『ダル……しう』貿易都市
「さて、そろそろ行きますよ。ソフィお姉ちゃん」
シーアさんが立ち上がり、聞き込みに戻る準備をしています。
「もう少し聞きたかったけど、行きましょうか」
「……? 聞き分けが良すぎます。熱でもあるんですか?」
「失礼ねぇ。久しぶりにあった妹を優先して上げる姉心よ」
そひあさんがニカッと笑い、シーアさんを撫でています。
真っ赤になった耳を隠すようにフードを被ったシーアさんが足早に船を降りて行きました。
「行きますよ!」
照れ隠しに大声を張り上げたシーアさんが走ります。
「待ってシーア。食べた後すぐはそんなに早く動けないわ」
「やっぱり歳――」
「そこで待ってなさい」
「待てと言われて待つ魔女は居ません」
照れるシーアさんは珍しいので、貴重ですね。写真があれば撮って、エルさんに送りたいところです。
「私達も、少し落ち着いたら街を少し歩こうか」
「はい。軽い運動も兼ねて参りましょう」
後片付けが終わったら、少し休んで歩きましょう。体調も少しは、良くなった気がします。
せっかく新しい街に来たのに何もしないのは勿体無いです。王都との違いや、北の特産品、共和国の品物も気になります。
アリスさんと見て回りたいっていうのが、本音だったりしますけど。
「……?」
船に登ってくる気配がします。警戒するところですけど、これは……子供?
「リッカさま、来客ですか?」
「そうみたい」
私達も降りる予定だったので、舷梯は降りたままです。登る事は出来ますけど、迷子でしょうか。
「……」
「どうしたのかな?」
「うわぁ!?」
隠れるようにして昇ってきたのは少年でした。泥棒って訳ではないようです。
「探検でもしてたのかな」
「……」
もじもじとしながら、私達の顔を見ています。話したいけど、緊張しているようです。
「怒ってないから、話してみて?」
「……町長からのお知らせを聞いて」
この街に来て最初に、町長にお願いした事がいくつかあります。
この街での調査。
拘置所への出入り。
そして、豹変、変質した方の捜索及び呼掛け。
この子が町長のお知らせで来たという事は、豹変した人を知っているのでしょうか。
「僕のお父さん……助けてください!」
長袖の少年が手を伸ばし、私の袖に縋ります。その手には、痣がありました。
(虐待? 豹変かどうかを疑って来たんだから、急に暴力的になったって事かな)
「詳しく、聞かせて?」
舷梯を上げ、外から見えない位置に移動します。
男の子の名前はサロモくん。共和国からこの街に商売をしにきたそうです。
運んで来たのはトマト。共和国のトマトは甘く、栄養が豊富で人気との事です。アリスさんのスープのバリエーションが増えそうです。
サロモくんの父、しるばんさんは温厚で、暴力を振るうような事はなかったそうです。
しかし、旅の途中立ち寄った町で、しるばんさんは急に暴力的になったと。
嗚咽交じりに、サロモくんが話してくれました。
今は昼食の残りのスープを飲みながら、落ち着いてもらっている最中です。
アリスさんが”治癒”をかけています。アリスさんの表情から察するに、大きい傷はないようです。
(まず間違いなく、悪意による豹変だけど)
(商売しにこの街に来るくらいには、理性が残っていたようです)
(じわじわと悪意に染まっていったのかな)
(その可能性が高いでしょう)
アリスさんと目配せしながら推測を立てていきます。
(暴力性が高いみたい、ここは私が)
(一人の浄化であれば、今の私でも)
(明日の朝大仕事があるんだから、私に任せておいて)
(……分かりました)
悪意の所為とはいえ、子供に手を出してしまったのです。多少の痛みは我慢してもらいます。
「サロモくん。お父さんのところに連れて行ってもらえるかな」
「はい!」
舷梯を再度降ろし、下船の準備をします。
サロモくんに共和国の話を聞いている間に、アリスさんがシーアさんに連絡をとってくれます。
許可が取れたら、じるばんさんの所に行きましょう。
サロモくんが泊まっている宿には居ませんでした。
暴力性が上がった男性が向かう場所。酒場?
