マナの王
仄暗い大広間に、一人の人間が座っている。
「……」
目の光が見えない。目を瞑っているのだろうか。
けたたましい轟音と共に、扉が吹き飛ぶ。
扉の向こうも暗いようで、光は差し込まない。
椅子に座った男の横を何かが通り抜け、後ろから壁が壊れる音がした。
「……何事だ」
「”遠見”中でしたか、失礼しました」
男の後ろから知性を感じさせる落ち着いた声が聞こえてくる。その者も男だ。
「帰ったぞ」
扉の方からもう一人入ってくる。
聞き覚えのある声だ。鍛えられた男の溌剌とした声。
「マクゼルト、説明せよ」
「あぁ。そこの大馬鹿が俺の倅を欲してな。くれてやる代わりに二回殴らせてもらっとる」
ライゼルトの父でありながらライゼルトを容赦なく叩き潰し、リツカを亡き者にしようとした男が、椅子に座った男に説明している。
「そういう訳で、一度目が終わったところでございます」
マクゼルトの一撃を受け、扉を破壊し、二十メートル以上ある大広間を一直線に吹き飛ばされた上に、壁にぶつかったはずの男は、何事もなくマクゼルトの説明に補足している。
「つーわけだ。もう一発いくぞ」
「好きにしろ。だが、我の方に飛ばすな。つい、殺してしまう」
マクゼルトの確認のような言葉に椅子に座った男は答える。
その答えに吹き飛ばされた男は、多少の動揺を乗せた声で言う。
「マクゼルト、頼みましたよ」
「あぁ」
マクゼルトは頷く。
だけど。
「俺の拳で死ぬかもしれんのに気にすんな」
マクゼルトが消える。
「本――」
本気ですね。と呟こうとしたけれど、続きを言う事は出来なかった。
「――フンッ!!」
マクゼルトが短く息を吐き拳を叩きつける。
殴られた男の顔は三日月のように歪み、椅子の男とは違う方向へ吹き飛ぶ。
パンッ! と、衝撃波の様なものが発生し、空気が弾ける。
目にも留まらぬ速さで男は壁へ、二度目の衝突をする。
壁が大きく凹む。それだけでは事足らず、壁にひびが入っていく。
「やりすぎだ」
椅子の男が嘆息する。
壁が崩れ、外の景色が見える。光が差し込む――はずの部屋は、暗いままだ。
闇がジェルの様に部屋を包んでいる。光を一切通さず、中の様子を隠し続けている。
「流石に、無傷とはいきませんね」
「チッ……」
マクゼルトが舌打ちする。
殴られた男は、頭と鼻、口から血を流しながら大広間へ戻ってくる。
血を拭うと、その後から血が流れてこない。
マクゼルトの殺意の篭った拳は、その程度の怪我しか生み出せなかった。
「約束は守りました。これで契約成立ですね」
「あぁ」
マクゼルトがその場に座る。
「好きにしろ」
マクゼルトの言葉に殴られた男は笑う、椅子の男に一礼し、部屋から去っていった。
「マクゼルト」
「なんだ」
「結果を聞こうか」
「知ってんだろ」
「お前の感想も言え」
「……分ぁったよ」
面倒だな、と呟きながらマクゼルトは語りだす。
「戦争はどうでもいいだろ」
「あぁ」
「気になってんのはアイツだろ」
「……」
椅子の男は認めなくないのか黙る。
「先に言っておく。アイツは俺が殺る」
「ほう」
男が興味を向ける。
「あの大馬鹿には絶対やらねぇし、お前にも文句は言わせねぇ」
マクゼルトを推し量るように睨む。
「万全のアイツとやる」
「……良いだろう」
マクゼルトの抱いた興味に、男が興味を持つ。
「お前の手で殺して来い」
「あぁ。感謝するぜ、魔王」
仄暗い大広間からマクゼルトが出て行く。
我慢が出来ないと言わんばかりに、マクゼルトは笑う。筋肉が躍動する。すぐにでも動かないと暴発しそうだ。
しかし、我慢する。
万全の敵と、最高の状態で戦うためだけに――マクゼルトは備える。
「……」
魔王の表情が歪んでいる。
「そう簡単にはいかない」
声が闇に溶けていく。
「絶望と共に駆け昇るには、足りない」
大きく裂けた口が、何かを呟いている。
「更に絶望しろ。赤と白の巫女」
魔王の黒い、漆黒の目が闇と同化する。
「お前達の絶望を感じさせろ」
完全に闇と同化した魔王の姿が、大広間から消えた。
病院の一室に向かう足音が一つ。
「……」
一人の影が、順調に病院の最奥へ向かっている。
「……」
カツン、カツンとヒールの音が響く。
「……」
最奥の病室、その前に止まり、暗い瞳で見ている。
手が、扉に伸びる。
「何をしてるんでス」
「っ――!」
少女の声が、人影の動きを止めた。
「その扉、開けないほうがいいですヨ」
「――」
人影はまだ迷っている。
「中ではすでニ、巫女さんが魔力を練り上げていまス」
「っ……」
人影が漸く、扉から離れる。
「西のアレ、見たでしょウ。大きいリツカお姉さん」
少女が淡々と告げる。
その程度の距離では、簡単に攻撃を受けちゃいますよ、と。
「どうして、レティシア様が」
「エリスさんはフラフラでしてネ。ゲルハルトさんも隠してましたけど眠れてなかったようでス。だかラ、私が代わりニ」
よっと、と椅子から飛び降り、人影に近づく。
「まァ、エリスさんでも拘束は簡単に出来たでしょうけド」
