『ブフぉルム』修理⑨
「手伝わなくて良いんですカ?」
リツカお姉さんはまだこちらの文字を読めないんですし、苦労すると思うのですけど。
「その……リッカさまが探しているのは、私に手料理を食べさせる為でして……」
巫女さんが今にもにやけてしまいそうな顔を必死に押さえている、といった表情を見せています。それだけ嬉しい事の様です。
「なのでリッカさまは、自分だけで頑張る、と」
「なるほド」
手伝いたくても手伝えないって感じですか。
「それで、何故メモを取っているのですか?」
「お兄ちゃんニ、女性の喜ばせ方を指南しようかト」
「リッカさまを参考にするのは正しいと思いますけど……」
リツカお姉さんの可愛らしい頑張りは、巫女さんだけの物の様です。
「でハ、お姉ちゃんに話すだけにしまス」
「それくらいでしたら」
お兄ちゃんのハードルを静かに上げましょう。
「ついでにエリスさんにも」
「それは了承しかねますね……」
こればっかりは絶対伝えますけどね。
アリスさんとシーアさんは、どんな話を――って、今はこちらを片付けないと。
(純米酒が一番だよね。適度な甘味と透明感が必要なはず……。ウォッカやワインだと代替品以上にはならないだろうし)
みりんは、あそこにありますね。お酒と、先ほど紹介してもらった醤油代わりの物で、何とかなるでしょうか。
(他にも近いのがあるかな)
三種が混ざった物があれば、万々歳ですけど……。どうやら調味料は試飲出来るようです。普段食べない東方の物だからでしょう。
(とりあえず、全部試してみようかな。色だけで判断出来ないみたいだし)
少しばかり塩分を取りすぎてしまうかもしれませんけれど、全てはアリスさんの為に。
一つ一つ、一滴ずつ。しかし、五本六本と試す毎に舌が麻痺していきます。次の一本を最後に、少し休ませましょう。
(みりん? 少し濁ってる)
味は薄そうですけど、どんな――。
「……っ!」
出汁醤油のような、甘味とコク、深み……適度なとろみは砂糖も……?
(これ一本で、照焼きが出来そう)
何より他の和食にも使える味付けです。これを買いましょう。
アリスさん達も買い物を終えているようです。
「見つかりましたカ」
「うん。ぴったりのがあったよ」
「では今晩はリッカさまの手料理をっ」
キラキラと光り輝くアリスさんの期待に満ちた表情に、私は力強く頷きます。
「任せて。他のお店を巡った後に、お魚買いに行こっか」
「はいっ」
「楽しみでス」
舌の肥えた二人がどこまで喜んでくれるか。少しプレッシャーですけど、しっかり頑張ります。せっかく見つけた調味料です。自分に出来る最高に美味しい鰤照りを。
アリスさんが買ったのは、干ししいたけや切り干し大根。干物が多いですね。梅干? でも梅は……。別物でしょうけど、酸っぱさを感じる香りです。自然と唾液が出ると言いますか。
「宝庫でス」
シーアさんも大満足みたいです。全て回るには時間がかかりすぎますね。明日に持ち越して、先に宿を探します。
宿を取り、魚を買ってきました。シーアさんには物足りないかもしれませんけど、まだ早い時間であれば外に食べに行く事も可能です。私達には夕食。シーアさんには、おやつって所ですね。
「やっぱりご飯だよね。味噌汁は無理だからお吸い物。付け合せはしいたけがあるから、人参とレンコン、コぅクルぁを合わせてお煮しめ。ほうれん草のおひたしもかな」
献立は決まりました。
まずは鰤に塩を少量かけ、臭みを取ります。待つ間にお煮しめを作りましょう。宿を取った時にぬるま湯につけていた干ししいたけと人参、レンコンの乱切り、一口大のコぅクルぁを炒めます。そして干ししいたけの戻し汁と先ほど買ったなんちゃって万能醤油でくつくつと煮ましょう。火が通った辺りで一旦とめ、染みこませます。
「鰤の水気をふき取ってと……」
残りの戻し汁と、アリスさんが取っておいてくれた昆布出汁、本当に少しの鳥出汁で味を調えたお吸い物を。強めにあぶった鯛を沈ませて、少しの香ばしさを。
鰤は焼きすぎず芯は生くらいで一度上げ、万能醤油を煮詰め鰤を戻す。絡めるようにしながら、火を通すと完成ですかね。ふっくら仕上がったはずです。
おひたしをちゃちゃっと作って、お煮しめを添えて、食卓へ。
(んー。特別な事が何一つない、超が付く程の家庭料理)
アリスさんの舌に合えば良いのですけど。こちらの世界には珍しい、塩分多めの濃い味ですし。
(アリスさんが作る料理と違って、調味料どばどば。素材を活かした鰤照りってどうやって作るんだろう)
こんな事ならもっとちゃんと勉強――って、いつも後悔してばかりです。
(そういえば今日は何もミスしてないなぁ。慣れたかな? 成長したって事かな)
「ふふふ。おいしそうですね」
「口に合うと良いんだけど」
私の調理姿を見てくれていたアリスさんが微笑みかけてくれます。程よい緊張感でした。初めてのときはガチガチに緊張していた気がします。これも進歩? なのでしょうか。
