『メルク』先代⑧
ある日、ルイースヒェンとイェルクが酒宴を開いていた時の事だ。アルレスィアがその場にやってくる。
「どうしたの。アルレスィア」
「……」
ルイースヒェンとイェルクは、露骨に顔を顰める。集落の者達も良い顔はしていない。集落の一部を除いて、アルレスィアは疎まれていた。”巫女”でもないのにアルツィアが見えるという少女は、集落の者とイェルクにとっては嘘をつく悪童だった。
「貴女がこんな場に来るなんて、ね。すぐに帰りなさい」
ルイースヒェンだけは、少女が本当の事を言っていると分かっている。それでも認められない。”巫女”である自分よりもずっと、”巫女”らしいアルレスィアを。
「アルツィアさまが悲しんでいました。巫女様に声が届かないと」
「……それで?」
「司祭イェルクの言は間違っているので、付き合うのを控えるべきとの事です」
アルレスィアは短く、用件だけを述べる。
『アルレスィア。別に、良いんだ。役目はこなしてくれている。元々無理やり”巫女”になってもらったんだ。それ以上は望まないよ』
「ですけど……」
アルレスィアに話した事は後悔していない。しかし、アルレスィアの気持ちを少しばかり軽んじてしまったようだ。
「……」
(やっぱり、完全に聞こえてる。アルレスィアは何れ巫女になるんでしょうね。だけど……気に食わないわ。その目が)
アルレスィアを見るルイースヒェンの表情は、憎悪に歪んでいる。
「その目を止めて。嫌いなのよ。私を見てないその目が」
「巫女様もそうだと思います」
「そうやって、何でも知ってるって目も嫌い」
アルレスィアとルイースヒェンが睨みあう。
「控えよ小娘。ルイースヒェン様に、不敬であるぞ」
「……っ」
イェルクが立ち上がり、ルイースヒェンとアルレスィアの間に立つ。アルレスィアはイェルクが苦手だ。
「神の名を騙る不届き者めが」
「騙ってなど」
『アルレスィア。帰ろう。君が傷つく必要はない。そうそう。今日はあの日だから、森に迎えに行くとしようか』
「……分かりました。やっと――」
アルレスィアを連れ、家に帰る事にする。アルレスィアは悔しそうだけど、傷ついて欲しくない。君が傷つくと、あの子も悲しんでしまうだろうから。
(……アルレスィアには、姿も見えてるのよね。やっぱり、あの子に付いて行ってるのかしら……)
ルイースヒェンが、アルレスィアの後姿を見ている。その小さい後姿に、ルイースヒェンは何を思うのだろうか。
「罰を与えずともよろしいのですかな」
「必要ないわ。誰にも信じてもらえないって、それだけで罰でしょ」
「それもそうですな」
イェルクが嗤う。それを見ながら、ルイースヒェンは静かに目を閉じる。何れアルレスィアが”巫女”になるのは明白。その時をルイースヒェンは、想像していた――。
更に月日は流れる。この時はまだ十二歳だったアルレスィアが、こっそりと森に入ってきた。
「……」
ルイースヒェンは森で、静かに祈っていた。
(そろそろ、ね)
ルイースヒェンは予感していた。その時が近づいている事を。
「……でも、私は……今更、戻る気なんて、ありませんから……」
ルイースヒェンが森から出て行く。
その後直に、アルレスィアがやって来た。
「アルツィアさま」
『もうすぐ13歳だね』
「はい」
『そろそろ”巫女”になってもらうよ。”光”の扱いと、”拒絶”との複合を練習してもらわないといけないからね』
「覚悟は出来ています。直に来る、もう一人の”巫女”さまを導く為に――私が先に」
『そうだね。きみがあの子に教えて上げるのが一番だ』
アルレスィアの覚悟は完璧だ。少しの躊躇も、恐怖もない。「今すぐにでも旅発てるから、呼んで欲しい」と、目で訴えかけてくる。
(まだまだ、その時じゃないよ)
『明日の昼。ここにおいで』
「分かりました」
アルレスィアが頷き、湖の畔に立つ。じっと眺めた後、目を閉じる。何かを感じたいようにも見える。そうする事で、もっと強く感じられるみたいだ。
一通り堪能したようで、集落への道を歩き出す。
「巫女様は、諦めていないようでしたけど」
『そうだね』
「今にも私を……」
『大丈夫だよ。きみの方が強いから』
「……」
アルレスィアのルイースヒェン嫌いは深刻だった。それも、今日で終わる。ルイースヒェンを”神林”から解放する。
ルイースヒェンもそれを望んでいたはずだった。だけど、知ってしまった甘い蜜は、ルイースヒェンの心を揺さぶってしまった。
