『メルク』先代⑦
甲板に上がると、シーアさんとレイメイさんが困った表情で待っていました。
「どうしたの?」
「町で何かありましたか」
「はイ」
そんな空気は感じませんけれど、まさか私達に向いた敵意が暴走を……?
「先代が動いたぞ。今広場で演説してやがる」
「それが、マズい事……? 移譲式の説明なんじゃ――」
「内容が、問題なのですね」
移譲式の為じゃ、ないんですか?
「予言してるんですヨ。これからこの町にマリスタザリアが押し寄せる。それは全て、現巫女達がこの町に居るからだト」
「は、ぁ……?」
「……すぐに広場へ向かいましょう」
「う、うん」
何がどうなって……。いえ、そんな嘘は即刻止めないといけません。町民の悪意が高まっています。このままでは……嘘が本当になってしまいます。
「待って下さイ。今行けば暴動が起きまス」
「しかし……!」
アリスさんも、焦っているようです。このままでは町民の悪意に呼応して、マリスタザリアを生み出します。急いで止めなければ。
「そのまま煽動しようとしてる訳じゃねぇ。現巫女には手を出すなと言っていたしな」
「じゃあ、何で……」
「分からねぇな。だが、焦って動けば――より加熱するんじゃねぇか?」
レイメイさんの言うとおりです。ここは、落ち着かなければ。
「アリスさん……」
「はい……。まずは、様子を見ましょう」
何の為に嘘をついているのか、それが分からなければ動きようがありません。
「無駄な嘘をつく人ではありません。何か目的があるはずです……。まずは会って話をしたいのですけど……仕方ありません、ね」
「話し合いが通じるのか?」
「会話は、出来ました」
司祭のように、一切話が通じないという訳ではありませんでした。私がもっと冷静だったら、まともな会話が出来たと思います。
「ですけド、まだ待って下さイ」
「はい。町民の動きを見ます」
アリスさんの歯痒さが伝わってきます。それでも、動く事が許されません。今私達は……この町では敵なのです。
(どうやって、知ったの……? 私達が、狙いって……)
「ルイースヒェン様。本当なのですか……?」
「本当よ。王都が襲われたでしょう? あれもそう」
「なんと……」
「すぐに追い出したいあなた達の気持ちも分かる。でもね。追い出してもこの町は襲われるわ。”巫女”と接触があったというだけでね。だから、退治してもらいましょう?」
ルイースヒェンが作った笑みを浮かべる。
「巫女達に手を出しちゃ駄目よ? あれでも私の後輩。慈悲をもって上げなさい」
「分かりました……。しかし、避難する許可を頂きたいのです……」
「もちろんよ。地下を使いなさい。あの子達に入り口を伝えるから、守って貰いましょう」
「……信用出来るのですか? アルツィア様の言いつけを守る事無く、こんな所まで来た不適合者達ですよ?」
「安心しなさい。王都が無事なのは知ってるでしょ? あの子達が守ったの。その辺りは弁えてるみたいね」
「そう、ですか……」
ルイースヒェンが白々しい言葉を並び立てる。アルレスィアとリツカならばいざしらず、普通の人間には気付けない程の演技力だ。町民は現巫女である二人に不信感を抱いていく。もはやこの町で、二人の言葉は通じない。例え”光”が譲渡されずとも……マリスタザリアが来れば、信用させる事は出来なくなる。
(もう……後戻りは出来ない……)
ルイースヒェンは、過去を思い出していた、
――……
「私が、巫女?」
「そうです。貴女は選ばれました。現巫女であるアラベラ様が神託を受けたのです」
ルイースヒェンは、驚愕している。巫女に選ばれた事よりも、自分が居る場所が分かった事に。
「……それは、断れるん」
「貴女に拒否権はありません。すぐに準備をお願いします」
ルイースヒェンが目を見開き、一歩後ずさる。自身がすでに、自由の無い身である事を理解してしまった。ルイースヒェンはこの日より、”神林”に囚われる事になる――。
ルイースヒェンが”巫女”になって、十日が過ぎた。
「……」
「ルイースヒェン様。御食事です」
運ばれてきた食事を一瞥し、ルイースヒェンはぼーっと森を眺めている。
ここは”神林”。神アルツィアが住まう場所。
『ルイースヒェン。食べた方が良い』
アルツィアの声が響く。しかし、ルイースヒェンにはこう聞こえているようだ。”ル――ヒェン。食べ――が――良”と。
「……どうして」
