『メルク』先代⑤
「本当に……本当に……!」
ルイースヒェンが、明かりの点いていない家の中で呟いている。窓から差し込む光で見えるルイースヒェンの表情は、とても人に見せられるものではない。
「やっぱり、嫌い。私よりずっと”巫女”特性が高かったのもそうだけど……何より、あの性格が……ッ!!」
机の上にあったコップを腕で振り払い、吹き飛ばす。地面に落ち、ガシャンと大きな音を立て割れたコップを憎々しげに見ている。
「赤の巫女は、ガキね。少しは頭が回るみたいだけど、それ以上に向いてない」
コップを割った事で落ち着きを取り戻したのか、ルイースヒェンは思考する。
「周りを気にしすぎ。あの場には私とアルレスィアしか居なかったのに、町民を見てたわね」
リツカの敗因は、町民の気持ちを考えた事だ。リツカの言い分は正しかった。なのに、町民から見たら、と考えてしまい――自滅した。
「良い子なのは間違いないわ。アルレスィアよりずっと」
新しくコップを出し、酒を注ぐ。今年で二十六になったルイースヒェンは、酒で気持ちを落ち着ける癖をつけてしまっていた。
「私の敵じゃない。やっぱり問題は……ッ!!」
一息に飲み込み、コップを力強く机に叩きつける。
「どうする……。このまま引き篭もる……? 駄目。町民もその方が良いに決まってる」
神隠しの子達が帰ってくるならば、それが一番良いに決まっている。ただの行方不明者だ。帰ってくる事などありえないのだけれど、町民にとっては”巫女”候補という事になっている。ルイースヒェンが”巫女”に戻れば、帰ってくると思ってもおかしくない。
「アルレスィアの案通りにやっても、”光”が戻るなんて事はありえない……。剥奪された時に、よく分かったもの……。一瞬だけ、本当に一瞬だけアルレスィアと繋がった感覚があった。その時に、悟った」
私は――”巫女”じゃなかった。
本来、”光”の移譲で繋がる事などない。アルレスィアだから起きた事なのかもしれない。”拒絶”を持ち、その特性で……ある能力に目覚めてしまったアルレスィアだから。
アルレスィアとルイースヒェン。魔力の量、魔力の運用、魔法の質、精神、魂。どれをとっても、アルレスィアが勝っていた。というより、アルレスィア以上なんて、この世界に居ない。だからアルツィアは、アルレスィアを選んだのだから。
戦うわけではない為、魔力や魔法は関係ない。ルイースヒェンは精神と魂で圧倒されてしまい、その時に折れている。
「赤の巫女からなら……? これも、無理。アルレスィアがあんなに変わってるなんて思わなかった。変えたのは、あの子でしょう。だったら、無理」
爪を噛みながら、ルイースヒェンの焦りが加速していく。
リツカから”光”を奪えるかを考えてみたようだけど、それも無理と素早く悟ったようだ。まず、異世界からというのは本当だろう。わざわざ呼び出した”巫女”から奪えるはずがない。と、考えた。
そして何より、アルレスィアを変えたという事に、ルイースヒェンは無理を悟った。
「イェルクの件で、それなりに調べた。その上で断言出来る。あの子に手を出したら、アルレスィアが黙っていない。確実に、潰される」
ルイースヒェンが少し震えている。アルレスィアに恐怖しているのだ。
「今ならまだ、私が”巫女”じゃないってだけで終わる。この町からは出て行かないといけなくなるけど、まだ私を奉ずる町はある。でも、もしアルレスィアを怒らせたら、何を……されるか」
リツカを少し追い詰めただけで、あれだった。もし直接害すれば、今度は穏便には済まないとルイースヒェンは思っている。
ルイースヒェンがアルレスィアに何かをされた事はない。しかしルイースヒェンは、アルレスィアに得体の知れない恐怖を感じている。何かをされるかもしれないと、考えてしまうほどに。
「……これしかないか。故郷から出て行くなんて、嫌だし」
ルイースヒェンが机の引き出しから何かを探している。
