『メルク』北の洗礼④
「化け物なんて居ないぞ?」
「さっきまで居たぞ!?」
町民達が固まっている。牧場に集まった者達の手には、農具や木の板等だ。戦えるとは思えない物でも、ないよりはマシといったところだろう。
魔法を準備していた者達も、ぶつける場所がないため困惑している。
「あれ……!」
指された方に、リツカとルイースヒェンが居る。拘束されている訳でも、武器で脅されている訳でもない。それでも、町民達の怒りが膨れ上がる。
「赤の巫女……え?」
マリスタザリアの消失、ルイースヒェンの状況、町民は混乱状態に陥っている。そこで更に――リツカが、消える。
「何処に……」
混乱の極みに至る町民達。その集団の中で、一人、また一人と腹部に痛みを感じる者達が現れ始めた。
意識を失うまでの、一秒にも満たない一瞬。人垣を縫い、誰にも気づかれることなく、”光”を鳩尾に打ち込んでいる少女が居るとは……誰も思わないだろう。
(あと、一人……!)
激しく痛む頭と、悲鳴を上げる各関節部。その中でもリツカは特に、左肘に違和感を覚えている。
アルレスィアの治療は完璧だった。それでも、骨が飛び出していたという感覚は、リツカの肘に違和感を残していた。自然と庇っていた所為で打撃の際、変に打ち込んでしまったようだ。
高速で、最短距離を打ち込み続けているリツカにとって、微妙なズレが体への負担となっている。
(……っ)
一際大きい痛みがリツカの体の芯を締め付けた。
「赤の――!」
動きを止めたリツカを、一人の町民が目撃してしまう。
「――シッ!」
最後の一撃を打ち込み、上空へ離脱。
「今赤の巫女がこいつを……!」
浄化が必要な者ではなかったため、目撃者へ危害を加える事無く去っていくリツカ。そんな事を全く知らない町民達はざわめき、リツカを探し始めた。
「化け物も爆発も……俺達をここに誘い出す為だったんだ……!」
この言葉で、町民達は一致団結する。アルレスィアや、先程まで町民達を玩んでいたレティシアを忘れ、リツカ一人を標的と定め動き出そうとしている。
「待ちなさい」
狂騒状態の町民達を、ルイースヒェンの声が縫い止める。
「何故ですッ!?」
「今から追っても無理よ。さっきアナタ達、赤の巫女を追えてたの?」
「しかし……!」
「弱みっていうのはね。効果的に使う物よ」
「は……?」
ルイースヒェンは町民達に背を向けている。表情は窺えないけれど、その声は愉悦に満ちている。
「巫女達の正体。こんな弱み、誰も握ってないわ」
「はぁ……」
「だったら、有効活用しないと」
振り返り、町に戻っていく。前髪で表情は見えないけれど、口元は笑っている。
「良ければ、それを私に預けてくれないかしら。それまで、誰にも言っちゃ駄目だけど。誰も知らないから効果的なのよ」
顔を見合わせ、町民達は考える。今回の件。完全にルイースヒェンの言うとおりになった。元”巫女”だからという事を抜きにしても、信頼に足るだろう。
「分かりました……。何を、すれば?」
「今日の事は忘れなさい。その時が来たら声をかけるわ」
「その時とは……?」
「あの子達が英雄として国に持ち上げられた時、かしら」
「……そんな時が来るのですか?」
「さぁ……? それに似た時は来るでしょうね。貸しは高くつくって事を、あの子達に教えてあげないと」
ルイースヒェンは自宅へ帰っていく。ルイースヒェンの命令がなければ近づけない場所だ。町民達は疑問や納得のいかない気持ちを隠して日常へ帰っていく。
(次化け物が来たら言い訳出来ないないわよ)
家に入るなり、カーテンを開ける。陽に照らされた部屋には、何も無い。
(巫女の適齢は十六歳。アルレスィアは十三歳。ずっと、私が嫌われてるって思ってた……。でも)
コップに水を注ぎ、陽を浴びながら飲む。いつもは、ただ酔う為だけのお酒だったのだが。
(そっか。アルレスィアは今……命がけ、なのね)
今日の事で分かった。赤の巫女の傷も、起きた騒動も。全部が本物で、自らに降りかかるかもしれなかった現実なのだと。