アリスさんが居るのが当たり前で、その当たり前が私にとって本当に嬉しい事っていうのは分かります。だから緊張ではなく自然体で居られるのは、進歩なのだと思います。
「運びますね」
「うん。お願い」
作る時は没頭とも言える程に集中していた為に感じなかった不安が、今更になって襲ってきました。酒蒸しの時は魚のおいしさに助けられました。でも今回は、味付け一つでがらりと変わってしまう……。素材の美味しさすらも潰しかねないのが濃い味付けです。
(大丈夫。味見もちゃんとした。アリスさんを想って作った。大丈夫)
さぁ、食べましょう。
「今日はお前が作ったのか」
「まぁ、偶にはって感じです」
帰って来ていたレイメイさんも、食卓についています。呼ぶ手間が省けました。
「チビよりは不安感がねぇな」
「どういう意味でス」
シーアさんは、料理は上手だと思うのですけど……いかんせん、味付けにアレンジをつけた時が独特というか。
「お戯れはそこまでです」
「巫女さんが待ちきれないみたいでス」
「あぁ……そういう」
アリスさんが着席を促すなんて、珍しい事なのです。私の料理が冷めないようにという配慮でしょう。嬉しすぎて、にやけそうになります。
「これが和食ですカ」
「出汁や醤油といったもので味付けしたりするのでしたね」
「そればっかりじゃないけど、出汁は絶対使ってる印象かな」
一部では、醤油を殆ど使ってなかった気がします。
「それでは、いただきます」
緊張の一瞬です。お吸い物をまず飲んでくれます。味は薄くなかったでしょうか。アリスさんが作ってくれた出汁をそのまま使っているので、私の料理と言えるかは微妙な所ですけど。
「巫女さんの物とは全然違いますネ」
「味がしねぇ……」
「レイメイさんは濃い味を食べすぎです。しっかりと出汁が効いていますし、鯛の香ばしさもあって優しい味です」
「ですネ。何より薫り高いでス」
高評価、ですよね。少しほっとします。
おひたしはただ茹でて醤油を少々かけただけなので、味は変わりません。多分。
次はお煮しめですね。付け合せですけど、どうでしょう。少し時間が短かったので染みているか不安です。
「干し椎茸とは、ここまで味が濃くなるものなのですね」
「硬いまま使うんじゃねぇのか」
「戻し汁も美味しく頂けるんですカ」
「干す事で、旨味が凝縮されるんだったかな。水でじっくり戻すのが普通みたいだけど、ちょっと時間がなかったから。冷水でじっくりだと、もっと味が出るよ」
そういう点では、今回のは失敗かもしれません。残念です。
メンディッシュの照焼きです。お煮しめも美味しく食べてもらえましたし、濃い味も大丈夫なはずです。
箸の入り方を見るに、ふっくらと仕上がってくれています。焼きすぎると身が固くなってしまいますから。
「……」
どきどきです。
「おいしい……。濃い味付けなのにくどさがなく、ぎゅっとした旨味が噛むほどに……」
「お吸い物みたいな優しい味もあれバ、これのようなガツンとくるような味付けまデ。メリハリがあって良いですネ」
高評価です。思った以上に緊張していたのか、肩の力が抜けると同時にほっと息が抜けてしまいます。
「こいつぁいいな。その、ショーユってのは何処に売ってんだ。買い溜めておく」
「まさか、アリスさんの料理に矢鱈滅鱈かける気じゃ……」
「ダメなのか」
「良いなんて言うわけないでしょう」
アリスさんの料理は、私にとっては完璧です。それに只単に醤油をかけるだけなんて、冒涜にも程があります。
「リツカお姉さんももっと料理すれば良いと思うんですけド」
「そうですね。私ももっと、リッカさまの料理が食べたいです!」
「また、いつかね。私もアリスさんの料理をずっと食べたいから」
旅が終われば、いつだって作れます。この調味料が売っている場所は分かったのですから、何度でも。ただ、アリスさんが疲れてる時とか、忙しそうにしているときは私が作るのも良いかもしれません。
「量がないのが難点ですけド」
「アリスさん程手際良い訳じゃないからね……」
シーアさん対策しないと、私が作っても足りない場合があるんですよね。
「そういえバ」
「うん?」
「サボリさんが巫女さんの事重いって言ってましたヨ」
「おまッ――!」
「へぇ……?」
明日の朝は決まりましたね。
「リッカさま」
アリスさんがもじもじとしています。
「ちゃんとやるから安心してて!」
「重く、ないですよね……?」
「これから毎日、ずっと抱えてても疲れないくらい軽いよっ」
本当はずっと、抱きしめていたいくらいなのです。
「アリスさんが居ないと、落ち着かないもん」
「……はいっ」
ほっと安心したアリスさんの頭を撫でて、私も食べます。おいしいって言ってもらえて良かった。アリスさんの口に合って、良かったです。
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