『ブフぉルム』ちょっと休み⑤
アリスさんの心音が安らぎを奏で始めた頃、私の体調も戻ってきました。
「そろそろ、行こっか」
「はいっ」
手や頬で感じる温もりとは違う、素肌で感じるアリスさんは……また違った悦びを私に与えていました。でもそれは、今晩にも出来る事です。東方の文化はここでしか味わえません。優先順位を間違えてはいけません。アリスさんも楽しみにしている東方の文化。ここで味わえるだけ味わっていきましょう。
巫女のローブをしっかりと着用し、準備を整えます。アリスさんと違い、少しばかり露出が激しい作りです。蹴り技を使う時も細心の注意を払う必要が有ります。普段使いであれば、ちょっと脚がちらりと見える程度ですけど……より気をつけましょう。”巫女”という守りが通用しなくなる世界が、これから広がっているのですから。
「肌を出さずに蹴りを行えるような造りに出来ればよいのですけど……。どうしてもリッカさまの蹴りの妨げになってしまって……」
アリスさんが繕う時、いつも考え事をしているのはこの事だったようです。アリスさんと同じ形である、露出をしないようなローブのまま、私の動きの妨げにならないようにと考えてくれていたようです。
でも、大きく脚を動かしたり蹴撃を行う私には、スリットのない足元は違和感を感じてしまいます。アリスさんの配慮は嬉しく思います。それに応える為にお淑やかでありたいと思っています。でも、そうとも言ってられないのが現状です。
「見えないようには、してるんだけどね」
「それだけでは足りないのですっ」
アリスさんが力強く、私の手を握り力説します。
「リッカさま。お忘れになってはいけません。男性は狼なのですっ」
「そう、だよね。実際、こっちに来てからも実感する事ばっかりだし……」
不埒な感情を向けられる事が多々有ります。それは、露出の程度が関係ないのです。
向こうの世界ではミニスカートの制服だったので、男性からの視線もそういう物なのだと思ってました。でも、こちらでの私は……体の大半が隠れたローブです。スリットすら、激しく動かないと見えることはありません。その僅かな可能性すら、私は気をつけているのですけど……。男性は関係なく、その目を向けてきます。
お母さんはやっぱり正しかったと実感します。男は狼。私はともかく、アリスさんを守る警戒を最大限にします。衣服が関係ないとなると、どこで襲い掛かってくるか分からないのですから。
「私よりリッカさまが……いえ、私を気にしてくれればリッカさまも必然的に……。私も気をつければ……」
アリスさんが思考しながら、折り合いをつけていっています。
「どうか、気をつけて下さい」
「うん。アリスさんと一緒に居たいもん」
”巫女”でないと、ダメなんです。だったら、誓約を守るだけです。
「今までと変わらないよ。アリスさん以外との接触を避けるだけ」
こちらの世界に来てからも徹底している事です。私が気を許した人間以外、私は触れることすらしません。
”巫女”でないと、森に入れません。それはつまりアリスさんとの触れ合いが減るのです。森に入れないなんて、それだけでも苦痛なのに……アリスさんと共に在れないなんて死の苦しみです。絶対に守りきります。
身嗜みは完璧。気力体力共に十全。どこに出ても恥ずかしくない状態です。参りましょう。
宿のお代を払い、出発します。まずはシーアさんと合流しましょう。
場所は、東方の料理を提供している所でしたね。西方、連合王国の料理はアジアや中華の様な感じでしたけど、東方の料理はどんな感じでしょう。醤油に似た調味料があったので、和食でしょうか。
「リッカさまが使った調味料は、どんな風に使うのでしょう」
「んー。何でもかな。どんな食材も、あれを使って煮たり焼いたり。酒やみりんの分量をかえたりだね。刺身とか生卵とか」
「生卵、ですか?」
「向こうだと、生卵をご飯にかけたりしてたね」
こちらの卵は生食出来ないので、驚かせてしまいます。
「リッカさまの世界では、お肉の生食も出来るのですよね。何処でもお魚の刺身が食べられるというお話ですけれど」
「うん。無菌育成したり、遠洋から取ったり。運搬に力入れてたり」
