『メルク』先代⑪
先代が居るのは、牧場。悪意を撒けばマリスタザリアが大量に発生します。
「先代は、悪意を」
「見る事は出来ません。瓶を持っていたとしても、そこにある悪意を感じられないはずです」
感知しても、悪意はそこにありません。空の、ただの空き瓶で何を……。魔王が手を貸すでしょうか。私達を追い詰めるのなら、絶好の機会だとは思います。この町での私達は出来の悪い巫女で、マリスタザリアを呼ぶ最悪の巫女となるのです。そして、この町から世界へと噂は流れていくでしょう。
最初は嘘と思ってくれると思います。でも、思い当たる事があるはずです。王都で起きた戦争や、各町でのマリスタザリア襲撃。きっと、私達に不信感を抱きます。そしてそれは、私達への憎悪になるのです。
魔王なら、この機会に私達の信頼を失墜させるのではないでしょうか。
「ルイースヒェンさんに、戦闘能力はありません。”雨”が特級だったはずです。”治癒”以外、使う事は殆どなかったようですけど……」
「瓶を無理やり奪えるって、事だね」
「はい。でも……まずは、話がしたいです」
「うん。もしもの時は任せて」
思う存分、語らって欲しいです。会話する事は殆どなく、会っても罵声を浴びせられていたそうです……。まともな会話をする機会が殆どなかった二人ですけど、今なら話せると思います。
相手はすでに覚悟しています。本音を引き出すことも可能でしょう。アリスさんも、前を向いています。きっと……本音でぶつかり合える。
牧場につくと、先代巫女がドルラームと戯れていました。
「私がこの町に帰って来た時、両親が私に言った事……分かる?」
私達が来る事は計算していたようで、驚いた様子もなく話しかけてきました。どちらかといえば、独白に近いものでしたけれど。
「おかえり、ですか?」
アリスさんが先代の言葉に応えました。私は後ろで、二人の会話を聞きます。
「そうだったら良かったけどね?」
先代巫女は自嘲気味に笑い、立ち上がりました。
「本当にルイズなの? ですって」
「見違えるように大きくなって――という訳じゃなさそうですね」
「そ。自分では気づかなかったけど、表に出るくらい性格変わってたみたいね」
ドルラームと戯れながら会話を続けています。最初に訪問した時とは全く違う、優しい声音です。
「自分でも、薄々気付いてたはずなのよ。でも言われるまで、全然気付かなかったのは驚いたわ」
「……司祭イェルクを、今でも信じているのですか?」
「やっぱり、分かるのね。どんな手を使ってるのかしら」
「……」
先代の性格が歪んでしまったのは、司祭の所為。アリスさんはそう感じ取ったようです。
「ま。言いたくないなら、言わなくていいわ。イェルクを信じてるかって話なら、信じているわ」
「何も知らなかったあなたを、自分の思うがままに歪めた張本人を信じるのですか」
司祭は無垢だった先代に、間違えた知識を植えつけました。集落の人達や時の為政者達は、司祭を通じて先代を崇めたのです。権力と贅沢は先代を歪めました。
「歪められた、んでしょうね。でもそれ以上に助けられたわ」
「そんなにも……集落での生活は苦しかったですか?」
「苦しかったわ。何もしたくない程に。それに――」
集落という狭い世界。そこに閉じ込められる事は、想像の遥か上の苦しみとなったようです。私の世界では、”神の森”が町に根付いていたからか、町の中までは歩けました。つまり私は、こちらの世界の人より楽なのです。
こちらでは、集落しかありません。それすらも、最低限の日用品が売られているだけ。何か楽しみがなければきついと思います。その楽しみを作ってくれたのが、司祭なのですね。
「それに、アルツィア様の声が……私には聞こえないのよ」
聞こえ辛いだけのはずです。でも、聞こえないと先代は言います。
「最初は話しかけてくれていたけれど、私が聞こえないから……次第に話さなく……」
私はアリスさんに視線を送ります。アリスさんは首を横に振りました。
話しかけてはいたのでしょう。断片的にしか聞こえないため、苦労して、試行錯誤してでも。
