『オルデク』実験④
「学者ですカ」
「えぇ。主に生物学を」
(生物学者でマリスタザリアに憧れを持ってるなんて、まさにって感じですね)
適当に会話する振りをしながら、扉の向こうにいるアルレスィア達に情報を渡す。
「それでハ、あの罠は小動物ヲ?」
「そう思うのも無理はありませんね」
(いや、普通に考えてよ)
(マリスタザリア、でしょうね)
相手もバレていると思って話している。所謂様式美という奴だろう。男は会話を楽しみ、レティシア達の様子を観察しているのだ。
「マリスタザリア。貴方達はどう思いますか?」
直接的な質問に、レティシアはどう答えるか考える。
「好きとは言えませんネ」
「良い印象を持ってる奴の方が少ねぇと思うが」
言葉選びに注意しつつ答えた二人に、男は鷹揚に頷く。この男の名前を聞いていないのは、そこまで親密になりたくないという表れだ。
「それが普通なのでしょう」
怒るでもなく、悲しむでもなく、男は話し続ける。その果てに何を求めるのか、何が愉しいのか。レティシアには量れない。
「あなたは違うト?」
その質問を待っていたといわんばかりに、ニタリと嗤う。
「絶対的な力。他を圧倒する存在感。芸術的とも言える造形。どれも、人の想像を遥かに超えています」
(あぁ、話したがりでしたか)
話したくて溜まらなかったのかも知れない。レティシアはそう考え、ぼーっと聞く。
「悪意という物が原因との事ですがね。そんな曖昧な物では納得出来ないのです」
納得するまで調べたい。その為に罠で捕らえようとしている。そう辺りをつけたレティシアは、話を止めたくて仕方なかった。
「私の研究の終着点……最後には、人をマリスタザリア化出来ないかと思っているのです」
「……何ですト?」
「何も人殺しを作ろうという話ではないのですよ。力や速さを増幅させる薬をと思っているのです」
マリスタザリア化によって膨れ上がる筋肉。そこに目をつけ、ドーピング出来ないか調べているという。
「人は弱いと思いませんか」
「……」
「マリスタザリア化を物にできれば、人はもう怯えなくて良い。知力がある分、マリスタザリアよりずっと強くなれる。最近王都周辺では、魔法を使う個体が出てきたそうではないですか。マリスタザリアも進化している。人間も更なる進化を目指す時が来たのではないでしょうか。これは、神が我々に齎した転機だと思いませんか?」
白熱した男は、つらつらと自身の考えを述べる。
(マリスタザリアの発生は、悪意ではなく突然変異体って思ってますよね。前提が間違っているんですから、実験にすらならないです)
「本気か?」
ウィンツェッツが眉を顰め尋ねる。
「もちろんですよ。有史以来、人々はマリスタザリアの脅威に曝されてきました。その中で人々は、マリスタザリアを神の怒りや神の力として恐れたのです。人という個では敵わぬ存在として造られた存在は、今ですら人々の脅威として成り立っています」
「脅威として成り立つ?」
妙な言い回しに、ウィンツェッツは聞き返し、レティシアですら首を傾げる。
「えぇ。マリスタザリアという分かりやすい恐怖こそが、形のない神という存在を強く求めるために必要な贄なのですよ」
「マリスタザリアが強くなけれバ、その機構を維持出来ないト。アルツィア様を敬わせるために、人々の脅威になり続けなければいけないというのですネ」
即座に理解し、レティシアが言葉を補足する。理解の早いレティシアに、男の舌に脂が乗っていく。
「その通りです。だからこそマリスタザリアは進化したのです。現”巫女”という強い存在が現れた事で、強くならざらるを得なかったのだと私は考えたのですよ」
男は気分が良くなったのか、どんどん話を進める。
「マリスタザリアの進化は素早く顕著です。どんな生物にも当てはまらない、一瞬の適応。この適応力こそが、マリスタザリアが人間よりも強者で在り続けられた”力”だと思うのです」
(なるほど。学者らしい見方ですね。もし、巫女さん達より先にこの人に会っていたら、頷いていたでしょう)
世界の真実を知っているレティシアは、男の考えが間違えた物だと思いつつも、筋が通っていると思ってしまう。
