戦いの跡③
数え切れないほどのマリスタザリアの襲来があったにも関わらず、街の中は綺麗な物だった。
ただし、牧場の家畜、ペット、周辺の野生動物は、居なくなってしまった。
野生の動物は何れ戻ってくるだろうけど、家畜全滅の報は食料事情を直撃した。
「家畜を仕入れに行きたいが」
「今街の外に出るのはねぇ」
「それに、また化け物に変わっちまったら……」
街中で、生活の不安が話される。
「もう英雄も居ないんだぞ……」
「おい、アンネさんに聞こえたらどうすんだよ」
「っ!」
咎められた男は口を手で塞ぐ。
「巫女様二人とレティシアさんが居るだろ。国は大丈夫だって」
咎めた男は、鼓舞する。
「西側、一番戦闘が激しかったとこじゃ、三人だけ二百体以上のマリスタザリアを倒したって話しだしな!」
「そうよね……。なんかすごい魔法も使ったって聞いたわ、私!」
「大きなリツカ様が出たあれだろ! 俺丁度屋上に居たから良く見えたんだよ!」
無理やり元気を出すように、声を張り上げる。
その場で話を聞いている者達は、なんとかそれで、安堵を得ようとする。
だけど……。
「そのリツカ様も、意識不明って話じゃないか」
捻くれ者が、その空気に水を指す。
「何言ってんだ!」
捻くれ者の胸倉を掴み上げる。だけど、その顔は縋るような顔をしている。
俺達の希望を摘まないでくれ、と懇願しているのだ。
「俺、そのとき病院行ってたから知ってんだよ」
掴んでいる腕を払い、捻くれ者が言う。
「リツカ様が血塗れで、ウィンツェッツに運ばれたのを」
「――っ!」
「そん時のアルレスィア様の顔もしっかり見てる。ギルドはただの意識不明って言ってるけど、もしかしたら、リツカ様はもう……」
アルレスィアの絶望に染まった表情を見た捻くれ者は、リツカの死を示唆する。
「リツカちゃんは死んじゃいないよ」
気の強そうな女性の声が聞こえる。
「ロ、ロミルダさん」
「アンネから聞いてきた。怪我は治って、後は意識が戻るのを待つだけだってさ」
「そうか……!」
捻くれ者に水を指され、意気消沈していた者達が再び希望に縋る。
「他に聞いてないかい? ロミルダさん」
「……」
ロミルダは答えるか迷っている。
リツカの事は朗報だった。だけど、他はひどいものだった。
犠牲は死者六十三人、重傷、重体者を含めれば、百七十八人にもなる。
三百四十六人参加して、百七十八人が今も病床に伏している。
半分程の犠牲を出してしまった勝利とは、果たして喜々として語ってよいものなのかと、迷っている。
「あまり芳しくはないね」
「そう、かい……」
肩を落とす男の背中をロミルダが叩く。
「生きてる連中が沈み込んでどうするんだい。さっさと元の生活に戻れるようにしな」
この世界では、マリスタザリアの被害は良くある。
今回の様な戦争はそうないけれど、二年前、ライゼルトが英雄となった戦いの延長だ。
あの時は国内まで攻め込まれていたけれど、今回は無傷で終わっている。
冒険者と兵士に多くの犠牲が出たけれど、それを覚悟した者しか、参加していない。
リツカが知れば悲しむだろうけど、立ち止まる事はない。
「沈み込んでちゃ、何のために助けてもらったのか分かんないってんだよ」
自分の店に戻っていくロミルダの背に、視線が集まる。
全部が全部納得できた訳ではないけど、確かに、救ってもらったのに落ち込んでいたら、申し訳ないというのは分かるようだ。
国民からすれば、演説でリツカが言っていた、道を用意するという言葉。それを見せてもらった形になる。
言葉だけでなく行動で示したリツカとアルレスィアに申し訳ないと、道を真っ直ぐ歩く事にした。
後ろを振り返るのは、余裕がある時だけでいい。
王宮の執務室の扉がノックされる。
「お待たせしました」
エルタナスィアがお辞儀をし、入室した。
「リツカさんとアルレスィアさんの看病で忙しい中、申し訳ございません。エリスさん」
「いえ、ちょうどシーアちゃんと会えて、交代をお願いしましたから」
コルメンスが立ち上がり椅子へ誘導する。
それを受け会釈し、エルタナスィアが席へ向かう。
「アンネさんの調子は……?」
椅子に座ったエルタナスィアが少し言い難そうに尋ねる。
「……」
コルメンスが首を横に振る。
「仕事に没頭する事で忘れようとしていますが……」
コルメンスが項垂れる。
コルメンスにとっても、ライゼルトは尊敬する男だっただけにやりきれない想いがある。
