『エアラゲ』決闘⑧
レティシアはアルレスィアの魔法を見ていた。
「意識を奪ってるんでス?」
「正確には、より深い部分を”拒絶”し、剥奪しました」
「深い部分、なの?」
「はい。魂により近い部分です。今回の時間は二日を予定しています」
「二日間、絶対に起きないト」
「はい。何があろうとも」
これは睡眠でも単純な麻痺でもない。完全なる剥奪だ。アルレスィアの設定した期間、起きない。
戦いは終わった。レティシアとカルラはマウヌの元に向かおうとする。
「誓約書を貰いに行くの」
「ですネ。無傷でアっても約束を反故にする人っぽイですシ、誓約書さえアれば、後々有利でス」
ヒスキが勝手にやった事だ。連合には連合の計画がある。どんな理由であろうとも、誓約書まで残し、無傷で無残にも敗北したヒスキの策になど乗らない。むしろヒスキを、迷惑をかけた愚か者として罰し、皇国やその他の国々に誠実さを見せ付ける為に使うかもしれない。
誓約書を早く貰わないと、破られでもしたら元も子もないと急ぐ二人を、アルレスィアが止める。「まだ戦いは終わっていない」と。
(撃てだと……? 良いのか? 後で殺されるんじゃねぇか?)
《腕だ、腕を撃つんだ!》
困惑する伏兵に、マウヌは告げる。
《ここでヒスキ様が傷つけば、奴等の目論見は全て破綻する! 急げ!》
《良いのか。後から俺を殺すとか無いよな!?》
《ない! 急げ! 私はこの誓約書を燃やさなければいかんのだ!》
どんなに撃っても殺せなかったリツカなんかより、何も出来ない男を撃つだけで報酬がもらえるのは楽で良い。
(逃げるのを撃つのが楽しいんだが、仕方ねー)
構え、狙い、魔法による爆発でただの弾を撃ち出す。弾に魔法はかかっていない。だからリツカには気づけなかった。リツカは風斬音だけで対応していたにすぎない。そんな事を考えもしない連合の三人は、化け物としてリツカを認識してしまっていた。
(人間を撃つのが楽しいんだよ。あんな化け物なんか知らねーよ)
この者達の計画は、もっと早い段階で今の状態にするべきだったのだ。初めからヒスキを狙えば良かった。後は難癖をつけ、連合に帰るだけで計画は成功した。カルラとアルレスィアを名残惜しいと考え、リツカを潰したいと思ったヒスキの性格が災いした。
もう、遅いのだ。アルレスィアが動いた時からもう、この者達に勝ち目などなかった。
「よぉ。調子はどうだ」
「あぁ? うっせぇな。今から楽しい事が起こる――は?」
後ろからの声に返事をした伏兵が、”望遠”から目を離す。そして後ろを向こうとするが、狙撃銃が真っ二つになった事で逃げ出す選択を取った。
「もう遅ぇよ」
最初から遅かったのだ。リツカの前でアルレスィアに声をかけた時から、アルレスィアの前でリツカを――貶した時から。
(何をしている……!?)
一向に撃たない伏兵に、マウヌはイラつく。
(こ、これだけでも――)
「これは貰いますよ」
燃やそうと手に持った事で、リツカは軽々と奪う事が出来た。
「ま、まだ戦いは終わってないぞ! 私に手を出すのは違反」
「違反を最初にしたのはあなた達だから」
誓約書を回収し、もう戦いは終わったとリツカが歩き出す。それを見て漸く、アルレスィアも安堵を浮かべるのだった。
「もう大丈夫なの?」
「はい。ヒスキが傷つかないので、レイメイさんが間に合ったみたいです」
誓約書をカルラに渡しながら、リツカが答える。ヒスキたちの浅慮は、リツカとアルレスィアにバレバレであった。
「リッカさま。治療を」
「うん」
頬を掻きながら、アルレスィアに手を差し出す。痛みで歪みそうになる表情を必死で押し留めているけれど、アルレスィアにはもちろんバレている。
そっとリツカの手を取り、”治癒”をかける。知り尽くしたリツカの体だ。アルレスィアの”治癒”は、誰に使った場合より早く正確に治していく。
「本当にすごいの」
「特級の”治癒”持ちは何人も見てきましたけド、巫女さん以上には会った事がなイでス」
「私もないの。皇家専属の医者よりずっとすごいの」
アルレスィアを褒められて嬉しいといった表情を浮かべるリツカに、レティシアの悪戯心が疼いてしまったようだ。
「リツカお姉さんが怪我しなかったら見れなかったものですからネ」
「なの。色々な意味で感謝なの」
「ぅ……」
悪戯というより、もっと自分を慮れという叱責を含んでいるように感じる。カルラの色々には、本当に色々と含まれている。
