『メルク』先代④
「そんな事する必要ないでしょッ!?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……結果は決まってるんだから」
「だからこそやるべきではないでしょうか。私も、より良い”巫女”が居るのに”巫女”を名乗り続けるのは間違っていると思うのです。お返ししなければいけないのであれば、今しか機会がありません」
アリスさんが詰め寄ります。静かな声音、柔らかい物腰、ゆったりとした余裕のある言動ながら、アリスさんの瞳は煌々と光っています。
「先ほどまで、ご自身の正当性を述べていたではありませんか。リッカさまを論破する為に、喜々として語っていたではありませんか。リッカさまを追い詰めるだけ追い詰めて、何をする気だったのですか? まさか――そのまま終わるつもりだったのですか?」
「な、は……? アンタ本当に、アルレスィア……?」
「ご自身が”巫女”に相応しいというのであれば……私があなたから奪ったというのであれば、取り戻してみせて下さい。ルイースヒェンさん」
先代巫女の知っているアリスさんとは、かけ離れているのでしょう。今のアリスさんは私の為に、怒っています。私が不甲斐ないばかりに……。
先代巫女が間違っていると分かっているのに、私には返す言葉がありませんでした。平行線のまま、決定打を与える事が出来ずに、私は相手の言葉にも理があると認めてしまいました。
私の敗北を、アリスさんが払拭してくれようとしています。先代巫女が見た事のない、私と出会ってから見せるようになった一面でもって、怒ってくれています。
嬉しい反面、自身の不甲斐なさを痛感して落ち込んでしまいます。自分から吹っかけておいて、情けない限りです……。
「時間が必要でしょうから、私達は一度去ります。ですけど絶対に、今日中に行います。あなたが勝つと言うのであれば、”神林”へと帰る準備をしておいてください」
捲くし立て、アリスさんが私の肩を抱いて家を後にします。呆然としながらも、焦燥感を滲ませた先代巫女を……置いて。
「ごめんアリスさん……」
先代の家から少し離れた場所。人目のつかない場所で、アリスさんに謝ります。私が余計な事をしなければ……。
「私は、嬉しかったんです。リッカさまが一緒に行ってくれたお陰で、苦手だったあの人にしっかりと言えました」
「でも……」
負けるのは大嫌いです。そして今回私は、アリスさんに勝利をプレゼント出来ませんでした。ただの負けではありません。込み上げてきます。
「あの人は、口だけは達者な人です。何より今回の件は、こちらに不利でした」
私の目の下を撫でながら、アリスさんが、慰めてくれます。
「神隠しとは関係ない話で煙に巻くのがよろしいかと思います。私のように、あの人が恐れている事を突いて」
「”巫女”に、戻りたいんじゃ……。あの人にあんな事提案したら……」
「リッカさま。アルツィアさましか”光”の移譲は行えません。剥奪された時点で、ルイースヒェンさんはもう折れているのです。だからこの、”神林”から遠く離れた地に居ます」
すでに諦めていると、アリスさんは言います。でも、先代はまだ諦めきれていないとも言っていました。
「でもまだ、諦めきれてないんだよね……?」
「そう思っていました。今日会うまでは」
改めて会って、先代はもう折れていると確信したそうです。
「私を貶すだけで、取って代わろうとはしませんでした。昔であれば、もっと強引に、それこそ私を殺してでも”巫女”になろうとしていたはずです」
言葉巧みに論破する人だという印象でした。そんな暴力的には見えなかったのですけど、昔はギラギラとしていたのでしょうか。
「自身が”巫女”に相応しいと言いながらも、そこに執着していないようでした。私達を”巫女”からは落としたい、でも……自身が”巫女”として”神林”に戻る事はないと、自覚していました」
確かに、”巫女”に戻りたいから文句を言っているというより、私達をコケ下ろしたい様な……。
「アリスさんの提案に、乗らない?」
「はい。乗ってきたとしても、勝てない事をあの人は知っています。アルツィアさまの言葉を全て聞けずとも、”光”の剥奪は如実に、完膚なきまでに、あの人に報せています。”巫女”である事を、許されなくなったと」
喪失感と共に、何かを感じたのでしょうか。神さまからのお叱りのようなものを。
「この町の人たちに信頼されるくらいには、この町の為に何かしてるんだよね」
「はい。ですけど、本質は変わっていません。何より、集落でもそうでした。我侭ではありましたけど、集落の為に最低限働いていましたから」