今のルイースヒェンは、”巫女”を辞めた後を恐れている。好き勝手出来た”巫女”時代は、ルイースヒェンを怠惰にした。今更元の生活に戻れるとは思えなかったルイースヒェンは、”巫女”に執着している。
アルレスィアの懸念通り、襲い掛かってくるかもしれない。そう思わざるを得ない程、鬼気迫るものがあった。
(ルイースヒェン……。君を選んだ事を、後悔している。選ばなければ良かったと思ってしまう。だけど謝る言葉すら、君には届かないのだろう。だから私は――無理やり奪う事で、君の未練を断ち切ろう)
明日の昼、実行する。
(今までありがとう。ルイースヒェン。せめて君の幸せを、祈らせておくれ)
私の人生って何だったんだろう。最近はその事ばかり考える。
ルイースヒェン。それが私の名前。小さな町で、ただの町娘として過ごしていた。十五で恋をして、十七で結婚。二十には子供を生んで、その子と旦那の為に生きる。そんな人生設計だったはず。
でも実際はどう? ”巫女”に選ばれて、辺境に飛ばされて、森に通い詰めるだけの退屈な日々。イェルクが来てくれなかったら狂ってた。イェルクには感謝してる。私がどういう存在なのかも分かった。
でもね。私は、アルツィア様としっかりと話をしてみたかった。せっかく”巫女”になれたのに、しっかり聞き取れない。だからかな。アルツィア様は私には余り話しかけてくれない。
アルレスィアには、あんなに話しかけてるのに。やっぱり……ちゃんと話せないと駄目なんだって、思う。アルツィア様の言う事、ちゃんと聞けてないのかもしれない。だから――嫌われたんだ。
それだけなら良い。話せないのなら、仕方ないって思う。嫌われたとしても、”巫女”でいられるのなら……。”巫女”としてちやほやされて、イェルクに言えば何でも手に入る。そんな生活も悪くないって思えてきたの。
アルレスィアへの劣等感はいつも感じてるけど……”巫女”の私はアルレスィアより信用してもらえてる。
でもそれは、私が”巫女”だから。”巫女”じゃなくなったら……。
”巫女”の代替わりは簡単。”光”の移譲のみ。先代の”巫女”と向き合ってたら、いつの間にか私に”光”が移っていた。
私も、そうなんでしょうね。そろそろ代わる。そんな気がする。
アルレスィアは優秀よ。魔力も魔法も、日常における全てが。きっと、良い”巫女”になる。それだけは分かる。だからって、諦められないわ。私の人生を大きく変えてまでなった”巫女”を。
「……そうね。男を使いましょう」
一番手っ取り早くて、私が直接手を下さなくて良い方法。”巫女”になる為に、”巫女”で在る為に必要な条件。それを、奪おう。
「ねぇ。誰でも良いから男の人を呼んで?」
「分かりました」
呼ばれた男は、普通の顔ね。出来れば醜悪な顔の方が良かった。
「ねぇ。アルレスィアを襲ってきて」
「はっ……え?」
「煩わしいって思ってるんでしょ? 許可するわ」
「し、しかし」
「何?」
「あの子は、次の……」
アルレスィアが成長する度に、周囲も気付き始めたみたいね。アルレスィアが次の”巫女”だと。
「そんな事、誰にも分からないでしょ。やるの? やらないの?」
「……」
そのまま断るなら、それでも良かった。何も本気で言ってる訳じゃないもの。でも、男って単純。アルレスィア程の子だもの。そうなるわよね。
「行きなさい」
「……はっ」
これで、良い。私の人生なんて、”巫女”で在る事でしか、意味なんてないんだから。もう、元になんて……戻れないんだから。
「さようなら。アルレスィア」
ルイースヒェン。そこまで……。
『アルレスィア』
「はい」
『今日は森で過ごすと良い』
「ですけど……もう……」
アルレスィアは、”巫女”ではない者が長時間居て良いのかと心配している。
『今日くらい構わないよ。それに、まだ居たいだろう?』
「……はい。まだ、感じてますから」
『だったら、最後まで堪能すると良い』
あの子も喜ぶだろう。
「ぁ……ありがとうございますっ!」
『ハハハっ――良い笑顔だ。布団はないけど、核樹を使うと良い』
「はいっ」
嬉しそうに、アルレスィアが湖に戻る。
ここなら安全だ。ここに居るなんて、ルイースヒェンですら思い至らないだろう。そして、あの悪意はここに向かない。
ルイースヒェン。きみはもう、”巫女”では……いられない。