『メルク』北の洗礼
「ぶぇっくッショッッ!」
これから初撃を加えようって時に、レイメイさんが緊張感にかけるくしゃみをしています。待ち望んでいた、本気の実戦のはずです。
「死にますよ」
「うっせぇ」
再び緊張感を持ったレイメイさんが、マリスタザリアの軍団に突進していきました。ルイースヒぇンさんが家畜を一纏めにしていたお陰で、黒い人形と完全に別れています。
私は刀を抜き放ち、黒い人形と対峙しました。
「……魔王、ですか」
『そうとも言えるが、どうだろうな。本質は一緒だが』
「悪意の集合体という意味では、ですね」
『そういう事だ。巫女よ』
魔王の意識のような物があるのは、確かです。でも……魔王ではない。ただの切れ端。この黒い人形はそう言います。これで、切れ端?
(マクゼルトよりは心がざわめかない。それでも、比べ物にならない”何か”がある)
強さや魔力、悪意を超えた”何か”です。
「今日はまだ、この先があるんだけど……」
「準備だけはしております。どうぞ、お使い下さい」
「……うん!」
アリスさんに、あの魔法を準備してもらいます。私だけで倒せるのが最良ですけど、少し……厳しいですね。
(それに、相手が悪意の集合体である以上、アリスさんの”光”が切り札)
「予行練習っていうにはちょっと、本番っぽいかな」
『戦う気はなかったが。丁度良い』
魔力を練ったようには見えません。でも、この魔力の圧は……!
「マナの王……」
「魔法に詠唱を必要としない上に、魔力を練る必要もないようです」
「アリスさん、気をつけてて。私が引き付ける……!」
私も詠唱は終えています。詠唱の差は出ません。
『来い。巫女、赤の巫女。確かめさせて貰おう』
確かめるという言葉が気になりますけど……地面を蹴り、敵へ……!!
活歩で背後を取った私を、魔王はしっかりと目で追えています。それどころか、反撃まで……っ。
(私の顔へのカウンター。この拳圧は……マクゼルトの……!)
範囲は一回り小さいです。それでも、私を殺すには充分の威力。”疾風”で大きく回避。一瞬生まれる、無防備な腕へ私は刀を――振り、降ろすっ!
「シッ!!」
私の刀に向って魔王の裏拳。両断出来ると確信した私の常識は――。
「!?」
脆く、崩れ落ちます。拳圧で私の刀を受け止め、更に押し戻してきました。
「ぅ……!?」
そこに鉄板があるかのように、完全に刀が止まっています。
(こんな、に……差が……っ拙――っ)
一度間合いを開け、仕切りなおします。常識を捨て去らなければいけません。
「リッカさまっ」
「計画に、支障は無いよ。でも」
手首が浮いてるような感覚があります。予想外の結果に、手首を痛めたみたいです。
アリスさんの魔力は、もう少しかかります。ならば……!
『時間稼ぎか。出来れば良いな』
「……」
私達の狙いはバレています。なら、裏をかこうとか考える必要はありません。
「―――シッ!!」
再び斬りかかります。何度も振り下ろされる刀を、魔王は拳で弾いていきます。鉄すらも斬る私の刀は、見えない壁に阻まれてしまうのです。魔王の腕が振るわれる度に私の体が削られています。血が滲んで、痛みが上ってきます。
素手相手に刀で挑んでいるのに、斬れる気が起きません。
(違う……! こんな弱気じゃ、魔法も落ちる……!)
本当の壁があるわけじゃないんです。ただの圧。だったら……!!
(疾く鋭く重く――)
『――!』
魔王の背後へ、相手がこちらに気付き動く瞬間、魔王の正面懐へ――!
「シッ!!」
腕を畳み、横薙ぎ。
(入った――!!)
手応えを感じた後、斬り飛ばされる上半身。”光”を纏った刀で斬りました。確かなダメージを与えられ――。
『時間が経つ毎により速く、か。報告通りだ、が――ふむ。マクゼルトより速いな』
「―――っ」
これくらいで倒せるなんて思ってません。でも、少しもダメージを与えられないなんて……!
