『オルデク』実験③
お風呂に入る必要のないウィンツェッツが運転を続けていた。
「……あ?」
しかし、ゆっくりと船を止める。
(人か?)
どうやら、人影を捉えたようだ。
(どうすっかな。アイツ等に言ったら絶対ぇ関わるよな)
面倒事にこれ以上関わっても良いものかと、ウィンツェッツは考えている。
(朝の修行もまともに出来ねぇくらい疲れてるわけだろ。見てみぬ振りでも――)
「どうしたんでス」
「いや」
レティシアが濡れた髪を乾かしながら戻ってくる。
「……」
「アレですカ」
ウィンツェッツが言うか迷っている間に、レティシアが人を見つけてしまった。
「黙っておこうって話ですカ」
「まぁ、特に危険な状況って訳じゃねぇしな」
男が一人、草むらで何かをしている。周りにマリスタザリアが居る訳ではない。声をかけずとも良い状況ではあるけれど、危険な状況であることに変わりはない。
「北の人達っテ、緩いんでス?」
「まぁ……危機感が足りねぇとは思うが……」
レティシアの見も蓋もない言い方に、ウィンツェッツの顔が引き攣る。
「二人なら声をかけるでしょうけド、さテ……」
レティシアは迷っている。リツカの状態は芳しくなく、それに付随してアルレスィアもより慎重になっている。この状況で、マリスタザリアが跋扈する世界を無用心に歩く人間を船に上げてよいものかと。
「このご時勢ニ、あんな変な事をしている人間なんテ……あのお馬鹿しか思い浮かばないんですよネ」
「あぁ、ティモに化けてた」
レティシアの言葉で、ウィンツェッツも思い当たる。「名前、なんつったか」と、うろ覚えみたいだが。
「クラースでス。今頃牢獄で泣いてるでしょウ」
「今でも自分は悪くねぇとか言ってんじゃねぇか」
「ありえますネ」
今でも草むらで何かをしている男を見ながら、二人が会話している。何か動きがあれば良いのだけど、一向に動かない。
「何してるんですかネ」
「さてな。んで、どうすんだ」
リツカが見たら、罠をしかけているのではないかと思った事だろう。この世界において、魔法を使わない狩りや罠はない。手製の罠で狩りをしようとしている人間を見ても、理解出来ないのだ。
「さて、これでどれ程の物が捕らえる事が出来るか」
準備を終えた男が、最終確認をする。生け捕りにする為の装置だ。足を吊り上げ、檻が上がり閉じ込める仕組みになっている。そのどれもが、鉄や鋼線で出来ている。
「既に三度目。一号と二号は簡単に壊れ、使い物にならなくなってしまった」
男がニタリと嗤う。
「次はもっと頑丈だと良いのだが。いや私がもっと――」
罠から離れようと男が振り返る。
「ム?」
男が船に気付いた。しばらく思案し、歩き出す。明らかに、船に向かっている。
「こっち来てねぇか」
「ですネ」
「どうすんだ」
レティシアが男をじっと見る。清潔感のある服装に、整った髪形、手をポケットに入れているけれど、無礼さは感じない。
「まぁ、話だけ聞いてみますカ」
「胡散臭ぇが」
「ヘンタイさんよりはまともな格好してますヨ」
(ライゼも貶してる事になるんだが)
悪事を働いているにしろ、話を聞いてみない事には分からない。
「とりあえず応対しててくださイ。私は二人に声をかけてきまス」
「あぁ」
渋々、ウィンツェッツが見下ろせる位置に行く。丁度、話せるくらいの距離に男が居た。
「何してんだ」
「少し実験をしてましてね。そういう貴方達は……旅の一座か何かで?」
「……まぁ、そんなところだ」
刀を背負った芸人が居るかと思いつつも、皆までは言わない。この国では、剣等は戦いの補助。もしくは演劇の小道具くらいの認識なのだから。
「実験ってのは、アレの事か」
「えぇ。少々、生け捕りにしたい物がありまして」
ウィンツェッツが目を細め顔色を窺おうとしているけれど、逆光で――男の顔は見えない。
「物騒だな」
「あぁ、大丈夫ですよ。人ではありません」
ウィンツェッツは男に、不信感を募らせていく。
「そうか。まぁ、気をつけて帰れよ」
自分の感覚を信じ、ウィンツェッツはその場から離脱する事にした。
「オルデクまで送っていただけませんかね」
「あ゛?」
