『トぅリア』激闘⑧―⑦
「リツカお姉さんは、大丈夫なんです?」
訳す事無く、レティシアが確認する。
「怪我は、しています。それでも……死ぬような怪我は、していません」
搾り出すように、アルレスィアは答える。せめてレティシア達を安心させ、この場をどうにかする策を考えるだけの平穏を作る為に。行動を禁じられているアルレスィアには、それしか出来なかった。
本当は今すぐにでも、リツカの下に駆け寄りたい衝動を、杖を握り締めることで我慢している。
「何をしたってんだ……?」
「……メルクで魔王と戦った時も、同じ状況になりました」
リツカは動けず、アルレスィアは【アン・ギルィ・トァ・マシュ】の為に魔力を割いていた。リツカは為すすべなく魔王に殺されるはずだったのだけど、助かっている。
「どうやっテ……」
少し落ち着きを取り戻したレティシアが、困惑を口にする。
「私にも、何が……起きているのか……」
常識から外れた事態に、流石のアルレスィアも何が起きているのか分かっていない。
「……おい、阿呆」
「……!?」
へたり込んだ村人が、ウィンツェッツの声にびくりと跳ねる。
「さっさとどっか行け」
「……ッ…………」
何度かマクゼルトを見た後、村人は駆け出した。
「申し訳ございません。レイメイさん」
「あ? ……てめぇは赤いのだけ心配してろ」
「……ありがとうございます」
アルレスィアは、リツカから視線を逸らさない。リツカの戦いが、再開されようとしていたからだ。
(血が流れすぎてる。長くは、戦えない)
気力で体を動かす。”抱擁強化”はまだ解けていない。心が折れていないからだ。
(……まだ、遅い)
今までにない程に、リツカが無造作に突撃する。アルレスィアが思わず息を呑む程、簡単に。
「……ッ!」
マクゼルトがリツカの顔に向けて、正確な攻撃を繰り出す。すぐに拳圧が当たり、リツカの顔はなくなる――はずだった。
「――シッ!!」
拳圧など無いかのように、マクゼルトの拳を避けたリツカが刀を振り抜く。先程止められた事を踏まえて、より鋭く、重い一撃だ。
「何だってんだ……!」
もし拳圧があれば、避ける為に大きく動かなければいけない。しかし拳圧さえなければリツカは、刀に全てを乗せる事が出来る。
(浅い。もっと深く)
腹を斬ったけれど、薄皮を斬った程度だ。マクゼルトの動きには、何も変化がない。その反面、リツカは先程の回避で額を更に深く傷つけてしまった。まだ、完璧に拳圧を制したわけではないようだ。
(落ち着け……。俺は、これを望んどったはずだ……!)
マクゼルトが落ち着きを取り戻していく。
相手が浮き足立っている間に勝負を決めたいリツカは小さく顔を顰めると、再び攻撃をしかけていく。まだ、マクゼルトの気勢を削ぐことは可能だ。
「――シッ!!」
「チッ……!」
裏拳。リツカが最小の動きで避ける。はらりと赤い髪が舞い、血飛沫が爆ぜる。胴への後ろ回し蹴り。ジャンプし、体を回す。マクゼルトの脚をなぞる様に避け、回転の勢いのまま袈裟への斬撃。マクゼルトの鎖骨から鳩尾まで、深く斬りつける。
体に傷を増やしながらもリツカは、マクゼルトへ確実に傷をつけていく。マクゼルトの傷が増える毎に、リツカが傷ついていく回数が減っていっているように感じる。
「――っ――シッ!」
マクゼルトの正拳を回転して避ける。震脚し、胴への横薙ぎ。
「ゥグ……ッ」
内臓まで到達したと、リツカは確信する。そして、リツカには――傷が増えていなかった。
「まさカ……魔力ヲ……?」
「マクゼルトの拳圧が当たる瞬間、リッカさまは……その拳圧と同等の勢いで、魔力を打ち出しています」
「相殺してるんですカ……?」
「はい」
短い攻防の中で何度も行われたリツカの奥の手。アルレスィアとレティシアには、見えていた。マクゼルトの拳圧が当たる瞬間、リツカの赤い魔力が煌き、大砲の様に打ち出されているところが。
「頭に当たりそうな時は頭から……頬ならば頬から」
「そんな事出来るのかよ」
「リツカお姉さんがいつもやっている事でス。魔力を体内で高密度に練り上ゲ、打ち込ム」
レティシアが言ったように、リツカは魔力を打ち込むという術を身につけている。この世界で唯一、魔法以外の方法で魔力を体外に打ち出す術を持っているリツカしか出来ない回避方法だ。
「初めは拳圧と放出する魔力の差で傷ついてしまっていました……。でも、完全に読みきりました」
アルレスィアが杖を強く握る。
「もう、マクゼルトの拳は……リッカさまに届きません」
マクゼルトとリツカ、体術の差は歴然だ。拳圧の所為で拮抗していたけれど、それが無い今、リツカの方が有利だ。
(今ならば、マクゼルトも……。私も急がなければいけません。あの回避方法は……そんなに長く……っ!)