「今回は運が良かっただけです……。次がない事が一番ですけど、気をつけないといけません……」
「銃。やっぱりというか、流出してたね……」
アルレスィアからの助け舟に乗り、リツカは話を変える。
エッボの城から盗まれたのだろう。連合にまで銃製造技術が流れていた。多くの傘下を従えていたエッボだが、部下全員を検める事はなかった。その中に連合のスパイが紛れていた事に、気付かなかったのだろう。
「性能的にはどうだったんでス?」
「向こうの世界とは比ぶべくもないけど、エッボが作ってたのより性能は良いみたい。結構回転してたから」
城で見た銃よりずっと高性能であった。もし同等の銃であったなら、リツカの手が傷つく事は無かっただろう。それ程までに綺麗で素早く、強烈な裏拳だった。それでも傷ついたという事は、直撃すれば致命傷は避けられないくらいに、威力があったのだ。
「そのジュウというのは、どういった物なの?」
一瞬の逡巡後、リツカが答える。カルラに教えて良いか迷ったのだろう。この世界に銃を広めるべきではないと、リツカは考えているのだから。
「火薬で鉄の弾を打ち出す筒です。魔法なしで撃てるので、楽ですし……もし魔法と合わせれば、今回のような効果を発揮します」
「魔法なしで撃てるのに、魔法を使うの?」
「音を消したり、遠くから見たり、撃ち出す威力を上げたりですね。狙撃になると、じっくり準備出来ますから」
七百メートル程の距離とはいえ、実戦で正確にこちらを狙っていた伏兵の腕は凄まじい。リツカはこの狙撃手を、逃がす気はない。確実に捕らえなければ、人類の脅威となるだろうから。
「貴様ら……許さんぞ……」
まだ居たマウヌに、四人が顔を向ける。そそくさとヒスキを連れ逃げたかと思っていたのだが。
「ただ寝ているだけですよ」
「これの何処が寝ているだけだというのだ!? 一向に目覚めぬではないか!」
「それでも寝ているだけです。それに――余り調子に乗らないで欲しい」
治療を終えたリツカがゆっくりと立つ。未だに絡んでくるマウヌに呆れているだけなのだけど、マウヌにはその所作が不気味な”何か”に見えてしまった。
「一対一という取り決めを何度も破り、私だけでなく二人を狙う暴挙。今この場で、二度と他者と意思疎通が出来なくしても良いのですよ」
「ヒッ……」
戦いの中で殺気を使って、現実と間違う程の幻覚を見せたリツカを、マウヌは化け物と認識している。しかし、その殺気を直接自身に当てられた事はない。ヒスキのついでに巻き込まれただけなのだ。そんな殺気を直接浴びては、ただの小物であるマウヌが逆らえるはずがない。
「喉を潰し、腕と脚を落とし、目を抉り、耳を削ぐ。あなただけじゃない。ヒスキも同様にやります」
「な、何を……そんな事をすれば、どうなるか――」
「誰が、証明するのですか」
他者と意思疎通出来うる要素全てを奪うと言っている。そんな状態でどうやって、リツカの暴挙を伝えるというのだろう。
「冗談です」
「は、ヒ?」
「そんな事しませんよ。暫く黙ってて下さい。こちらの用事はまだ終わってないんで」
マウヌが全力で、何度も頷いている。リツカの発言を冗談とは思っていない。もしこのままリツカに食って掛かれば、本当にやると思われてしまっている。
しかし、本当に冗談だ。リツカにそんな事は出来ない。いつだって――マリスタザリアを殺す時でさえ、最短ルートで抹殺しているのだ。人間相手に出来る拷問など、足の小指を踏みつける程度の物だ。
人が痛みを感じる部位を学んでいるリツカにとって、人に苦痛を与える事が既に苦痛だ。本来のリツカは、戦いから縁遠く、自ら飛び込んでも……相手を殴る事すら出来ない子だった。
武術と武術のぶつかり合い。ルール内での戦いは経験している。それでも、相手を痛めつける事はしない。勝利条件の中で、最も簡単に手短に勝利出来る方法をとる。
この世界に来て、試合ではなく殺し合いとなった事で、仕方なく……暴力を振るっているにすぎない。そして守る為に、リツカは決心した。それを不運と、悲劇とは思っていない。リツカは今の自分を、昔の自分に胸を張って紹介するのだろう。
(大切な人と出会えて、私は選んだ。成長とか強さとかじゃなくて、守るために何が出来るかを。それが暴力なのが……私の弱さなんだろうけど、真っ直ぐ前を向いて言える。私はアリスさんを守る事が出来るって)
リツカは変わっていない。向こうの世界では会えなかった大切な人と出会うことで、ちょっとだけ前に進んだだけなのだから。