「……」
人影が再び黙る。
「私の方ガ、怪我なく捕らえられるのですかラ、感謝してくださいネ。アンネさン」
「何の事、でしょう」
アンネリスは無表情でレティシアを見ている。
「嘘が上手になりましたネ」
「嘘も何も、捕らえられるような事は――」
「私達は魔力色が見えていまス」
アンネリスの言葉を遮り、レティシアが告げる。
「先ほどかラ、眩しい銀色に混じって見えてますヨ。貴女の色ガ」
「……」
レティシアが深い青を銀に滲ませながらアンネリスを牽制する。
「どうして貴女がリツカお姉さんヲ」
「……行動してみることにしたんです」
「行動?」
レティシアが訝しむ。
「もし、ここまで来ても、私の心が拒否しなければ――」
アンネリスが涙を流す。
「私はリツカ様を、憎んでいるんだと、分かりますから」
「それデ、結果ハ?」
レティシアが眉間に皺を寄せ、尋ねる。
「……見えているのでしょう。私の魔力が」
アンネリスが俯く。
「そして、アルレスィア様が警戒態勢を取っているのですよね」
「はイ」
「だったら、私は、憎んでしまっているのでしょう」
アンネリスがその場に座り込む。
リツカの病室の扉が開く。
「巫女さん?」
レティシアが狼狽する。
アンネリスに降り注ぐアルレスィアの魔法を幻視してしまうほど、アルレスィアの魔力は高まり続けている。
「貴女は罰せられたいだけです」
アルレスィアが、感情の篭っていない声で告げる。
「リッカさまを恨んでしまったという己が許せずに、罰を求めてここに来たのでしょう」
アンネリスは俯いたままだ。
絶対に誰かが、この病室の前に居る。
ゲルハルトの戦いは見れていないけれど、戦場に赴き戦う意思を見せた程だ、腕は確かなのだろう。
エルタナスィアはヨアセムを縛った魔法がある。花が必要と思っているだろうけど、種でもいいし、極端に言えば、栄養素を持つ動植物ならば問題なく発動できる。
そしてレティシアは、もはやこの国に知らぬものが居ないほどの魔女だ。
暗殺など成功するわけがない。
「貴女の気持ちは分かります。私はリッカさまを失いかけたのですから」
アルレスィアがリツカの方に視線を向ける。
「ですけど、それは貴女も同じです」
アンネリスが、その言葉に顔を上げる。
「まだライゼさんは死んでいません」
瞳を揺らし、アンネリスが真意を測ろうとしている。
「可能性を捨て、ライゼさんを殺しているのは貴女ですよ」
「――」
アンネリスの目が見開かれ、何かを言おうとする。だけど、何も言えなかった。
「リッカさまを狙った事は赦せませんけれど、私は何もしません」
もうアルレスィアはアンネリスを見ていない。
「良く考えておいてください。リッカさまが起きるまでに」
アルレスィアは、病室の奥に向かう。
それをレティシアが追いかける。扉を閉める時、アンネリスの方を見たけれど、前髪が邪魔で、表情は見えなかった。
「巫女さん言いすぎです」
レティシアが、流石にキツく言いすぎでは? と問う。
「私は、皆さんと出会った時から見せ付けています」
アルレスィアはリツカの傍に座り込む。
「私にとってはリッカさまが最優先であり、リッカさまが全てです」
少し汗ばんでいるリツカの頬と額を拭う。
「リッカさまに殺意を向けた人に、手加減する必要はありません」
アルレスィアの声は、無機質だった。
もしアンネリスが贖罪ではなく、本当の殺意を持っていたならば、【アン・ギルィ・トァ・マシュ】は容赦なく、アンネリスを貫いただろう。
「あのアンネさんに悪意はなかったのですか?」
レティシアが尋ね、廊下を見ている。
廊下に歩く音が響く。来た時と違い、擦る様な音がしている。
「ありましたけど、感染はしていません」
「ただの恨みであったと」
「はい」
レティシアが考え込む。
アルレスィアは相変わらず、リツカを撫でている。
「……魔王の関与、疑ったほうが良さそうですね」
レティシアの結論に、アルレスィアは頷く。
「今のアンネさんは感染の危険性が高いです。注意だけはお願いします」
「注意だけで良いんですか? 監視とかは」
「もし感染すれば真っ先にここを目指すでしょうから」
レティシアが手を叩いて納得する。
「なるほど。つまり?」
そして、アルレスィアに尋ねる。
答えは、分かっているけど一応。
「”光”を打ち込みます。容赦なく」
「まぁ……仕方有りませんね」
レティシアは諦め顔で、廊下に出ろうとする。
「それでは、廊下に居ます」
「そちらのベッドで仮眠を取ってください。お疲れでしょう」
アルレスィアが引きとめる。
「いえ、私は若いので――」
「私に嘘は意味有りませんよ」
レティシアがそのまま廊下に出ようとするけれど、アルレスィアが強くとめる。
「……リツカお姉さんとは別の意味で厄介です。どんなカラクリです?」
レティシアを見ることなく嘘を見破ったアルレスィアに、レティシアは瞠目する。
「内緒です」
アルレスィアはチラとレティシアを見て、リツカに視線を戻した。




