『メルク』先代⑯
悪意は何故か、牧場だけで吹き荒れています。いえ、何故か……ではありません。
「アリスさん……」
「はい。あの、声ですね……」
「あれは、そうなの?」
「多分、魔王です」
マクゼルトから報告を受けていた。そんな口ぶりでした。これ程の悪意を、私達の回りでだけ吹かせる力。悪意の塊のような人形……。魔王としか、思えません。
「レイメイさん。いけますか」
「問題ねぇ」
「戦いたいでしょうけど、魔王は私がやります。ただ、ここは牧場です」
「全部言わんでいい。化け物は俺がやる」
「頼みました」
あの魔王が居たら、私はそちらで手一杯です。マリスタザリアは……レイメイさんに任せます!
「アリスさん。一緒に」
「はい。恐らくあれは……魔王本体ではないでしょう。しかし」
「うん。一端であっても、見ておきたい」
どれ程の一端なのかは分かりません。それでも、魔王に追い縋るチャンス! 絶対に、物にしなければ……!
「ルイースヒぇンさんはこの盾の中に」
「説明くらいして欲しいけど、後で良いわ」
アリスさんは杖を地面に刺したままです。でも、ブレスレットがあれば、アリスさんは魔法を使えます。
闇が晴れていきます。その闇の向こうには、いくつもの強大な悪意。全てが……魔王産です。
「レイメイさん。気をつけて下さい。全部、魔王産です」
「魔法と体術使いか。上等だ」
戦いを楽しむなと言いたいですけど、高揚は戦いを有利にします。口出しはしません。
周囲のマリスタザリアの強さは、王国侵略戦争で出てきたマリスタザリアより強いです。数にして、四十体。
(あんなに広範囲、しかも長時間汚染されるとは思わなかった)
本当に、危なかったです。”疾風”で上に逃げたのは失敗でした。あの黒い人形に少しでも攻撃を加えたいと思った事が完全に裏目でした。
一度の”疾風”ではアリスさんの元に届かなかったのです。少しだけ焦ってしまいました。突然の声と警鐘が、私に歌劇場を思い出させたのです。それが、原因です。
反省は終わりです。運良く、アリスさんの元に戻れました。私の役目を果たすとしましょう。
「死なないように」
「分ぁっとる。さっき死にかけた阿呆には言われたくねぇ」
「手痛いですね……」
レイメイさんが居なければ死んでいたとはいえ、そこまではっきり言わなくても。助けられた側なので、多くを言えません。明日の修行を、より過激にする事で報いましょう。
「お二人共、無茶だけはしないようにお願いします。危ないと思ったら逃げに徹しましょう」
「うん」
「あぁ」
レイメイさんはこちらに来ましたけど、シーアさんの姿はありません。多分町民を守ってくれています。ならば、前に集中するだけです。
闇が晴れるまでもう少し……三……二……一……。
「状況、開始っ……!!」
アリスさんの盾を飛び出し、敵の一団へ――。
サボリさんを送り出したのは良いですけど、ここは暇ですね。
「牧場の方が騒がしいですね。多分リツカお姉さん達でしょうけど」
共和国語で独り言を話しています。最近は抑えようと頑張ってたんですけどね。やっぱり癖は抜けません。まぁ、この癖はソフィお姉ちゃんの所為ですけど。
「サボリさんは間に合ったでしょうか。マリスタザリアは出たのでしょうか」
牧場には数十体程の家畜が居るだけですからね。マリスタザリア化してもそれくらいでしょうか。
「三人が居ればここまでマリスタザリアは来ません」
リツカお姉さんと巫女さんが居て、たかだか四,五十体程度のマリスタザリアを逃すはずが有りません。
問題は、この場所で悪意が暴れた場合ですね。
「ただマリスタザリアを殺すだけなら、私だけでも大丈夫ですけど」
町民が変質したらどうしましょう。殺す覚悟ってのは出来てますけど、私に実行出来ますかね。殺しが出来るかどうかではなく、攻撃が通るかどうかって意味です。
「かっこつけすぎましたかね」
覚悟だけしておきますか。町民を殺させないために、命を懸ける覚悟を。
「もし町民が死んだら、いよいよ”巫女”が死んでしまいます」
どんなに汚名を着せられようとも、死者だけは出してはいけません。その為の私です。一対一でリツカお姉さんと巫女さん、サボリさんに勝てなくとも、私には広範囲を守れるだけの力があります。
「どんなお祭りをしているのかは分かりませんけど、ここは任せて下さい」
牧場の方に見える黒い空間。あそこに居るんですね。
「妹はいつだって、姉を支援するものです」
後ろは守って上げますよ。
レティシアは、共和国の言葉で独り言を話していた。たとえ聞かれても問題ないようにと。独り言はレティシアの癖だ。思考を纏めるために、言葉にしている。その時は共和国の言葉で話す。
今回の話を正確に聞いたのなら、もしもの為にレティシアがここに居るという内容だった。しかし――。
(マリスタ、ザリアっていうのは化け物の事かな……? ルイースヒェン様が言ってたような……)
ルイースヒェンの自宅の地下には秘密の部屋がある。マリスタザリアが襲って来た時の為だ。入り口はルイースヒェンの家の中。しかし、出入り口が一つだけであった場合、家が壊れた時に出られなくなるからだ。
この町は”神林”に似ている。しかしどんなに真似ていても、所々違いはある。湖にかかっている桟橋もその一つだ。レティシアはそこでぼーっと湖を眺めている。
桟橋の下は、地下からの隠し扉がある。
(えっと、マリスタザリア……出た……来る……祭り……?)
