『ゾルゲ』神隠し②
今日のスープは魚介メインです。ホタテやエビ等で作っていくのです。本来であれば起きてから作る野菜ブイヨンを加えるのですけど、今朝は早かったので作れていません。
しかしコンブ出汁は作っておいたので、おいしい物が出来るとアリスさんはにこやかです。私の心も自然と弾みます。
「栄養が偏らないように少し具沢山にしますね」
「ありがとう、アリスさん。我侭言っちゃって、ごめんね」
「いいえ。理由は、分かっていますから」
「うん……。ありがとう」
本当はもっとアリスさんの料理を食べたいと思っています。しかし、少しばかり体が――。
アリスさんだけが理由を分かってくれています。当の私は……自分で考える事すら、満足に出来ません。忘れる事の出来ない、この感情。私はこれを、いつもの場所に仕舞い込む事しか出来ません。
感情から意識を離し、アリスさんの後姿を見つめるのです。そうする事で、私は前に進めます。料理中でなければ、もっと抱きしめていたい。
「次の町では浄化後、少し歩きましょう」
アリスさんが振り返り、にこりと微笑みを見せてくれました。
「情報収集?」
「裕福な者、権力のある者は、多くの情報を持っています。それも噂ではなく、確かな物を」
多くの人との交流を持つ人であればあるほど、情報を手に入れやすくなります。商人しかり、です。その情報をもつ者達の中でも、権力者達は別格。町の全てを知ることが可能ですし、その情報を元に他の有権者と交流することもあります。
そうやって情報をやり取りし、自分の領地を豊かにしていく。そのため、情報は確実な物しか扱いません。見返りを要求してくるかもしれませんけれど、聞いてみるのはただです。教えてくれる人がいれば良いのですけど。
「エッボ達の悪事については中々教えてくれないかと思いますけど、魔王やその他の事ならば教えてくれるかと」
「魔王が居ると、その人たちも困るしね」
エッボの事を教えてくれないのは、自分達と関係があった場合めんどうだからです。
エッボは裏を取り仕切っていた人です。そんな人と交流があったとなれば、受けたくもない尋問に合うかもしれません。たとえエッボの本性を知らずに交流していたとしても、です。
だから、犯罪者となったエッボとの事は知られたくない事でしょう。
「情報収集も大切ですけど、エッボの事で……リッカさまはずっと気を張っていたでしょうから。息抜きです」
「そんなに、張ってたかな……」
「知らず知らずのうちにでしょうけど、いつもより目元が鋭くなっていましたよ」
アリスさんが私の目尻を撫で、微笑みます。
「魔王だけでなく、人の悪意まで相手取って……。最初から辛い旅とは思っていましたけれど……」
アリスさんの指が、私の頬や髪を玩びます。
「その所為か、一時は落ち着いていた癖がまた出てしまいましたね」
「部屋の中、でも?」
「いいえ。しかし、船から出ると自然に表情が険しくなっていきます」
心にある程度余裕が出てきた事で、緩やかに自然な緊張感を持てていたはずなのですけど……。多分、ザブケゅの一件からですね。
アリスさんだけの事を考えようとしても、目の前で見てしまえば……話は別なのです。そしてそれは……一歩進めばすぐに、見えてしまう。
「リッカさまの疲れを癒すための時間は、いくらでも取ります」
「そんなには、必要ないと思うよ……?」
「いいえ。いいえリッカさま……。貴女さまの体は無事でも――」
火にかけていた鍋が今にも吹き零れそうになってしまい、アリスさんは言葉を止め鍋に向き直りました。
アリスさんの伝えたい事は分かっています。でもそれは、皆なのです。私だけ特別という訳ではありません。だから私だけ休みすぎるのは……。何しろ……普段から倒れやすい脆弱な体です。向こうの世界では感じなかった限界を、ひしひしと感じるのです。
体格、体力。ただの人相手ならば全く気にならなかった事が、こちらでは気になって仕方有りません。あと十センチ背が高ければ。あともう少し腕が太ければ。もう少し高く跳べれば。もっと長く動けたら。考えたらきりがありません。
