『メルク』先代⑬
「簡単な話よ。町民がうるさかったから。せっかくなら見た目を一緒にしましょうってね」
クツクツと笑いながら、頭を押さえています。
「笑えるでしょ? 更にこんな事も言ったわ。そっちの方が落ち着くでしょう? だって、長いこと住んでた場所なんですもの。ってね」
笑うのを止め、ギリッと歯を鳴らしました。
「こんな景色……見たい訳ないでしょッ!? わざわざ景色を聞いてきて、無駄に精巧に作って……。なんで私が……ッ自分でッ!」
声が裏返ってもなお、声を荒げています。
「いつかぶっ壊してやろうって思ってた……。なのに神隠しぃ……? お陰で”巫女”を演じないといけなくなった……。町民のアホ達、私にまで憎悪を向けてきたのよ!? 信じられるッ!?」
本当はゆっくり過ごしたかったのでしょう。なのに、それが出来なくなってしまった。
「”巫女”を辞めたのに、何で”巫女”に振り回されなきゃいけないのよ……ッ」
こればかりは、同情を禁じえません。先代はもう”巫女”に関わる必要などないのに、周りがそれを許してくれなかったのですから。ここまで嫌がっているものが、一生ついて回るのは辛いでしょうね。
「ま……。アンタ達の所為にすれば良いって思って、開き直ったけど。ついでにアルレスィアが苦しめれば儲けってね。アッハハッハハッ!!」
心底楽しそうに、黒い笑みを浮かべます。さっきの同情を返して欲しいです。
「これでも故郷には愛着があるのよ? だからここで快適に過ごしたいって思ってるの。なのに、私の邪魔ばっかり……」
邪魔してません。と、言いたいですけど……。私とこの人は相性が良くありません。また論破されそうです。
「先程”巫女”の気持ちは”巫女”にしか分からないと言いました」
「言ったわね」
「あなたの先代、そのまた先代ならば、分かって上げられるかもしれません」
荒ぶる先代を物ともせず、アリスさんは静かに話始めました。
「ですけど、私……いえ、私達はあなたと分かり合えません」
先代の苦しみの大半は、アリスさんへの個人的な恨み。それ以外を見ると、”神林”への文句です。そうなると、私達と先代は分かり合えません。
「私が出て行った後に歌劇場でも出来たのかしらね」
皮肉を言って、アリスさんを見ています。
「歌劇場ですか。それに近いものではあります」
「はぁ……?」
私を見て、アリスさんが微笑みました。そして頷いたのです。私の出番のようです。
「森は歌うんですよ」
「急に何言ってるの? 狂った?」
狂ったは言い過ぎですよ。比喩表現として言いましたけど、実際に歌っているように聞こえるんです。
「朝陽が降り注ぐと、木々は大きく背伸びをします。昼の光は木々に安らかな眠りを与え、夕日で目覚め、演奏を始めるのです」
夜、世界から音が消える時間。孤独を強く感じるはずの時間帯に、森は傍に居てくれるんです。
「葉が葉と触れると、森は笑うんです。種子の落下は、森に喜びを。風が湖を撫ぜ水音を奏で、葉と共に歌うんです」
命の息吹が、森を盛り上げます。
「木々が揺れる様は踊っているようにも見えます。神林という舞台。葉と湖、種子が奏でる演奏で、木々が踊るんです」
二度しか見たことがない森の歌劇。私が神さまに連れ去られようとしていた日の帰り道と、巫女になる前日です。いつもは夜まで居られない森を、遅くまで堪能しました。
この二日は、私にとっても思い出深いです。いつもより森が喜んでいる気がしましたから。
「寂しい事なんてありません。森は生きてる。寄り添ってくれていたじゃないですか」
だから、先代と私達は分かり合えません。どんな時も、森が私達を支えてくれました。私達が出会うまで……いえ、今でも。私達の、帰る場所として――。
「森が……? アルレスィア。この子おかしいんじゃないの?」
「私にも同じ感覚はありました。だから私達は分かり合えないと言ったのです」
「アンタ達……」
先代が引いています。私が森の話をすると、少なからず似たような反応が起こります。普通の人には理解出来ない感覚なのだと、この世界に来て知りました。特別な感覚を感じるのは、神さまが居るから。でも、森の歌劇は誰でも感じられるはず……。
「人間じゃないわ」
先代がどんどん後退りしていきます。
「”巫女”は人間として認識されていませんから」
「……散々人に突っかかる割には、簡単に身を引いてたアンタがね……。成長を感じるわ」
「良き出会いは人を成長させます」
「皮肉まで上手になったわね」
良い話のように聞こえますけど、空気が重いです。そろそろ――戦闘準備が必要ですね。
ちょっと個人的な感情が胸を刺激していますけれど、魔力を一気に練り上げます。
「これ、何か知ってる?」
先代が手に持っているのは、小瓶。やはり……。
「悪意が入った瓶ですね。エッボからですか」
「あら。出所まで知ってるのね。会ったのかしら」
「ここに来る前に、少し」
「そう」
瓶を玩びながら、私達から離れていきます。警戒しているようです。
「一歩」
「?」
離れていた先代は、アリスさんがぽつりと呟いた言葉に止まりました。
「リッカさまが、そこに到達するのに必要な歩数です」
「”疾風”でここに来る前に開けられるわ」
「疾風より早いです」
「……ッ」
魔力は十全。
「私の強き想いを抱き、力に変えよ」
アリスさんと先代の語らいは終わったようです。この語らいに勝ち負けはなく、お互いの本音をぶつけ合っただけです。先刻、先代宅で会った時よりはわだかまりも少ない気がします。
だからこそ、分かり合えなかったという結果が全てとなります。
先代はアリスさんを許さない。身勝手な復讐を完遂させるでしょう。今も続く”巫女”の呪縛から逃れるには、この町において”巫女”の名を失墜させるしかありません。神隠しの問題は、どうとでも言い含める事が出来るという事でしょう。
そしてアリスさんは、”巫女”として退きません。というより、散々アリスさんを貶されたのです。私はもう我慢の限界です。今すぐにでも制圧したい。でも、アリスさんのサポート。それが今の私。アリスさんの合図を待ちます。
「ルイースヒェンさんの怒りは、分かりました」
「そう。だったら何? 死んでくれるのかしら」
「それは出来ません。私はあなたの為に生きていないのです。私はあなたの為に何もしません」
「じゃあ話は終わりね。これを開ければ一帯は悪意に包まれる」
「いいえ。それには何も入っていません」
「さっき震えたもの。溜まってるわ」
「私達は悪意を感じ取れます。それには何も入っていません」
「嘘よ」
「私は嘘で止めるような人でしたか?」
「成長した貴女なら、嘘を使う事もあるんじゃない?」
「そこだけは変わっていません」
説得を試みる為に言葉を紡ぐアリスさんと、アリスさんの言葉に耳を傾けない先代。語らいではなく対話。先代の心の隙間を狙います。
「ルイースヒェンさん」
「何」
瓶を開けるだけ。本当にしたいのなら、簡単です。それをしないのですから、まだ……迷っているはずなんです。
嫌いといったアリスさんとの会話を続ける先代は、止めてくれることを望んでいます。集落で、いつも口論していた。それはいつも、アリスさんが先代を止めようとしたから起きた事です。
今回も先代は……止めて欲しいのかもしれません。