私を選んだのか。と、言葉を続けたかったのだろう。しかし、呑み込んでしまった。選ばれた理由を聞く意味がないと、思ってしまったようだ。
「違う……。選ばれた理由じゃない……何をすれば良いのですか……?」
『偶に森へ入って、過ごして欲しいだけだよ。それ以上は望まない』
「森へ、入って、望まない……? 入れば、良いのですか……?」
最低限の言葉は聞こえている。しかし、「望まない」という言葉だけ聞こえてしまったのは、不味いかもしれない。昔もそうだった。中途半端に聞こえてしまったが為に悲劇が――。
(でも、望まないって……どっち……? 集落の人たちは、入って欲しいって言ってたけど……)
『入って』
「ッ……分かり、ました」
短い単語で伝えた方が言いようだ。少しばかり命令口調が強くなってしまったけれど、仕方ない。
北の町からやってきたルイースヒェンにとって、南の方にある”神林”集落は過ごし辛いらしい。そして何より、まだ納得して貰えていない。
ルイースヒェンの先代巫女に、拒否しても良いという言葉が届かなかった。ルイースヒェンは強制的に”巫女”にされてしまったのだ。納得できるはずが無い。
「すぐに、向かいます」
昼食を食べる事無く、森へ入っていく。
『食べてからでも』
「……」
聞こえているはずだけど、ルイースヒェンはそのまま森に入っていった。
ルイースヒェンは細々と過ごしていく。集落の人間との交流は最低限。それでいて、集落が求める事はしっかりと行う。アルツィアとの会話は、殆ど無い。アルツィアから語りかけた時のみ、少しだけ話す程度だ。
断片的にしか聞こえない言葉の所為で、会話する気が起きないようだ。もっと話して、お互いを理解したいと思っているのだけど、上手くいかない。
そんなルイースヒェンに会うために、イェルクが来訪した。イェルクはルイースヒェンを崇拝し、願いを叶えた。欲しい物は全て買い与えた。ルイースヒェンが欲した物全て、イェルクは集落に届けていった。
ルイースヒェンは次第に理解していく。自分の立場と力を。そうやってルイースヒェンは増長していく。増長するにつれ、集落の者に対しての態度も変化していった。傲慢に、尊大に。それでいて威厳を覚えていった。
イェルクもまた、ルイースヒェンを奉る。イェルクの言葉を受け入れ、その通りに振舞うルイースヒェンは、彼にとって理想の”巫女”だった。何より、ルイースヒェンの巧みな話術にも注目していた。
「ルイースヒェン様。本日はヴルクハス様からの書状をお持ちしました」
「陛下が……?」
コルメンスの先代、ヴルクハスからの書状を持ってきたというイェルク。国王から直々にもたらされる言葉に、ルイースヒェンは困惑している。
「……ここに訪れたいと、書いてるわ」
「やはりそうでしたか。あの方にも困ったものですな」
「どうするの? 私は別に構わないわよ」
「ルイースヒェン様が会うほどの人間ではございません」
「愚物って話ね」
「そうですな。故に、貴女に会わせるわけにはいきませぬ」
ルイースヒェンは性格が変わってしまった。いや……歪んでしまった。孤独と苦悩が生み出した新たなルイースヒェンは、イェルクが間違えた方向へ導いていく。
本当はそんな子ではない。今ならまだ戻れる。
『ルイースヒェン』
「アルツィア様からお声が」
「おぉ……! 何と……?」
「森に入る時間みたい」
『まだ入らなくて良い。待ってくれ』
「入――て――くれ」
また、こんな時に。ルイースヒェンが森に入っていく。恭しく頭を下げたイェルクからは敬意しか感じない。アルレスィアとリツカに見せていた狂信者としての気配など、この時は欠片も無い。
イェルクは、自身の信じるアルツィアを追い求めているだけだ。それが間違いであると、ルイースヒェンに伝えようと試みる。
しかしこれ以降極端に、ルイースヒェンへ声が届かなくなってしまう。これが世界の……意思だとでもいうのだろうか。ルイースヒェンに声をかけようとも、より断片的にしか伝わらない。
「アルツィアさま。どうしたんですか?」
『やぁ、アルレスィア。ルイースヒェンが少し、ね』
「巫女様が?」
この子はアルレスィア。五歳になって、更に美しさを増した少女は――アルツィアを完全に認識出来る。もう一人と合わせ、世界の宝となるだろう。
それはルイースヒェンを更に……追い詰めてしまう事になるのだった。