戦う時も、一対一がベストで、それ以上は無理をしなければいけないのです。護る術もありません。なればこそ、私は普段の旅路で功績を……と、思うのです。
「一度の接触が命取り……。リッカさまの戦いは常に、心の戦いです」
一撃を避ける。その度に削れる様な感覚が常に付き纏います。対人であればおきないはずの衝撃波から身を護るのは、容易くありません。
「でも、アリスさんが護」
「私では、攻撃中のリッカさまを守れません」
私一人で傷心に浸っている場合ではありませんでした。アリスさんの戦いを、私はさせてあげられていません。その事に、アリスさんは傷ついています。あの丘での誓いが、崩れかけていました。
「どうしても、手元から離れる盾が出来ないのです」
鍋を混ぜる事を止め、自身の手を見ています。
「”箱”の様にリッカさまを基点にすればと思いました……。しかし、強度が確保出来ないのです」
「”箱”の強度を、”盾”にそのままって訳にはいかないのかな」
「リッカさまに休んでもらう為に、”箱”の中では何も出来ないとした事が……どうやら欠点と取られているようです」
欠点……デメリットといった所でしょうか。本来の用途としては、確実な休息のために作られた制約だったのですけど……どうやら世界は、そんな機能はデメリットだと判断した? 想いを超えた何かがあるのでしょうか。
”光”や”強化””抱擁””拒絶”といった、神さまの理解を超えた奇跡の魔法。私が何度か経験した、驚異的な力もそうなのかもしれません。
あの……”抱擁強化”を超えた力と、それを纏った木刀です。しばらくごたごたしていて忘れていましたけれど……あれも物にしたいですね。
「戦いでは”箱”を使えません。なので”盾”の様に一面だけの壁ならば、と思ったのですけど……壁を作ると、その向こう側を感知できなくなるんです」
「包まないでも、一枚”拒絶”を挟むだけで……」
強力な拒絶です。しかし、それ故に……戦いで使えなくなってしまいました……。
「アリスさん。私、アリスさんが後ろに居てくれるから前に躊躇なくいけるんだよ?」
どんなに前に進もうとも、後ろに下がればアリスさんの盾がある。アリスさんの盾があるかないか。それだけで私の戦いは大きく変わります。
今の所私より早く動ける人は居ません。私が後ろに下がる事に注力すれば、確実に誰よりも早くアリスさんの元に行けます。一撃で私を捉え、殺す事が出来なければ……私は死にません。
「ですが、それだけでは……」
「うん。だから――焦らず、調べていこう?」
もう、アリスさんに戦うなとは言いません。
「……はい。焦らず、ですね」
鍋の火を止め、荒熱をとっています。そして私の傍に歩いてきたアリスさんは、私の膝の上にちょこんと座りました。
「焦らず、なのですから。ちゃんと、時間を取りましょう」
「う、うん。休憩じゃなくて、ね」
「はいっ」
私の流れになったはずが、アリスさんの流れとなっていました。びしっとかっこよく決めて、浄化後聞き込みを頑張ろうかと思っていたのですけど……。
(―――すぐ―――それが――き)
「うん?」
アリスさんが本当に小さく、口の中で呟くくらいの声で何かを言いました。私が聞きたくて仕方なかった事のように思いましたけど、思い込み……?
「いえ。そろそろ食べましょう」
「お皿出すね」
「リッカさまはそのまま座っておいてください。すぐに用意します」
アリスさんが膝から降りてしまいました。私の休息は、すでに始まっているようです。本当は抱えたまま行こうとしたのですけど、休息を取ってもらおうとしている人にそんな事、アリスさんがさせる訳有りませんでした。
「食後、今日のお願いをしてもよろしいでしょうか」
「うん、任せて。今日は何だろう。昨日のうちに決まってたんだよね?」
「はい。食後にゆっくりと」
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