『エアラゲ』国際交流⑥
「あの男がリツカに勝てるわけないの」
「分かりますカ」
「当たり前なの。皆が心配してるのはリツカが人を傷つける事なの。負ける事があるなんて全然思ってないの」
カルラはしっかりとリツカ達を見ていた。扇子で口元を隠しているけれど、そこには笑みを浮かべている。
「レティシアが羨ましいの」
「でス?」
「わらわも”巫女”と旅してみたいの」
カルラの奏でるカランコロンという足音がやけに大きく響く。普段は喧騒に包まれるエアラゲ。しかし、リツカの殺気はダダ漏れだ。威圧され、誰も声を発する事が出来ない。しかし、殺気が漏れていているのには理由がある。
(どこで仕掛けるか。私なら戦いの最中。相手が弱いと気付き手を抜くか勝負を決めにいった瞬間。侍従の作戦なら、止めの一撃は狙わない。危険の方が大きいから。だったら……前者のタイミング)
リツカは目の前の男に集中して、周りが見えていない。そう見せている。そして殺気に紛れ、リツカは広域感知を行っている。
(近場には居ない。侍従が戦う訳でもなさそう。もう一人? 魔法が届く範囲には居ないけど、向かう先?)
歩きながらの広域は著しく体力を消耗させる。しかし今のリツカには関係ない。見つけるべきは遠距離からこちらを狙う敵。感知から直撃までの間が短ければ当たってしまう。先に位置が分かっていれば避ける事は可能だ。
(魔法の速度なら避けられるはずだけど、連合の魔法はこっちと違うのかもしれない。気をつけるべきは狙撃)
「ここで良いだろう」
町から離れ、林を挟み、丘の手前の窪地で止まる。町からは見えず、大きな魔法を使っても、町に影響は無い。リツカにしろ男にしろ、大規模な魔法はないのだが。
「ロクハナリツカ 間違いないか」
誓約書を手で持ち、リツカに確認を取る。
「えぇ」
刀をゆっくりと抜いていき、最後に払うように抜き放つ。
「マウヌ」
「ハッ。こちらに」
侍従が持ってきたのは、百六十センチ程のケース。男の体捌きでリツカは分かっている。それの中身は、剣だ。
「腕一本」
男が何か言っている。
「今ならそれで許してやるが?」
「ふぅ……」
反社会的組織がやりそうな手段だ。リツカの動揺を誘っているのだろう。そんな手がリツカに通用する事はない。その代わり、観客となっているアルレスィアの怒気は沸々と高まっている。今にも弾けそうだ。
「私の体は先約がありますので」
アルレスィアだけの物。アルレスィア以外に上げる物なんて何もないと、リツカの魔力が噴出す。”抱擁強化”を纏い、臨戦態勢だ。
「さっさと始めましょう」
リツカはやる気に満ちている。男もその怒気と殺気に、構える。二人の闘気は高まっているが、アルレスィア達には弛緩した空気が流れてしまっていた。
(……っ……っ……)
「アルレスィアが震えてるの」
「今はそっとして置イてアげてくださイ。リツカオ姉さんの不意打ちが飛んできましタ」
「リツカを予約してるの、アルレスィアなの?」
(こいつ誰なんだ。つーか、どこの言葉だよ。あの阿呆の話は聞いたが、こいつは聞いてねぇぞ)
リツカの問題発言に、アルレスィアは今にも崩れ落ちそうだ。口を押さえ俯き髪で表情を隠す。誰にも見えないけれど、今にも破顔してリツカを抱きしめに行きそうだ。
リツカの勝利は確定している。緊張するところなどないが、問題は男の計画。しかし、そこに注意しなければいけないアルレスィアは、リツカの事で一杯一杯だ。何度も「私はアリスさんの物だよ?」とリツカは言っている。でも今回のは少し、言い方がギリギリすぎた。
(広域に引っかからない。二キロ内には居ないという事。その距離なら避けられる)
男の奥の手は問題ないと感知を戻す。
(戦いなんて、私の怒りをぶつけるだけの儀式。問題はどうぶつけるか。直接殴るどころか、傷一つつけられない)
相手は連合の豪族。王国でいう所の貴族だ。しかも相手は貴族と違って、権力を奪われてない。もしここでリツカが男を攻撃すれば、国際問題なのだ。刀を抜いてはいるが、使う気はない。斬られた幻覚くらいは見るだろうし、トラウマにはなるだろうが。
「先に言っておくの」
「先に妻になるという話か」
「誰がなるかなの。わらわの名に賭けて、リツカは保護すると宣誓しておくの。その誓約書に追加するの」
皇姫の顔へと変わり、カルラが告げる。自身が皇姫と伝えないのは、軽い気持ちで誓約書に追加するのを狙っている。もし知られれば、皇姫として命令するだけ。
(カルラさん?)