「いやぁ、ここまで送ってくれた人が用事を思い出したとかで戻ってしまって」
(やっぱ無視しとくんだったな)
いきなりの申しつけに、ウィンツェッツは顔を顰める。このまま置いて行くのは可能だけど、船と顔を覚えられてしまった。この船は王族専用だ。少し調べればすぐに分かる。
「甲板に居るだけなら構いませんヨ」
「……あ?」
レティシアが横からひょっこりと下を見る。
「それはそれは、ありがとうございます」
「船室に入らないようにだけ注意してくださイ」
「えぇ。承知しました」
舷梯を降ろし始めたレティシアに、ウィンツェッツが小声で尋ねる。
「良いのか」
「巫女さんガ、怪しすぎるから目の届く範囲に置いておきたいト」
「あぁ……そういう理由なら、文句はねぇ」
「後、巫女さん達は顔を出さないのデ。二人旅って事にしますヨ」
「……旅の一座かといわれたからよ。そんな感じと答えちまったんだが」
「でハ、買出しに行っていたという事にしましょウ」
「分ぁった」
短く打ち合わせをし、男を迎え入れる。身嗜みの整った普通の男だ。しかし、場違いにも程があった。
「よろしくお願いしますよ」
「まァ、ゆっくりして下さイ」
さりげなく船室側に立ち通れないようにするレティシアを、男は見ている。
「何でス?」
不快感を出さないように気をつけながら、レティシアは首を傾げた。
「いえ。異国の方ですか?」
「えぇ。少し遠いところからですヨ」
「ほう。するとそちらも?」
「俺はこの辺の出身だ」
怪しんでいると悟られないように、質問に答えていく。
「共和国からですか」
「ふむ。フランジールに行った事があるんですカ?」
「いえいえ。少し遠いとなると、共和国くらいかと思いまして」
仮面が張り付いているかのような笑顔に、レティシアの眉が少し動いてしまう。
(これはバレてますね)
男の態度から、共和国出身なのはバレているとすぐさま意識を変える。ボロが出ないようにしなければいけない。アルレスィアの言うとおり、怪しいどころか真っ黒な人間のようだ。
「そちらは何をなさっていたんでス? 最近は危ないですヨ」
「あぁ、マリスタザリアでしたね」
「そうですネ。到底人に勝てるとは思えませんヨ」
「確かに。素晴らしいですよね」
(素晴らしい?)
(……だと?)
レティシアとウィンツェッツの表情が固まる。一瞬のものであったけど、男は目敏く気付き、謝罪する。
「あぁ、失礼。少々力に憧れがありまして」
力に憧れがあるから、マリスタザリアが素晴らしいと言う。
「ほら、私。非力ですから」
非力な男の見せる嗤いは、力強く――鈍い物であった。
(マリスタザリア、ね)
気配を殺し、シーアさん達の会話を聞きます。顔は見れませんけど、後でシーアさん達から印象を聞く事ですり合わせを行いましょう。
(その呼び名は……王都周辺と、興味のある方だけの呼び方です)
(実際……北に行けば行くほど、マリスタザリアって呼び方はされてないからね……)
この呼び方は、神さまが付けたものです。そして、アリスさんによって広められたのです。王都周辺では、マリスタザリアで通じる程浸透しています。しかし、この辺ではもう……化け物と呼ばれています。マクゼルトも、そう言っていました。
(そう呼んだって事は)
(はい。そして、素晴らしいというあの一言)
(憧れと、畏怖、崇敬?)
(私も、そう感じました)
まともな感情ではありません。マリスタザリアとは……一目見れば足は硬直し、体は芯から震えるのが普通の――正真正銘化け物です。
私が……何だかんだで神林集落から認められたり、ライゼさんから弟子にならないかと言われたのは、マリスタザリアを前にして立ち向かえたからだと聞いています。
立ち向かい、攻撃出来るだけで褒められる程の存在に、一体どんな感情を抱けば……素晴らしい等という言葉が出るのでしょう。
(様子見続行だね)
(はい。”巫女”である私達と……敵対する者のようです)
マリスタザリアを崇敬するあの人は、それを絶滅させんとする”巫女”を嫌ってそうです。オルデクに送り届けるまで、シーアさん達との会話を聞くだけにします。