『ぷれまふえ』オペラの街⑤
「フロレンティーナが無礼を働きました……。申し訳ございません……」
「怪我を治していただき、ありがとうございました」
「いえ、お気になさらず」
座長エトムントとエーレントラウトは、アルレスィアの言葉を素直に受け取れなかった。
表情や佇まいは変わっていないけれど、纏っている魔力が威圧してくる。
リツカがフロレンティーナに引き寄せられようとした事で、アルレスィアは激しい怒りを感じていた。
事を荒げない為に何も言わなかった、という訳ではない。
余りの怒りに、口を開き出てくる最初の言葉が――詠唱になってしまうから、口を開けなかっただけだ。
「言い訳になってしまいますが、先輩も最初からああではなかったんです」
エーレントラウトが頭を下げる。
頬を叩かれ、無碍に扱われたにも関わらず、フロレンティーナを敬愛しているようだ。
「確かに……歯に衣着せない人でしたけど、人を不快にさせるような人ではありませんでした……。もっと、カラッとした人だったんです」
「嫌っている訳ではないのですね?」
「はい。元の先輩に戻って欲しい……オペラに情熱を捧げていた頃の先輩に……」
エーレントラウトはあえて強い言葉でフロレンティーナを糾弾した。そうする事で、少しは鑑みてくれるかと思ったのだ。
だけど、それは失敗してしまう。暴力と逃亡を繰り返すばかりで、一向に改善しない。
プリマである事のプライドを傷つけるために、自身に取って代わられるかもしれないと言ってみたけれど、それは効いていなかった。
単調になったという言葉だけが、フロレンティーナを強く揺さぶった。
「既に実力はエレンが上です。ですけどそれは、フロレンティーナが練習を真面目にしないからです。もし彼女が昔の様に練習をしてくれたらと、いつも思っているのですが……」
エトムントも歯噛みしている。
才能と努力に裏づけされた完璧な演技と表現力は、フロレンティーナをどんな役にも変化させた。
千変万化。万華鏡の様に、少し捻るだけで大きく変わる演技こそがフロレンティーナであり、エーレントラウトが先輩と呼び慕う者だった。
そんなフロレンティーナは、いつの頃からか努力を止めてしまった。
努力をやめ、才能の出涸らしのみでプリマの座に居られるほど、オペラ・キャスヴァルは安くない。
エーレントラウトは、フロレンティーナの姿を追い努力を続けた。
もう、フロレンティーナだけの物語は終わってしまったのだ。
それでも二人は、フロレンティーナの輝きを忘れられない。努力さえすれば、また輝いてくれると信じている。
だからこそ、強い言葉で当たる。当たってしまう。
「フロレンティーナさんが変わってしまったきっかけに、心当たり等はありませんか?」
「先輩の部屋に、偶にお客が来るんです。その方が来てからは練習に殆ど顔を出しません……」
「どのような方ですか?」
「それが、分からないんです。いつも部屋の中から先輩を呼ぶようにと伝えられるばかりで……。男性という事くらいしか……」
エーレントラウトは俯いてしまう。
「そのような怪しい方を、楽屋に入れて良いのですか?」
「本来はダメですが、フロレンティーナにはその……頭が上がらないもので……」
「このオペラ・キャスヴァルには支配人が居まして、座長より先輩を重用しているんです」
(シーアさんが言っていたのは、この事ですね)
支配人はフロレンティーナを重用しているため、座長よりも立場が上になってしまっているという事だ。
本来立ち入り禁止の楽屋へ他者を入れたり、練習を途中で抜けてもお咎めが無かったりは、それが原因だ。
「支配人というのは、どういった方なのですか?」
「とある貴族なのですが、顔を見た事があるのはフロレンティーナだけです」
「座長さんも、見た事がないのですか……?」
「お恥ずかしい限りです……。前任から座長を受け継いだだけで、支配人とはお会いできていないのです」
「座長さんが受け継いだのは、いつですか?」
「六年前です」
アルレスィアが思考する。
(町長が言っていた貴族と、支配人である貴族は同一なのでしょうか。であるならば、あの人を操っているのは――)
六年前に座長を受け継いだ。それ以降にフロレンティーナが現れ、プリマとして絶対の地位に就く。
エーレントラウトが入ってきて、フロレンティーナの指導を受けていたけれど、フロレンティーナは支配人に会い権力を手に入れた。
そして、彼女の楽屋に男が出入りするようになった結果――フロレンティーナは変わってしまった。
(その支配人という貴族に会う必要がありますね。まずは、リッカさまの広域の結果を待ちましょう。フロレンティーナさんの楽屋に出入りしているという男が知っているかもしれません)
アルレスィアは今後の行動を決め、リツカを待つ事にした。