「”巫女”として?」
「どちらかといえば、経営者でしょうか。司祭イェルクと共に、集落に潤いを与えていました。そういった点も、私が嫌われる原因ではあったのです」
先代の時代は、今よりも多くのお金や物が回ってきたそうです。だからアリスさんの代になって、それがなくなって、しばらくは嫌われていた、と。
お金や生活に必要な物は、確かに大事です。でも、お布施で豪遊って、どうなんでしょう。
何より、詐欺ではないでしょうか。当時の”巫女”にしろ、神さまにしろ、何かが出来た訳ではありません。信仰してお布施をしても、奇跡なんて起こせなかったのです。
そんな黒いお金で遊んで、それがなくなったからアリスさんを嫌う。おかしな話です。落ち着かない心ながらも、明確な怒りが私を支配していきます。
「自分が楽をする為ならば労力を惜しみません。ですけど、安定した辺りから一変します。言葉巧みに労力を避け、楽をします。今がそうでしょう」
「聞けば聞くほど、最低な人にしか……」
「司祭イェルクと同様に、苦手な人です」
だから、あれ程の覚悟で会う事にしたのですね。なのに、私が邪魔をしてしまいました。司祭の時とは違い、私は負けてしまったのですから。……司祭の時も、お互い言いたい事を言っただけで、勝ててもいませんでしたね……。それでも、こんな敗北感は感じませんでした。
「でも、あの時とは違うのです。教会で、討論になった時とは」
「そう、なの?」
確かにあの時よりずっと、余裕は感じました。私の為に怒ってくれていたので、アリスさんが落ち込む暇がなかったのでしょうか……。
「あの時リッカさまに励まされて、一人ではないと強く実感したのです。私の苦い思い出はもう、過去の物です」
自身の胸に手をあて、目を閉じています。
「司祭イェルクとルイースヒェンさんは、”巫女”アルレスィアにとってトラウマでした」
「アリスさん……」
信じてもらえず、それどころか疎まれて……信じられるのは、神さまだけ。その元凶たる司祭と先代が、アリスさんにとってトラウマだったのです。
「でも、貴女さまが一緒に居てくれたから……私を抱きしめてくれたから……乗り越える事が出来ました」
再度、私の目の下を撫で、おでこ同士を合わせます。閉じていた目を開け、私をじっと見つめ。
「だから……泣かないで? リッカ」
「ぁ……」
ぽろぽろと零れる涙に気付くと同時に、私はアリスさんの胸に飛び込んでいました。
頭を撫でられながら、零れる涙も気にせずに私は――。
「アリスさん……アリスさんっ」
「我慢しないで。今までの事全部、ここで――」
アリスさんの名前を呼ぶ事しか、出来ませんでした。
私は、自制しなければいけません。私の精神は余りにも幼い。どんなに大人ぶろうとも、私は子供だったようです。アリスさんの様になりたいという想いだけで、冷静さを装っているだけです。
向こうの世界では、ただ無気力でした。それが、冷静に見えたのでしょう。でもこちらでは、無気力になんてなれない。アリスさんの為に常に全力です。だから、本当の私が出てきました。
アリスさんが貶されたと知るやいなや、すぐに沸騰する頭。アリスさんの事になると、途端に視野が狭くなってしまう。
アリスさんに相応しい女性になりたい。隣に居て、不自然じゃない女性に。その為には、視野は広く、冷静さを忘れてはいけません。
私は、自制しなければいけません。でないと、アリスさんに心配をかけてしまいます。喧嘩っ早い性格を矯正しなければいけません。アリスさんの様に、一旦落ち着いて状況を見れるくらい、冷静な心を。
「ありがとう……」
「ふふ……。可愛らしいリッカさまを、もう少し見ていたかったです」
「うぅ……う?」
「どうしました?」
「敬語と、名前……」
さっき、私に……。
「期間限定ご褒美です」
くすくすと、アリスさんが微笑んでいます。
「次は、いつくるの?」
「そうですね……。リッカさまの決意が物になった頃でしょうか」
「が……がんばるっ!」
私の決意は前途多難です。こんなに可愛らしいアリスさんを貶されて、一旦冷静になる? 今まで何度も決意しては、すぐに振り切ってきた私です。
私を抱きしめながら頭を撫で、頬擦りしているアリスさんを見ながら思うのです。
(絶対、無理……!)
それでも今回は、私から仕掛けて返り討ちにあって……泣くという大失態です。完全に自業自得です。無理なんて言ってる場合じゃありません。アリスさんに恥をかかせないために、私は大人になるんですっ!
「やっぱり、可愛い……」