄な笑みが消える。アルレスィアとリツカ、双方の最大魔力が吹き荒れたからだ。
「余りこういった言葉は使わないけど……」
「私達はあなたを」
「殺す」
魔王に感じた違和感。それを一切感じさせない目の前の男の悪意。リツカとアルレスィアは、激昂した。
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