(とにかく離れ――ぇ?)
足が、地面から離れ……ない?
『やはり、お前達が我の――。だが、魔法への警戒が足らなかったな』
「ま、ほう」
そうでした。マナの王だから、常に魔力を纏っているように見える所為で……反応を見逃して――。
「光の炎、光の刀、赤光を煌かせ! 私の魂、私の想い、私の愛を捧げる! フラス――!!」
アリスさんが【アン・ギルィ・トァ・マシュ】の詠唱を開始しました。
『どう避ける。赤の巫女ッ!!』
残った魔王の下半身が片足を上げました。蹴りが来る。狙いは私の頭。避けないと……! 分かっているのに、足が離れませんっ。
もう少しで、アリスさんの詠唱が終わるのに……こんな所で死ねません。
(……やるしか、ないっ!!)
出来るかどうかは微妙な所です。足が離れない所為で、震脚も……。だからって――諦めたく……ないっ!!
目を閉じ、その時を待ちます。集中して――。
魔王の脚が近づいてくる。見えない何かが私の頬を押し潰していく。
『終わりか』
終わりになんて――。
「私の想いを受け、私の敵を拒絶せよ! 【アン・ギルィ・トァ・マシュ】!!!」
詠唱を終えたアルレスィアが、【アン・ギルィ・トァ・マシュ】を発動させる。リツカの足が離れないと気付いた瞬間、一気に詠唱を開始させた。澱みなく紡いでいく。
最速で魔法を発動させたアルレスィアの目に映ったのは、リツカの無防備な頭に、魔王の脚が迫っている姿だった。
「ぁ………」
(嫌………なんで……間に合わ……)
【アン・ギルィ・トァ・マシュ】が揺らぐ。アルレスィアの心が崩れてしまう。リツカの死が目の前までやってきている。それに目を瞑るかのように、アルレスィアの瞳から光が消えて――。
『何……?』
「っ……!」
リツカの頭が弾ける音ではなく、魔王の困惑がアルレスィアの耳を叩く。瞳に光を戻し、アルレスィアが魔力を送る。揺らぎが収まった【アン・ギルィ・トァ・マシュ】が刀を――居合いした。
『何をした?』
「……」
リツカの頭の横に、魔王の足が迫っている。しかし、リツカの肘がそれを止めていた。
『む』
「時間です」
『……お前達は何処までやれる』
【アン・ギルィ・トァ・マシュ】の刀が、リツカの居合いと同じ速度で放たれる。魔王の質問に応える時間などない。
『お前達を殺すのは――』
世界が光る。魔王の力で強化されていたマリスタザリア達の悪意すら呑み込んでいく。光に呑まれる人形が、霧となって消える。リツカは魔王が言った言葉の意味を考えていた。
「っ……はぁ……はっ……」
しかし、痛みに顔を歪めた。リツカは肘を押さえ、肩で息をする。地面に、血が滴り落ちている。
思考を止めたリツカの前には、晴れ晴れとした青い空が広がっているだけだった。
「リッカさまっ!!」
アリスさんが駆け寄って来てくれます。魔王は完全に消滅しました。一端であったとはいえ……その力は圧倒的でした。本気を出していないようにも感じました。まるで、私を試すような……。
「ありがとう。アリスさんのお陰で、助かったよ」
「っ……傷だらけじゃ、ないですか……」
「でも今回は、ちゃんとアリスさんを見ていられるから」
命は繋がっています。少し怪我したくらい、どうって事ないです。死んでいてもおかしくなかったのですから。成功して、良かった。
「まだマリスタザリアは残ってるみたい」
「目の前の、魔王を優先しましたから……あちらまで届けるのは……」
アリスさんが居なかったら、私は死んでいたでしょうし魔王の人形を滅する事も出来ませんでした。最上の成果です。
アリスさんの頭を撫でようとしましたけど、私の手には血がついています。残念ながら、アリスさんの温もりを感じるのは後になりそうです。
レイメイさん側のマリスタザリアはまだ残っています。【アン・ギルィ・トァ・マシュ】のお陰で弱体化はしているようです。すぐに、終わらせましょう。