「サロモくんは、ここに居てもらえるかな」
「ぼ、僕も……」
「絶対に連れ戻すから、お願い、ね?」
「はい……」
町長さんの話で私達を訪ねたのです。父親の豹変が悪意であると、しっかりと認識しています。
ですから、父親はただ悪い奴らに操られていると、思っているはず。
いくら自分に暴力を振るった相手とはいえ、父親が暴力を振るわれる場面は、見ていて気持ちの良いものではありません。
元に戻った父親とご対面で、この事件は終わりです。
「余り良い情報はないわねぇ」
「本命は酒場です。酔っ払いの情報網は伊達ではありません」
(暇人だから噂話ばっかですからね)
「あれは?」
「んー? 巫女様たちだねぇ」
(先ほど連絡のあった件でしょうか。何が起こるか分かりませんし、向かいましょう。お二人は本調子ではないのですから)
酒場に入ると、ブレマの時のように視線が刺さります。あの時よりも粘度のある視線は、良いものではありません。
さっさと、サロモくんから聞いたじるばんさんを探しましょう。
スキンヘッドの青い目、鼻は丸く、首に家族の写真が入ったロケットペンダント。
(あれかな)
「巫女様達ですよね。本日はどのような――」
「すぐ済みます」
店員と思われる方たちをあしらい、一直線に向かいます。
わずかなイラつきと共に、お酒を飲み下しています。他の方たちのようにアリスさんを見ない辺り、結構イラつきが強いみたいですね。
「ジルヴァンさん、ですね」
名前をしっかり言えない私に代わり、アリスさんが声をかけてくれます。
「あ゛んッ!?」
お酒で何を紛らわせていたのか、かなり飲んでいるようです。
酒場という事を抜きにしても、約一メートル離れている私に、この人から漂ってくるお酒の臭いが鼻に刺さります。もともとの気分の悪さも相まって、頭がくらくらしています。
殴った事がなかった拳なのでしょう。サロモくんを殴ったと思われる痕が見えます。
僅かな怒気を伴い、私は口を開きました。
「息子さんに、暴力を振るってるみたいですね」
「チッ……あの馬鹿が……」
「馬鹿は貴方ですよ。息子に手を上げるなんて」
「アイツが言う事を聞かないのが悪い」
そんな嘘を聞くとでも。
サロモくんは一言で言えば良い子です。
自分の父の異常を察し、疑い貶さず、自分ではなく父を助けて、と私達に頼んできたのです。
中々出来る事では有りません。
そんなあの子が、暴力を振るわれるほどの不義を働くはずがありません。
「言い訳は後ほど聞きます」
魔力を迸らせ、”強化”と”光”を纏います。
相手は立ち上がり、魔法の準備をしています。こんな酔っ払いでも、私がやる気なのは分かるようです。
木の地面が大きく凹む程の震脚で相手に詰め寄ります。
「――シ……っ!」
「う゛ッ……」
浸透勁で”光”を打ち込もうとした私ですけど、下腹部に強い痛みが走って……。
(こんな時に……!)
”光”が入り切りませんでした。
相手はまだ、動けます。
「押し潰す風の壁――」
「リツカお姉さん!」
何故か聞こえるシーアさんの声と、アリスさんの銀色の煌きが見えます。
まだ私の攻撃が、終わったわけではありません。寸勁は、この距離で使うものです――!
「――シッ!」
「ッ……!?」
痛みを無視し、”光”を打ち込みます。
衝撃だけが突き抜け、カウンター席が大きく凹んでしまいます。後で謝らないといけませんね……。
前のめりに倒れるじるばんさんを支える事すら出来ず、私は……お腹を押さえよろめいてしまいます。
「リッカさま……」
アリスさんに支えられたようです。大粒の汗が私の額を伝っています。今までこんな痛みが出たことはありません……何が……。
「シーアさん、後をお願いできますか」
「はい。早くリツカお姉さんの治療を」
「店主さん。奥の部屋をお貸しください」
「あ、あぁ……へい……」
アリスさんに抱えられて、奥の部屋に運ばれます。
「こんな事、初めて……」
「リッカさまの発勁は、私達の魔力運用より激しい物です。きっと、今のリッカさまの体が、魔力を伴った発勁に耐えられなかったのでしょう」
アリスさんが、後悔を滲ませて教えてくれます。きっと、そこに思い至らなかった自分を、責めてしまっているのでしょう。
「アリスさん、ちょっと痛かっただけだから、責めないで」
頬を撫で、自分を責めないように、伝えます。
「ごめんなさいリッカさま……。しっかり、治しますからね」
「うん」
アリスさんが私のお腹を撫でて、”治癒”をかけてくれます。少しくすぐったかったですけど、幸福感のほうが、強かったです。




