『ノイス』続・北部の大市⑧
市場を歩く私達を、住民の皆さんが見ています。
(昨日のよりは軽いだろうけどさ)
(どんな魔法?)
みたいな事を思われているのでしょうね。シーアさんが運ぶのが一番ですけど、優先順位の差です。レイメイさんが買う食材、シーアさんが手に入れてくる地図。この街で一番しないといけないのはこの二つなのです。今日中に絶対出立したいのですから、シーアさんを運搬で拘束するわけにはいきません。
新興宗教については、ツルカさんも手を打ってくれるという約束をしています。私達からも釘を刺しておきたいところですけど、無理ならばそれでも……。
とにかく、私達に必要な事は忘れていません。首を突っ込む事も、最低限に抑えます。こうやって……何度も自分に念押ししてないと、すぐに加熱するのが私の悪い癖です。こんなに感情コントロールが難しい状態になるとは、思いませんでした。私もまだまだです。
「感情って、難しいね」
「思い通りにならない、厄介な敵です」
「アリスさんでも?」
「はい」
少し困ったような笑みを浮かべて、アリスさんは頷きました。私にとってアリスさんとは、即断即決、常に私を引っ張ってくれるかけがいのない人で、守りたい、私の全てです。
感情的な私と違って、アリスさんは落ち着いています。アリスさんが感情的になるのは、私が無茶をやった時が殆どです。それが私の感情を、ぴょんぴょんと跳ねさせているのは、余談だったりします。嬉しいというか、誇らしいというか……もう、えっと……キュンキュンです。そうとしか言えません。
脱線しました。そんなアリスさんが、感情で困る事があるのかという疑問はあります。
「昔の私は……言ってしまえば、無感情です。アルツィアさま以外の人には、人形とまで言われました」
人形……感情を出さなかったという事でしょう。エリスさんも、今のアリスさんを見て喜んでいました。
「アルツィアさま相手でも、全てを見せた事はありません」
「神さまでも……」
私の心臓がゆっくりと、鼓動を早めていきます。そういえば、神さまも今のアリスさんを生暖かく見ていたような……?
「私が、制御出来ない程感情を昂ぶらせる相手は……貴女さま、だけです」
「ぁ……ぅ……」
台車がぐらぐらと揺れます。魔法が少し乱れました。目が回り、心拍数が大きく上がります。脳の奥底から汗をかいているような状態が、私の殻を壊していきます。
台車に大事な家具があると脳裏に過ぎらなければ、アリスさんを抱き締めそのまま船に跳んで戻ってしまった事でしょう。戻って、何をしたかったのかは分かりませんけど……すぐにでも二人きりになりたかったのです。
アリスさんが私の頬を撫でます。背筋がゾクッゾクッと震えます。撫でられ慣れて? いる私が、こんなにも……。
「時間さえあれば……リッカさまを抱き締めて……」
頬から首筋、鎖骨、胸……。
「やはり感情は、難しいですね」
腰へ。そして私を抱き寄せ、頬擦りを……。私もやっぱり…………感情のコントロールが、出来ません……。
「私の話、覚えてますカ?」
「あ」
「シーアさん……どうしてここに居るのですか……」
「サボリさんが聞いていタ、この街周辺を知っている人一覧でス」
油断していました。シーアさんに対する接近感知が緩くなっています。それは私の意思で変えたものです。私がシーアさんを警戒する必要がありませんからね。少し残っているのは、エリスさん達に報告するために撮影するシーアさんを警戒しているからです。もしそれがなければ、油断していなくてもシーアさんの接近を気にしたりなんてしません。その警戒すら、今は解かれていました。
「これからも見つけ次第声をかけますからネ」
「はい……」
「う……うん」
少し残念ですけど、シーアさんのいうとおり、余り見られたくありませんし、見せたくありません。
「サボリさんは買い物に行きましたカ」
「うん。地図はどう?」
「北から北西にかけては埋まってきましタ。たダ、北東に在るかは全然でス」
「無いって事かな」
「それがですネ。隠されてますネ」
この街で隠し事となると、デぃモヌですね。これは……北東に何かあります。
「北東に関してハ、巫女さん達の聞き込みに懸かってるかもしれませン」
在るかも、といった曖昧な考えで動く事は出来ません。特に進路に関しては、です。北東の話を聞けなければ、素通りです。
「家具屋さんですら隠すから、教会の人間だと絶対に教えてくれないよ……」
「昨日の出来事で、私達の信頼度は少し上がっています。何とかそれにかこつける事が出来れば良いのですが……」
弱味に付け込むようで嫌ですけど、ここでも昨日の出来事が関係します。魔王の関与が確実とはいえ、自然発生の可能性を捨てきれません。手の届く範囲ならば、様子を見ておきたいです。どんな手を使ってもという奴です。
「デぃモヌは見過ごせても、悪意の被害は見過ごせない」
「はい。北東の情報を何としても集めましょう」
様子見だけでもしないと。
「私はサボリさんニ、北から北西にかけての詳細をお願いしまス。北東は巫女さん達じゃないと聞けそうにないですからネ」
「うん。任せて」
「少しでも多く聞き出します」
中々に、きつい街です。半分友好的なだけに、それ以上を引き出せません。完全に敵対していれば諦めもつきます。友好的な人がいるので、以上を望んでしまいます。尋問なんて以ての外。それこそまさに……目的を見失うなってやつです。しかし……知ってしまったら、後戻り出来ません。
「行こっか」
これら全部終わったら、アリスさんのお願いが待っています。何をお願いするかは決まってませんけど、いつだって私も嬉しいものなんです。今は我慢我慢。役目を果たしてからのご褒美が、楽しみなんです。
「……ぁ……いっ行きましょう」
アリスさんの声は、私の全てを溶かしていきます。今の、どこか艶を帯びた声は、私の芯をアリスさん色に染めていきます。目を閉じて、この声に全てを委ねられたら……。
首を振って、考えを外に出します。今は目の前の任務に集中します。こちらの世界に来てからの私は……煩悩に塗れすぎです。
「リッカさま?」
「ぅんっ。今いくっよ!」
次に行くために、早く運ばないといけないんです。妄想している場合ではありません。だからこんなに……声が裏返る必要はないのです。
「何をカクカクとしてるんでス?」
どうやら、ロボットみたいな動きになっていたようです。
「ご、ごめん……」
「も、申し訳ございません……」
「リッカさま……?」
「アリスさん……?」
シーアさんの言葉は私に言ったんじゃ……。緊張しているのは私だけ……? あれ……? アリスさんと声が重なって……何でアリスさんも私を見て頬を真っ赤に……? 私も真っ赤なのは言うまでもありませんけど……っ。
(私、余計な事をしてしまったのでしょうか。巫女さんとリツカお姉さんが固まってしまいました)
「えーっト……でハ、私は引き続き聞き込みをしまス。真北は任せましたヨ」
アリスさんと目を合わせるのは、私の癒しです。心が安らぎ、委ねたくなります。声を聞けば、目を閉じ体を委ねたくなります。これは矛盾なのでしょう。目を合わせたいのに、声に集中したいから目を閉じたい。
これはつまり、アリスさんの全てを私が受けるには、こんな短い時間では無理という事です。長い時間をかけて、私はアリスさんを堪能したい。でもその時間を……取れない……って。
「シ、シーアさんは……」
「もう行ったようです」
「じゃあ……私達も」
「はい。行きましょう……っ」
あぁ……時間がないというのに、私は何を……。アリスさんとの一時まで削れてしまいました。荷物を運ぶだけで、何分……?
はぁ……今からでも、巻き返しましょう。