「だから、人間がマリスタザリアに追いつくには必要でしょう。神の領域への一歩……人体改造が」
(この結論は、頷けませんけどね)
人という存在に手を加える。それも、形を変えるのではなく構造を変えるというのだ。人を造りかえる。まさに――神の如き業となるだろう。
「おや。見えてきましたね」
「そのようですネ」
そうこうしているうちに、オルデクが見えてきた。昼間なので、余り観光客は居ない。この町が盛り上がるのは、夜だ。
「お二人もオルデクに用事が?」
「えぇ。少しばかリ」
「そうでしたか。またお会いできましたら、その時はまたお話しましょう。貴女とは良い話が出来そうです」
「暇を見つけるのが難しいですけド、その時は構いませんヨ」
余程レティシアの事が気に入ったのか、男は再度会える事を楽しみにしている。当のレティシアは、仕事用の笑顔で応対していた。引き攣らないようにするのに全力を注いでいて、男の目に――黒い陰が差した事に、気付けなかった。
「いやぁ、ありがとうございました」
「いエ」
「では」
男が恭しく頭を下げ、町の中に消えていく。それを見ながら、レティシアがやっと表情を変えられるとため息をついた。
「何なんでス。あレ」
「俺が聞きてぇよ」
レティシアのぶっきら棒な物言いに、ウィンツェッツも頭を抱える。
「学者っていや、お前の姉ちゃんだが」
「アレと一緒にしないで下さイ」
「一緒にはしてねぇが……」
男とソフィアが比べられ、レティシアが怒る。
「アレの面倒な所は狂ってないところでス」
「あれで狂ってねぇのかよ」
「狂ってたら蹴落としてますヨ」
男は狂っているように見えて、理性的だった。真実を知らない者を納得させるだけの考察をしていた。真実を知っているレティシアでさえ、そうかも知れないと思わせられるだけの物であったのだ。その事も、レティシアが怒っている原因でもあるのだけど。
「マリスタザリアが何故出てくるのか、その正しい理由はアルツィアさまでも分かっていません」
「そういう意味だと、あの人の話ももしかしたら? ってなるのも仕方ないかもね」
少なくとも、自分を敬って欲しいからってあんなのを造ったりしないよ。と、リツカがフォローを入れてくれる。
「あの言い草。アルツィア様を敬っているような口ぶりでしたけド、内容は貶してるといっても過言じゃないですヨ」
「神さまも、私達と一緒だから」
「そうですね。シーアさんのように、信じてくれる方が居れば……アルツィアさまは喜びますよ」
アルレスィアとリツカの言葉に、レティシアが盛大にため息をつく。
「暢気ですネ……。無理とは思いますけド、あの人は確実にやりますヨ?」
マリスタザリアを捕らえ、実験材料とする。そんな事出来ないと思いながらも、その時の事をレティシアは話す。
「薬を作った後、臨床実験は確実にしまス。何よりあの手の人間は自分を使いませン。というよリ、作成段階で人体を使いまス」
「そうなんだよね。あの人の考えを否定はしないけど、方法が問題」
「錠剤となると、血液等を使うでしょう。人体に影響はないとは言い切れませんね」
レティシアの叱責に、リツカとアルレスィアも気持ちを切り替える。
「血くらいなら問題ねぇんじゃねぇか。赤いのがバカスカ浴びてたろ」
ウィンツェッツの冗談か本気か分からない発言に、アルレスィアが殺気すら伴った眼光を向ける。レティシアの肩が跳ねるほどの威圧感だ。
「浴びるのと経口摂取は違いますし」
リツカがアルレスィアの頭を撫でながら、ウィンツェッツに返答する。アルレスィアの威圧感が緩やかに収まっていき、代わりにほんわかとした空気に変わる。
「お、おう」
「いい加減学習してくださイ。ヘンタイさン」
「フォッゥ……!?」
後退りながら頷くウィンツェッツの脛を、レティシアが蹴り上げた。角度をつけた蹴りは、衝撃と痛みをウィンツェッツの脳へと一瞬で届ける。
「とりあえず、注意だけはしておこう」
リツカの言葉に、アルレスィアとレティシアが頷く。
マリスタザリアを捕まえる事は出来ないと思っていても、もしもを考える。この旅で皆が学習した事は、ありえないと思っている事こそ、良く起きるという経験だった。