リツカが視線だけカルラに向ける。皇国まで巻き込んでしまっては、世界大戦へと発展する可能性があるだろう。共和国は元老院と王女で二分され、王国は連合と共和国の二方面に対応する事になる。皇国の動きは分からないが、皇姫が連合によって害されたとなれば王国と組む可能性は十二分にある。
今この場こそ、四つの国の関係者が集った場であり、世界の縮図だ。ここでの出来事は世界を揺るがす。
「貴様、皇姫か」
「さっさと誓約書に書くの」
皇姫と気付かれても、カルラの考えは変わらない。皇姫として、リツカの正当性を主張し、守る気でいる。
「皇姫は珍しいな。良い。第二側室としてやろう」
「人の話を聞くの。ならないって言ってるの」
連合の豪族は一夫多妻制だ。カルラを側室として迎えると言っている男に、リツカは眉を寄せる。一夫多妻制があることに、リツカは関心がない。妻にランク付けするかのごとく、第二第三と呼ぶ姿勢が気に入らないのだ。
「”巫女”である二人の結婚に関しては本人に委ねられているの。これは国際法にも記載されてるの」
初耳すぎて、リツカが視線だけでなく顔をカルラに向ける。そしてその後、アルレスィアに視線を移した。リツカの世界では、法律で縛られたりしていない。
「私も初耳です」
リツカに向け、アルレスィアが首を横に振る。リツカの心配は杞憂だと告げている。
「オ兄ちゃんが気を利かせテ、その辺りの情報は遮断してましタ。でも巫女さんまで知らなイとは思いませんでしたけどネ」
コルメンスが隠した理由は、恋愛の自由がないという事が年頃の女の子には辛いと考えたからだ。自身も恋愛している身。最高の配慮が出来たと思っていた。
しかし、当の二人は違う。
「興味がなかったので」
「そうだと思いましタ。リツカオ姉さんも森巫女馬鹿ですシ」
「当然だね」
アルレスィアもリツカも、恋愛には全く興味を持っていなかった。いや、全くといえば語弊があるだろう。興味は少なからずあったけれど、自身に置き換えた場合に全く――想像出来なかったのだ。ただ……今の二人ならば、別の結果になっていただろうけど。
「何で今の評価で得意顔になれるの?」
「オ二人にとっては褒め言葉ですかラ」
「知れば知るほど興味が湧くの」
「同感でス」
レティシアとカルラは同時に頷く。それを見てリツカは苦笑いを浮かべ、アルレスィアは微笑む。ウィンツェッツのため息でリツカは再び、男に向き直った。気を緩めてなど居ないけれど、今は戦闘中だ。
「連合の野蛮部族は国際法なんて知らないとは思うの。でもこれは遵守すべき事なの。だから”巫女”に国境はないの」
再び男へ、カルラが説明をする。男は理解しても、この戦いを止めない上にアルレスィアにまで手を出すと、カルラは直感している。皮肉を込め、野蛮な男にあえて話すのは、カルラはしっかりと――アルレスィアがもたらした世界の真実を知っているからだ。
アルレスィアの戸籍は王国に置かれている。それは、”神林”が王国にあるからに他ならない。アルレスィアが属しているのは”巫女”。そして”神林”だけだ。
「言っておくというのはそういう事なの。貴方分かってないの。リツカに手を出す事の意味を」
王都でも何度か、レティシアが目撃している。リツカならば良いのではないか? という男達の姿を。でも、カルラはそう思っていない。リツカもまた”巫女”で、世界の救世主。そして所属はもちろん”神林”。
実はリツカが豪族や皇家、王族に攻撃をしても世界大戦にはならない。”神林”所属のリツカは、国際法だけ守れば良いし、どの国にも属していないので不敬罪の矛先は国に向かない。戸籍を作成、所持したコルメンスは責任を持つだろうから、世界大戦の可能性があると示唆しただけにすぎないのだ。
リツカとアルレスィアはその事を知らない。というより、王国所属と思っている。わざわざそんな事を教える必要はないし、教えたとしても二人は――王国の法と国際法を守っただろうけど。
何故国際法をアルレスィアすら知らなかったか。王国に居るアルレスィアは、王国の法律だけを守っている。だから国際法を深く見ない。そして、国際法になぜ”巫女”の項目があるのか。それは、この法を作った時の状況にある。
”巫女”と奇跡により、王国の立場は強かった。そんな王国が”巫女”を守るための法を作るのは当たり前だ。その時にはすでに、”巫女”は”神林”に篭っていた。そんな”巫女”を対象にした法など、他国が気にする事はない。むしろここは快く頷き、王国との仲を優先させよう。そういった考えによって出来た法だ。
今こんな状況でその法が力を持つとは、当時の人間は誰も……思わなかっただろう。