アルレスィアが静かに魔力を練り始める。行う魔法は”拒絶”。レティシア達を救出すれば、リツカを一人で戦わせなくて良いのだから。
(機会は来ます……。リッカさま、どうかそれまで……)
アルレスィアが祈る。リツカにその祈りは――届いていた。
(アリスさんが、狙ってる……! 悟られないように……私が惹きつける……!)
マクゼルトは落ち着きを取り戻している。このままでは、アルレスィアの様子がおかしい事に気付くだろう。
(考えさせる暇なんて、与えない……!)
リツカが再度攻め立てる。拳圧がなければ、手数で押し切れる。マクゼルトのダメージも大きくなってきた。リツカよりも出血が激しい。
(魔法を使わせる前に――)
「風の鎧!!!」
「っ……!」
マクゼルトの体に、風が纏わりつく。それは幾重にも重なり、分厚い鎧のようにも見える。
(甘くみてた……っ)
高速詠唱とでも名付けるべきだろうか。マクゼルトはリツカが一歩を踏み出すより早く、詠唱を完了してしまった。これもまた、人間には出来ない業だ。
「ライゼには、餞別として見せただけだったがな」
「……」
「あんさん相手に、使わんままってのは、愚かだった」
リツカを格上と意識し、一切の緩みを取り除いたマクゼルト。口だけではなく、纏った”風の鎧”が如実に示していた。
(防御? 攻防一体……?)
拳圧に加えて、”風”も考慮する。
(修正、完了)
リツカが再び斬りかかる。焦りは無い――とは言い切れない。血を流しすぎた。後ろにいるアルレスィアの焦燥も伝わってくる。今マクゼルトがアルレスィアを見れば、魔法を用意している事がバレる可能性がある。
(今までの行動からして、私が約束を守ってる間は、良い。でも、破ったら……!)
容赦なくマクゼルトは檻を狭め、アルレスィアをも襲うだろう。
「――シッ!!」
「ソォラ!!」
リツカの攻撃を避けるでもなく、マクゼルトは拳を突き出す。今までの様に適当ではない。正確に、リツカの真ん中を狙っている。
「……!?」
刀が大きく弾かれ、手から離れようとしてしまう。リツカは目を見開き、驚愕に染まってしまう。
「フンッ!」
マクゼルトはそのままリツカの顔面を狙っている。地面を転がるように避けたリツカが、そのまま大きく離れる。
(血が、目を……)
左目はすでに開けていない。右目の方に滴ってきた血を、リツカが雑に拭う。
「はぁ……はっ……ぅ…………」
「限界か」
「まさ、か」
リツカが短く答える。リツカから返答があると思わなかったマクゼルトは一瞬、止まる。リツカが限界なのは、誰の目にも明らかだ。気持ちが切れそうになるのを、マクゼルトへの反骨心で留める。その過程で、返事をしてしまったのだ。
(アリス、さん……)
アルレスィアがリツカを心配そうに見ている。その目は、リツカの勝利を信じている。それでも、今のリツカを見ているだけなのは辛いと、語っている。
ふっと微笑んだリツカに、アルレスィアの目から不安が少しだけ和らぐ。
(大丈夫。絶対、そこに……帰るから)
リツカが刀を握りなおし、横に構える。
(だから、信じて)
その時は絶対、来るから……!
リツカは再び、全身に力を漲らせる。マクゼルトの方が余力を残している。リツカの緊張が解ければ一気に、マクゼルト有利になるだろう。でも、リツカの気持ちが切れることはない。傍に、アルレスィアが居る限り。