単語が分かる程度だけど、聞き耳を立てている者は共和国語を理解している。ただ、抜き出した単語が問題だった。
「早く、皆に伝えないと……」
焦燥を浮かべ、地下道を走る。
抜き出した単語から、”マリスタザリアが出現しここに向っていて、桟橋の上で独り言を言っていた者は、それを楽しんでいる”と、思ったようだ。
「今の巫女って………!」
”神林”での役目を放棄し旅をしている。そんな無責任な巫女。それがこの町での評価だった。
「人の心がないの……!?」
マリスタザリアを呼び寄せ、それを楽しむ巫女。それが、新しい評価になってしまった。
「釣りでもしましょうかね」
釣竿を見つけました。落ちてるんですし、使うくらい良いでしょう。
「ん?」
この湖、意外と浅いです。
「川釣り用ですかね」
「おい……!」
後ろから急に声をかけられました。何故か町民が十人くらい出て来ています。
(出口が他にもあったんですか。でも、なんで怒ってるんでしょうね)
「落ちていた釣竿を勝手に使った事は謝リ」
「あんたら何て事してくれたんだ!!」
「ここって釣り禁止だったんでス?」
本物の”神林”ならまだしも、普通の湖で禁止っていうのもおかしな話です。この町のしきたりなら従いますけども。
「釣りとかどうでも良いんだよ! 化け物なんか呼び寄せやがって!」
「うン? 何の事でス」
「恍けるな! ルイースヒェン様が言ってたんだよ……!」
もう先代巫女の作戦は始まってるみたいですね。リツカお姉さんを出し抜くなんて、元”巫女”も侮れませんね。
「呼び寄せテ、私達に利益があるとは思えませんネ」
「さっきあんた、祭りが始まるって言ったらしいな!」
「は? あぁ、ただの比喩――」
私の言葉を遮り、牧場の方から咆哮がいくつも上がりました。本当に呼んだんですか、先代巫女は。しかも今、こんな時に。
「ひぃっ」
「や、やっぱり!」
「こいつを捕まえて”巫女”を脅そう!?」
「馬鹿! 人の命を弄ぶ”巫女”がそんな事で止まるわけねぇだろ!?」
これが、北の洗礼って事ですかね。”巫女”の事を誰も信じてません。誰も神誕祭に誰も来てないようですし、もうダメかもしれませんね。
「浄化は諦めた方が良いですよ。お二人さん。もう誰も”巫女”を信じてくれません」
「今諦めろって……!」
「こいつだけも捕らえろ!!」
どうやら、一番後ろに居る女性が共和国語が分かるみたいです。ただ。
「中途半端にしか聞こえてないじゃないですカ。適当な事言わないで欲しいですよ全ク」
さっきの事もそうだったみたいですね。中途半端な言葉しか理解出来なくて起きた誤解ですか。”巫女”の逸話にそんな事がありましたね。
「アルツィア様の気持ちが少しだけ分かりましたヨ」
確かにこれは、歯痒いです。
とりあえず、逃げながら防衛しますか。ただでさえ”巫女”が不利な状況です。ここで死人が出たらって話です。
「サボリさんが向こうで良かったです」
今ここに居たら、あの人の事ですから余計に拗らせます。野蛮サボリさんですからね。
ブクマありがとうございます!