牡蠣なんかが、顕著です。遠洋養殖している牡蠣は生食出来ます。そして、陸に近い所で養殖している牡蠣は焼く用となっています。陸に近いと、川から流れてくる菌などを多量に含んでしまうのです。
ただ、牡蠣好きの話を聞く限り、近海の牡蠣の方が濃厚で大きいらしいです。あくまでお店で売る際は気をつける、といった感じでしょうか。
ゾルゲで食べたカルパッチョは、結構無理してたらしいですね。シーアさんが王都で初めて、生食したと言っていましたから。王都よりも海から遠いゾルゲでは、タイミングがキッチリ合わないと生食がコースに入らないという事らしいです。
「環境の違いなのでしょうか」
「新鮮なものを保存する技術の差、かな。私の住んでた国が特別、生食に拘ってたっていうのもあるのかも」
生は美味しいって考え? でしょうか。
牡蠣なんかは、スペインでは生食が当たり前みたいですけど。その為だけに作られたタバスコなんていうのもありますし。
「こちらでも出来るようになりますか?」
「んー……。私がもうちょっと勉強してたら、やり方を教えられたんだけど……」
残念ながら、そういった物があるという事は知っていても、その方法等は知らないのです。アリスさんの期待に応えられず、不甲斐ない限りです……。
「そういう物があると分かっただけでも前進ですっ! リッカさまが教えてくれなかったら、知ることはなかったのですから」
しゅんと落ち込んでいる私の頭を撫でながら、アリスさんが励ましてくれます。時代の転換点になれた気はします。それでも勉強不足を痛感してしまうのです。
もっとアリスさんに、褒められたかったなぁ……と。
辿り着いた東方料理店には、人だかりが出来ています。この人だかりの目的は、何となく分かる気がするのです。
「すみません。少し通していただけると」
「は、はいっ! お前等道を開けろ開けろ!」
近衛隊の整列の如く、左右に分かれて道を作ってくれます。そこまで大仰に……いえ、ここは感謝をして店内に入りましょう。シーアさんが待ちくたびれてメニューを全制覇する前に。
店内は和気藹々、という訳ではありません。食事の手を止め呆然と一つの席を眺めています。積み上げられたお皿と、止まらない手と口、注文。見苦しさのない優雅な暴食が繰り広げられています。
「もう大丈夫なんですカ? ゆっくりで良かったんですけド」
「お店の食材がなくなりかねないから」
止めないと、どこまでも食べてしまいそうです。
「これで最後にしておきますカ」
「そうしてもらえると助かります」
「レイメイさんは……また昼間から」
「良いだろ。今日は完全に休養日なんだからよ」
いい加減アルコール中毒なのではないでしょうか。休養日とはいえ、マリスタザリアは関係なく襲ってきます。
「酔い潰れないように、それだけです」
「あぁ」
シーアさんが食べ終わったので、お店を出ます。シーアさんが伝票を持って行ってない事が気になりますけど、レイメイさんはちゃんとお財布にお金を入れているのでしょうか。
「まずどこに行くんでス?」
「あそこだね」
お店を指します。漢方っぽいものが並んでいる場所です。
「いらっしゃいませ」
店員さんは、女性の方です。同じ性別だと、色々と聞きやすそう。
「薬剤師免許はお持ちでしょうか。免許をお持ちの方に特典として、割引をしています」
「医師免許じゃ、ダメなんですかね」
「申し訳ございません。薬剤師のみとさせていただいております」
アリスさんでも、薬剤師の方は持っていませんね。公の場で治療出来るようにと、医師免許だけは取得したと聞いてはいます。
購入出来ないという訳ではなく、特典という事なら問題はないでしょう。
しばらく店内を見て回ります。店員さんに聞くのは、ある程度見た後でいいでしょう。冷え性なんかに効く薬があれば、欲しいかもしれません。
なんと言いましたか……桂枝なんとか丸?
このまま何事もなければ、穏やかな出発が出来そうですね。
「オヤジ。勘定」
「へい。七万五千でさ」
「……チビガキィィィィィ!!!」
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