「見学の続きはどうなさいますか?」
「この後の予定もありますから、一先ずはお暇しようかと」
広域を終えたので、次に向かいます。悪意の者はもう、歌劇場には居ませんでした。
「分かりました」
「公演の際また挨拶に参ります」
「お待ちしております。最高のオペラを見せる事を約束します」
座長さん達に頭を下げ、街に向かいます。
「悪意は、もうなかったのですね」
「うん。ふろれんてーなさんのだけだった」
「あの様子では、浄化には参加してくれないですよね」
「本人に会えたら、先にさせてもらおうか」
「そうですね。もしかしたら、悪意が抜ける事で元に戻る可能性もあります」
先ほどの、アリスさんと座長さんたちの会話は聞こえていました。
元々はオペラへの熱意が人一倍強い、誰もが認めるプリマドンナだったとの事です。
そんなふろれんてーなさんに戻って欲しい座長さんとエーレントラウトさんが日々頑張っているようですけど、進展はないようで苦しんでいます。
これで少しは力になれると良いのですが。
歌劇場の外に出る途中、話し声が聞こえてきました。この声は、ふろれんてーなさんです。
「来たわよ」
密かに近づき、気配を消します。誰かと”伝言”しているようです。
「えぇ。そうね。自分に自信がなくなったわ。共和国の女王様もそうだけど、神様って不平等なのね」
エルさんの話でしょうか。
自信とは、容姿の事? 私達の顔が本物かどうか気にしていましたし。
「オペラを見るそうよ。えぇ。……それは分からないわ。今から聞く」
私達の事を誰かに伝えているようです。
「えぇ。今日はもう来ない方が良いわよ。それじゃ」
”伝言”を終えたのか、カツカツと音を立てながら受付側へ歩いて行きました。
「どうしましょう」
「もう少し尾行する?」
「何を知ろうとしているのかは気になりますね」
「じゃあ、行こうか」
受付さんと何かを話しています。私達は声が聞こえる位置まで近づきました。
「――良いでしょ? 教えなさい」
「それは出来ません」
「融通が利かないわね。座席くらい良いでしょ」
「プライバシーを守るのも仕事です。それに、知ってどうするのですか」
「良いから教えなさい」
受付さんを壁に押し付け、手で逃げ場を潰すようにしています。
「お教えできません」
威圧に負ける事無く、口を噤んでくれています。
「……もう良いわ。貴女はクビ――」
「貴賓室ですよ」
「巫女様?」
受付さんが驚愕の顔でこちらを見ています。私達がやってくるとは思っていなかったようです。
「教えたので、クビはなしでお願いします」
「……良いわ」
壁から手を離し、私達の方にやってきます。
「盗み聞き?」
「周りを見てください」
言われるがままに、ふろれんてーなさんは見回しています。チケット購入者達が遠巻きにこちらを見ています。
「聞こえてきたんです。口論が」
「そう。それで? 教えてくれただけって訳じゃないんでしょ」
何か裏があると思っているようです。
私達はただ、受付さんがクビになりそうだったから声をかけただけなのですけど。
「少し浄化させてください」
「浄化?」
「一瞬で終わります。痛みなどは一切ありません。ちょっとだけ協力してください」
「……」
迷っているようですけど、受けてくれました。
アリスさんの”光”が、ふろれんてーなさんを浄化していきます。少しの悪意が溢れ出し、霧散しました。
「これに何の意味があるのかしら」
「気分が良くなったとか、体が軽くなったとかは、ありますか?」
「……? 言われてみると少しは軽くなったけど、アロマ効果でもあったの?」
「あなたを蝕んでいた悪意を浄化しました。何か思うところはありませんか?」
今まで練習をサボった事への後悔や、エーレントラウトさんへの強い当たり等、心に来るものが普通なら起こるはずなのですけれど……。
「何も? もう良いかしら」
ヒールを打ち鳴らしながら、歌劇場に帰ってしまいました。
「悪意だけの所為って感じじゃないね」
「支配人の貴族や、謎の男に会った事で性格自体が変わっているようです」
「今回の件を解決しても……」
「フロレンティーナさんは変わらないかもしれませんね」
エーレントラウトさん達には、まだ報告しない方が良さそうですね。
私達の座席を確認していたので、私達が狙いだとは思っています。何を計画していたかまでは、分かりません。
自分の意思でやっているようですし、ふろれんてーなさんにも利があるのでしょうか。
ともかく……犠牲が出ないようにだけは、気をつけないといけませんね。
「私達が座席についてからの計画のようですから、オペラ中になってしまいます」
「ゆっくりオペラを鑑賞するって訳には、いかないみたいだね」
せめて、他のお客さんの迷惑にならないようにはしましょう……。




