『ぷれまふえ』オペラ・少女の悔恨③
楽屋の扉がノックされる。その扉の横には、フロレンティーナ様と書かれていた。
「フロレンティーナ様、お時間です」
「分かったわ」
街娘の姿をしたフロレンティーナが、楽屋から出てくる。
「エレンは?」
「先に行っております」
「そう」
カツカツと、街娘には全く見えない所作で歩いていく。
「先輩」
「あら。先に行ったんじゃないの?」
「先輩を待ってました」
「そう。まだ文句があるのかしら」
フロレンティーナがエーレントラウトに嘲笑を向ける。まだ、主役は自分だと言いたいのか、と。
「いいえ。ただ……私はもう……」
「どうしたの?」
エーレントラウトの様子に、フロレンティーナは心配そうな顔を向ける。
仲が悪くなっていようとも、フロレンティーナにとっては可愛げの足りない、自分だけの後輩だった。
「私、もう、先輩を見たくないです」
「え?」
「今の先輩を、見たくないです」
「本番前に何を言ってるの」
「私、先輩が好きです」
「……」
言葉に詰まるフロレンティーナに、エーレントラウトは続ける。
「ずっと、好きでした。でも、先輩は……もう……」
「エレン」
くいっと顎を持ち上げ、視線を合わせるフロレンティーナ。
「もし、貴女が先に……いえ、もう遅いわね」
自嘲気味にフロレンティーナは笑う。
「今日で最後というのなら、しっかり見ておきなさい。私の姿を」
「……」
フロレンティーナに触れられているエーレントラウトが、呆然としている。
「私も貴女の事、好きよ。だから貴女だけは――」
「……」
虚ろな目をしたエーレントラウトにはもう、聞こえていなかった。
フロンさんが楽屋を出て行きました。
座長さんには事情を話し、中を見る許可を頂いています。
「残滓でもあれば、良いんだけど」
「今持っているのかどうかは分かります」
「うん。行こう」
フロンさんの楽屋を、捜索します。本人には無断で。
完全に犯罪ですけど、小瓶の力を考えれば多少の犯罪に手を染める事も厭いません。
歌劇場内の大勢が死ぬかもしれないのですから。
フロンさんの楽屋は、思った以上に落ち着いていました。もっと、煌びやかなものを予想していたのですけど……。
「悪意は、少し感じる。あのゴミ箱に……?」
ゴミ箱の中に、小瓶が捨てられていました。
「微かにだけど、入ってる。何かに移したのかな?」
「その可能性が高いですね。一応浄化しましょう」
アリスさんが浄化を掛けてくれます。瓶から出すと霧散するくらいの物ですけど、一応です。
「……!?」
アリスさんを抱え、クローゼットの奥に隠れます。
「どなたが……」
「分からない。怪しい感じじゃないから、清掃員かも」
クローゼットは開けられる可能性がありましたけど、ここしかありませんでした。
「少し狭いけど、我慢してね?」
「大丈夫です……」
私の胸に、しなだれかかるように抱きつきました。
見つかるかもしれないというドキドキと、アリスさんへのドキドキが、激しく襲ってきます。
(外まで、聞こえそう……)
アリスさんの掌は、私の胸に当てられています。私の拍動が、伝わっている事でしょう。
「リッカさま……」
「ご、ごめん……。自分の意思じゃ――」
どうしようも、と言おうとしましたけれど、アリスさんが瞳を潤ませて私に迫ってきていました。
私は、訳も分からず……受け入れる準備をしました。
目を閉じ、何かを待ちます。その何かを受けた時、私は――。
「あら?」
外から聞こえた声に、ビクっと……アリスさんと私は体を震わせてしまい、その時は訪れませんでした。
「珍しいわね。フロレンティーナさんが物を散らかしてるなんて……」
急いでいた為、落としてしまった小瓶の事でしょう。
現物は王国に一個ありますけれど、私達の元にも一つ欲しい……。そのまま置いておいて欲しいです。
「空だけど、捨てちゃ不味いわよね」
ゴミ箱に入ってたらそのままだったでしょうね……。なんとか小瓶を回収出来そうで――
「さ。クローゼットも片付けないと」
(えっ!?)