向こうの世界では神さまの声を聞ける人なんて居ません。私でも、こちらで魔力に目覚めてやっと聞こえたのです。そんな向こうの世界の人にも、神さまは根気良く接しています。断片的とはいえ聞こえる先代に、話しかけないはずが――。
「貴女が話せるようになってから、より……」
アリスさんが会話出来る程成長した後から、神さまが話しかけなくなったと先代は言います。でも、神さまがそんな、不貞腐れるような事をするはずがありません。
「アルツィアさまは言っていました。あなたに声が届きにくくなっていったと。あなたが司祭イェルクと交流を続ければ続けるほど、より届かなくなっていったと」
「イェルクの所為、って事?」
「司祭イェルクと交流することで、あなたの”巫女”としての力が衰えたのです。性格が歪んでしまった事で、異常が出たのでしょう」
そんな事が起こるとは、思いませんでした。性格の歪みが、”巫女”の力に及ぶなんて……。先代は、マイナスの方へ向いてしまったからでしょうか。
「それでも、イェルクを恨む事は出来ない。私はあの毎日を後悔してないわ。例えアルツィア様に嫌われていようとも」
「アルツィアさまはあなたを嫌ってなどいません。呆れてはいましたけど」
「慰めはよして」
「私があなたを慰める理由がありません。私は、あなたの事が嫌いなのですから」
「……ッ」
多分、アリスさんが先代に感情をぶつけたのはこれが初めてなのでしょう。先代が、驚愕に目を見開いています。
「ま、当然ね。あれで嫌ってない方が、気持ち悪いもの」
「……」
「そう睨まないで? 赤の巫女」
邪魔するつもりはなかったのですけど、思わず睨んでしまいました。露骨に、体ごと目線を切り、深呼吸を繰り返します。
「赤の巫女にまで嫌われちゃったみたいね」
「……」
「貴女にはもっと、だけど」
「私は、あなたが正常であった頃を知りません。話には聞いた事がありますけど、そんな事がどうでも良くなるくらい嫌っていました」
「素直ね。今の方が良いわよ?」
昔のアリスさんを知っている。そうまざまざと見せられ、私の心に少しだけ棘が刺さります。
「アルツィアさまはあなたの事を心配してました」
「そう言ってたわね」
「今でも心配している事でしょう」
「何を言ってるの。心配なんてする訳ないじゃない」
「”光”の剥奪ですか」
「そうよ。移譲式を行う事なく、剥奪という形で終わってしまったのよ?」
「あの時に関してはあなたの自業自得です。私を守る為に、”神林”から出る事が出来なかったのです」
アリスさんを襲うように命令した先代。その結果として、アリスさんは神さまによって”神林”に匿われました。お陰でアリスさんは無事、”巫女”になる事が出来たのです。神さまには、感謝してもしきれませんね……。
「本来であれば対面して行う移譲式は、お互いの同意を以って完遂されます。大抵の場合、すぐに同意がなされると聞いています」
「そうなの? ……あっ」
初めて聞く、移譲の儀式。思わず口を挟んでしまいました。
「はい、リッカさま」
先程までの険しい表情から、にこりと笑みを零したアリスさんが応えてくれます。
「候補の方は、アルツィアさまの声が聞ける事に喜ぶ場合と、強制と言われ諦めてしまう場合があります」
「どっちの方が、多いのかな」
「今の所、半々です」
むしろ、半々である事に驚きます。向こうの世界だと多分、九割が諦めてしまうでしょうから。
「ちなみに、私は諦めた側よ」
「さっきまでの話を聞いてたので、そんな気はしてました」
先代が肩を竦めました。
「あなたはどうなの? 向こうの世界とやらでの選別がどういう物かは知らないけれど」
「向こうでは、六花の家から選ばれます。一応断る事は出来ますけど、断った人は居ません。私は――”神の森”……こちらでいう”神林”が好きだったので、喜んでなりました」
「おかしな人ね」
おかしな人とは、失礼な。まぁ……自分でもおかしいとは、思いますけど。
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