そして、補佐としていつも頼りにしていたアンネリスの悲嘆も、辛いようだ。
「体にも悪いですし、どんなに没頭しようとも、忘れられるものではありませんから」
エルヴィエールも辛そうに話す。
大切な人間を失う悲壮は、エルヴィエールも知っている。そして、仕事に没頭する事で忘れようとした事も。
父と母を失い、若くして世界に名を馳せる女王となったエルヴィエールだけど、当然、家族を失った悲しみを強く感じていた。
それを払拭するために、仕事に没頭していた時期もある。
アンネリスの気持ちは、良く分かっていた。
目を伏せアンネリスを心配していたエルヴィエールに”伝言”が入る。
「シーアからです」
公開設定で皆に聞こえるようにする。
《アンネさんは居ませんカ》
「えぇ。だから、ライゼさんの事を話しても大丈夫よ」
《はイ》
居ますか、と聞かずに居ませんか、と言った微妙な違いから、レティシアがアンネリスの居ないところで話をしたいと思っている事に気付いたようだ。
《先ほど西の戦場の調査を終えましたのデ、一足先に報告ヲ》
「何か分かったのかい?」
《お師匠さんの事は何モ》
皆が気になっているであろう事を、まず最初に報告する。
《腕ハ、魔法による切断ではありませんでしタ》
レティシアが言いよどむ。
《リツカお姉さんの怪我から考えてモ、殴られた結果だと思っていまス》
「魔法、使ってないのよね」
《はイ。リツカお姉さんを攻撃した時モ、魔法を視認できていませン》
エルヴィエールの質問の答えは、その場の空気を重くさせるには十分だった。
「シーア、もう一度詳しく、教えてくれないかい」
《はイ》
コルメンスの頼みに、レティシアが応え、マクゼルト襲来から話す。
《リツカお姉さんは動揺したままでしタ》
殺人による動揺だ。
《それでモ、巫女さんの後ろに現れた敵ニ、誰よりも早く対応しましタ》
「……」
エルタナスィアが悲痛に目を瞑る。ゲルハルトは顔の前で手を組み、感謝するように目を伏せた。
《正直、その時何が起きたかは分からないんでス》
レティシアが唸るように考えている気配がする。
《たダ、リツカお姉さんが巫女さんと突き飛ばさないといけない程、切羽詰っていたという事だけデ、相手の危険度が分かってしまいましタ》
「シーアが受け止められるように突き飛ばすのが精一杯だったのよね……」
《はイ。正確に、巫女さんが私に向かってきましたかラ》
リツカが行えた、精一杯の配慮が、それだけだった。
《だからという訳ではありませんけド、リツカお姉さんとマクゼルトの攻防は見れてませン》
「気になるところではあるけれど……」
コルメンスが無理と思いつつも、レティシアの記憶に尋ねる。
でも、レティシアの反応は良くない。
《たとエ、巫女さんがこちらに来ていなくてモ、私では目で追えなかったでしょウ。目を瞑った一瞬デ、リツカお姉さんが飛ばされたんですかラ》
受け止めた際に目を瞑ってしまった。その一瞬で、リツカはマクゼルトの腕を弾こうと行動して、失敗した。直撃しなかっただけでも、驚くべき反応速度だろう。
《その後は、リツカお姉さんが血を吐いて、巫女さんがマクゼルトとの間に割り込んで、お師匠さんが助けて》
そこからの時間の流れの速さを再現するように、レティシアがまくし立てる。
《リツカお姉さんの目や口、体の方から血が……》
アルレスィアが、レティシアに呼ばれるまで行動出来ない程、痛ましい光景だった。
《気を失ってしまったリツカお姉さんを守るようニ、お師匠さんが立ち塞がっテ、私も参戦しようとしましたけド、リツカお姉さんの護衛という名目デ、街に帰らされましタ》
私も助けられたんでス、とレティシアが落ち込んだ声音で告げる。
「シーア……」
エルヴィエールがレティシアの気持ちを慮る。
「リツカさんが反撃すら出来ず、ライゼさんまで……」
《マクゼルトが言っていた事ですけド、リツカお姉さんが万全であれバ、まだ分からなかったと思いまス》
コルメンスの弱音に、レティシアが反論する。
《リツカお姉さんハ、心身ともに限界でしたかラ》
レティシアの声が、少しだけ力を取り戻す。
《リツカお姉さんなラ、マクゼルトに対抗できまス》
絶望するにはまだ早いと、レティシアは声を張る。
《マ、相手が魔法を使い始めたラ、分かりませんけド》
厳しい現実も突きつけるけれど、レティシアらしい言い方にエルヴィエールは微笑む。