「賭けだけど、成功の方が勝ってる。アルツィア様には……完全に嫌われるでしょうけど、もう……嫌われてるもんね」
悲しそうに、ルイースヒェンが微笑む。その手には、小ぶりの何かが……握られていた。
アリスさんに慰められて目の腫れが引いたところで、船に一度戻ります。先代との移譲式まで、この町での活動はしない方が良いでしょうから。
移譲式の結果で、先代の優位がなくなると思います。その後浄化をする予定です。感知範囲内には、二人か三人程居るようです。
「もう少しここで休みませんか?」
ニコニコと手を広げ、私を誘惑します。そのまま抱きつきたいですけど……。
「船の中の方が、落ち着けるよ?」
「すぐに戻りましょうっ!」
周囲に人は居ません。先代が近づかないようにと、常に命令しているのかもしれません。町民にとっては、品行方正な”巫女”で通しているのでしょう。気の休まるべき家の周囲に人が簡単に近寄っては、休めません。人払いをするのは当然といえば当然かもしれません。
アリスさんに手を引かれ、歩き出します。途中広場に座っていたシーアさんとレイメイさんを拾い、船に戻りました。
「それデ、誰だったんでス? あの方っテ」
「先代巫女のルイースヒェンさんです」
シーアさんは、あの方が気になっていたようです。船に戻るとすぐに会議モードとなりました。
「アリスさんを虐げてた悪い人だよ」
「あぁ、そういウ」
思わず、口走ってしまいます。印象操作は良くないと思います。でも、事実ですから。ただ……事実という事に腹が立ちます。いきなり、先ほどの決意が揺らぎそうになったので、頬を叩き気持ちを切り替えます。
アリスさんは乗り越えたのです。私がぐだぐだと、引き摺ってはいけません。
「無事なのか。先代ってのは」
「私を野蛮人か何かって思ってません……?」
いくら、どんなにムカついても……無闇に手を出したりしません。そこまで子供ではないです。暴力で解決できるのは、悪人とマリスタザリアだけです。
先代は……悪人といえるかは怪しいです。町民の安心に一役買っているのは間違いありません。嘘で塗り固めた安心なので、認めることは出来ませんけど……。
これから私達が引き継ぐつもりです。神隠しではなく誘拐であると、しっかり子供達を取り戻すと伝えるのです。
「それデ、どうするんでス?」
「この町は完全に、現巫女はあの方って奴より頼りにならねぇと思ってやがる。お前等が何を言おうが、言う事を聞かねぇぞ」
「生活必需品、嗜好品すらこの町で完結してまス。船の定期便すらありませン。完全にこの町は独立してまス」
「お前ラ巫女は完全に、この町じゃ招かれざる客だぞ」
短い間。巫女一行という事を話せない状況下で、シーアさん達なりに集めた情報で忠告をしてくれます。そしてそれは正しく、私達の行動を大きく制限するものでした。
この町で私達が行動を誤れば、何も出来ずに去る事になってしまいます。
「ルイースヒェンさんには、町民の前で”光”の移譲式を行うと伝えています」
「エ。そんな事出来るんですカ」
目をパチクリとし、シーアさんが困惑しています。
「アルツィアさまが認めれば可能です」
「まず認めないよ。アリスさん以上の巫女なんて居ないから」
私の言葉に、シーアさんも強く頷きました。
「神誕祭をあれ程盛り上げたお二人でス。まず間違いなく先代の負けで終わるのでしょウ。しかしそうなるト、神隠しの事が二人に降り注ぎますヨ」
「神隠しにあってガキを失くした家族達だが、”巫女”になるなら仕方ねぇと言ってるらしい。それが違うとなると、どうなるんだろうな」
絶対に、私達に火の粉が降り注ぎます。でもそれは……覚悟の上です。その上で誓います。子供達は必ず、取り戻すと。
信じてもらえずとも、夢の中に居るよりも希望がある方へ向いてもらいます。神隠しだと絶対に……戻って来ないのですから。
神隠しなんてこの世界ではありえません。それだけは、分かってもらいます。