(代わりをしてもらってるんだから、少しくらい我慢してあげる。でも、もって一月よ。お馬鹿達)
クスリと微笑み、ルイースヒェンは浴室に入る。その目に少しの涙を溜めて――。
ルイースヒェンの家から、すすり泣く様な声が聞こえていたけれど――”神林”に似せられた場所には、”巫女”の関係者しか……近寄れなかった。
「リッカ、さま」
私の姿は、船の上からばっちり見えていました。アリスさんが顔を青くして、私に駆け寄ります。
「はぁ……っはっ……。大丈夫、全員……浄化してきた、よ」
「無茶しすぎですヨ」
「気付かれないよう、するつもりだった……けど、気付かれちゃった……」
私が船に飛び乗ると同時に、出発してくれました。準備は完璧だったようです。魔法を無理やり使ったからというより……庇った肘が痛いです……。
「……ありがとうございます。リッカ、さま」
「巫女の名誉は、完全に終わっちゃったけど……役目だけは、守れたよ……」
「はい……はいっ……」
今にも倒れそうな私を、アリスさんが抱えてくれます。先程より魔力が多いです。船に備蓄してある生命剤で、魔力を回復させたのかもしれません。
”光”と”治癒”が、私の肘を包んでくれます。少し炎症を起こしている箇所が、治っていきます。
「今後の事を、話さないと」
「このままで、話しましょう」
アリスさんに抱きしめられたまま、話をする事に。慣れとはこうも、ありがたいものなのですね。シーアさんとレイメイさんは流れるように会話を開始しました。
「それで何が起きたんでス」
「魔王が出ました。あくまで欠片、ですけど」
「欠片デ、【アン・ギルィ・トァ・マシュ】ヲ?」
「そうしなければ、リッカさまが」
「死んでた、ね」
アリスさんの判断は早かったです。もしあの場にアリスさんが居なければ、私は簡単に命を落としていました。二人でなければ魔王に勝てない。神さまの言葉が、身に染みます。
「お二人が全力でなければ勝てなかった相手というのは分かりましタ。それデ――貴方は何をしていたんですカ」
「絶好の機会を逃さねぇように」
「殺意を持って襲い掛かってくる相手は貴重だからね。それに……あそこまで形を持った殺意は、そうそう出会えないから」
死地にこそ、成長があります。レイメイさんは確かに経験を得たのです。
「それは今でないとダメだったんでス?」
「正直今じゃなくても良いかな」
「あの場では最短討伐をして欲しかったと思っています」
そんなに殺意が欲しかったのなら、私が明日から本気でやってあげます。魔王がこんなにも早く手を打ってきた以上、順序良く修行なんてやってられません。
「もしサボリさんが戦ってくれてたらどうなってたんでス?」
「余り結果は変わらなかったと思うよ」
「私達が戦いに出れなかった時点で、町民は疑ったでしょう。レイメイさんと私達が仲間と分かっているか微妙ですから」
最悪、通りすがりの冒険者と思われてもおかしくありません。そうなった場合、”巫女”の評価は変わりません。仲間に戦わせて観戦している”巫女”であっても、地に落ちていたでしょうけど。
「でも、最悪の事態は避けられたよ」
ルイースヒぇンさんは、一応約束してくれました。信じるには少し、躊躇しますけれど……嘘をついてまで私達を貶めるようには、もう見えなかったのです。
「あの町だけでの評価なら、まだ……挽回出来る。それにいつか、分かってもらえるかもしれないから」
自分で言っておいて、余りの空々しさに苦笑いしてしまいます。
状況説明する事無く、浄化を行いました。浄化を受けた人は、自身に起きた変化に首を傾げるかと思います。しかしそれ以外の方からすれば、いきなり暴力を振るってきた野蛮人です。
完全に疑われている状態で説明しようとも、騙していると思われたでしょう。もたもたしていると、浄化の機会すら奪われます。私の行いが最適であったとは思っていません。それでも、私の気持ちとしては……あの場で出来る最低限であったと思っています。
いつの日か……分かってくれると、思いたいです。それが例え、私が死んだ後であっても。