なんで清掃員の方がクローゼットまで……!?
(”巫女”であっても……。この状況は不味い……)
思考を巡らせ回避法を探します。
……。……。……。ダメです。どれも……。
認識を変えるという”変化”であっても、手に触れられると違和感が残ります。それをフロレンティーナさんにでも伝えられてしまうと、バレる可能性が……。
どんな方法であっても、違和感が残ってしまえば、フロレンティーナさんに伝わる可能性があるのです。
(どうすれば――)
「君。探したよ。ここはいいから貴賓席を頼む。少し汚れが気になってね」
「座長? そういえば貴賓席には今日……」
「あぁ。巫女様とエルヴィエール様の妹君がお越しになっている。隅々まで頼む」
「それは大変です。すぐに参ります!」
座長さんが、やってきたようです。
偶然か、私達が探っている間に清掃員が来てはいけないからと気を回してくれたかは分かりません。しかし、助かりました……。
気配が一つ去っていきます。
もう、大丈夫そうです。
扉を開け、外に出ました。
「み、巫女様!?」
「座長さん。ありがとうございます」
「い、いえ。まさかそこにお隠れになっているとは……」
少し驚かせてしまいましたけど、本当に助かりました。
「その……フロレンティーナは……」
「言い難いですけど、黒です」
小瓶がゴミ箱に捨てられていました。しっかりと悪意も確認しています。
「リッカさま。これは……」
「薬?」
アリスさんが見つけたのは、錠剤です。
「座長さん。フロンさんは?」
「いいえ。健康そのものだったはずです」
「少し調べます」
アリスさんが錠剤を調べ始めました。切迫しています。
「これは、何だろう」
「そ、それは……」
「座長さんは知ってるんですか?」
「い、いえ。その、あのですね」
四角い袋に入った、丸い何かです。座長さんが知ってるようですし、何かの小道具かもしれません。
「リッカさま……」
「分かった、の?」
アリスさんが眉間に皺を寄せ、悲しそうにしています。
「こちらは――」
アリスさんの言葉に、私と座長さんは……固まってしまいました。
「おかえりなさイ」
シーアさんが、椅子の調子を確かめながら出迎えてくれました。
「ただいま」
「どうでしタ?」
「色々と、黒です」
「そうですカ。でハ」
少し残念そうに、計画を続行するかシーアさんが尋ねます。
「うん。ゆっくり鑑賞って訳にはいかなくなったよ」
「私はまた見れるでしょうけド、お二人ハ……」
シーアさんが心配してくれます。でも、私達は”巫女”です。
「んー。神さまにお願いしたら、森から出られないかな?」
「魔王が居るから、厳重だっただけです。もしかしたら、魔王討伐のご褒美として許してくれるかもしれません」
「みたいだから、私達ももう一回なら見れるかも」
「でハ、遠慮なク」
”巫女”として、悪意の被害を、人を害する行動を許してはいけません。
個人の娯楽は、平和になってから。
ここで悪意が暴風となるならば、私達が受け止めます。人の世の、平和の為に。
「ところデ」
シーアさんが笑いを堪えるようにしています。
「うん?」
「リツカお姉さんは顔が赤いですけド、何かありましタ?」
自分の顔をパシッと叩いて確かめるようにします。
「んん!? な、何もなかったよ!」
「ほんとニ?」
「何も、なかったです」
アリスさんも、頬に手をあて熱を確認しています。
「ほんとでス?」
「私にも何も……。クローゼットからお二人が出てきた事くらいしか……」
「ざ、座長さん!」
座長さんだけが素直に答えてしまいました。そこは、素直にならなくていいです……。
ざわざわと、観客が入場してきました。
そろそろ開演のようです。
このざわめきが悲鳴に変わらぬよう、頑張りましょう。




