幕間 A,D, 2113/03/17 ④
「すご……」
「クソ!」
負けた中学生たちがリツカに殴りかかる。三対一だ。
遠くから見ていた十花が動こうとしているけど、リツカが目を向けてとめる。
子供の喧嘩だから、といった目だ。
「ちょっと! 何しようとしてんの!」
スポーツで負けたのに、拳を向けていく三人。六歳二人を含んだ小学生のチームに負けた中学生という屈辱は耐えがたいのだろう。
「大丈夫です」
「六花さん!?」
「私こう見えて、強いんですよ」
リツカが三人の攻撃を避け続ける。
技術も何もない、ただ振り回すだけの攻撃に、リツカは何の感情もなく軽々と避けている。
なんだかんだで全員、バスケをやって疲れている。リツカを殴る蹴るなどの暴行を加えようとした三人の攻撃は、リツカが上手く誘導した結果、お互いの顔や腹に吸い込まれていく。
「ウッ」
呻き声を上げて三人が倒れた。
「立花、大丈夫?」
十花がリツカの下にやってくる。
「はい、お母さん。問題ありません」
「でもまだ甘いわ。もう少し安心させてください」
本当は娘の成長が嬉しい癖に、つい強く言ってしまう。
「そうはいっても、私も疲れているのですけど」
「言い訳はいけません」
というより、強くなって自分の手から離れていくのが嫌なようだ。
「そろそろ帰りますよ」
「はい」
十花が先にコート外に出る。
「宮寺さん、ごめんなさい。私はそろそろ――」
「椿、でいいよ。あと敬語はなしで!」
「――うん。椿、さん?」
「惜しい……」
椿が肩を落とす。
「私も、立花でいいよ?」
「――うん!」
落ち込んでいた椿が笑顔になる。
「また会えるかな」
椿が言いづらそうに尋ねる。
簡単に誘っていいのか、迷っているようだ、
「毎日ここの外周走ってるから、たぶん」
「そっか、じゃあまた明日!」
また会えるという言葉に、椿は喜ぶ。
「うん、また――明日」
リツカは、初めて出来た友達との約束に、ちょっとだけ喜んでいた。
「これが出会いだよ」
「……」
メラメラと嫉妬の炎を燃やす久由里に、椿はため息をつく。
「立花は今も昔も余り変わってない。でも、友達として付き合ってたらすぐに分かった。あの子は自分からは深く関わろうとしないって」
嫉妬顔のままで椿を見ている久由里に構わず、椿が話す。
「それでも、私には心を開いてくれてるように感じた。ずっと立花だけ目で追ってた。学校が同じだったのも、嬉しかった」
椿がスマホを取り出し、リツカの写真を見る。
「綺麗な子って思ったし、もっと仲良くなりたいって思ってたら、いつの間にか好きになってた」
膝を抱えた座り方をしている椿は、膝に顔を埋める。
「宮寺先輩が先に好きになったんですか?」
椿の隣にちょこんと座りながら久由里が尋ねる。
「最初から最後まで、私の片思い」
「ん……?」
久由里は混乱している。
「言ったでしょ。立花は私を、友達としかみてくれなかったのよ」
大きくため息をついた椿は久由里を見る。まだ疑問顔な事を確認し、話し始める。
「七歳のある時を境に、立花はバスケットと武術以上に気になるものが出来たみたいで、そっちに一生懸命だったの」
「気になるものですか?」
「聞いたことあるでしょ。森の話」
椿と久由里が在籍している高校では有名な話だ。
リツカは、ボランティア活動をしている時以外は、町の端にある、立ち入り禁止の森に殆ど居ると。
「それでも、バスケは一生懸命やってたし、私とは仲の良い友達で居てくれてた」
椿はぼーっとしている。
「もっと仲良くなりたいって、友達以上になりたいとさえ想い始めた時。十一歳くらいだったかな。立花が森に行くのを見たのは」
偶然だけど、見た事を後悔した。と椿は目を伏せる。
「まるで、恋してるみたいに目をキラキラさせて、頬を紅潮させ、て……」
涙すら流して、椿は呟く。
「森しか、見てなかったの」
「……」
森や草花が好きっていうのは、噂程度には知っている久由里。ただの趣味の範囲かと思っていた。だけど、ただ好きなだけじゃなく、愛してると言えるほどの物だと、椿は言う。
「でも相手は森だし、人間の私が負ける訳ないって思って、どんどん攻めていったんだけど……」
大きなため息をつく椿の目は遠くを見ている。
「立花、鈍感だった……」
「鈍感ですか?」
そんなイメージは全然ないと、久由里が言う。
椿が慰められていた光景を久由里も見ていた訳だけど、鈍感どころか鋭すぎるくらいだったと思っている。
「自分に向けられた感情に、とことん鈍感なのよ」
リツカが気付いてなかっただけで、近しい人間は全員知っていた。
「だから、私の気持ちは全く届いてなかったの」
「でも、六花先輩は、宮寺先輩の事絶対好きでしたよ!」
励ましているように聞こえるけど、ただの糾弾だ。両想いだったなら、なんでバスケ部の先輩を選んだのか、と。
「立花、友情と愛情の違いが曖昧だった」
糾弾された椿は久由里を見ながら言う。
「私は、立花を愛してた。でも立花は、友達としての好き、だったの」
「……曖昧だったなら、告白すれば、付き合えたかも――」
「貴女は耐えられる? 愛情と友情でのすれ違いに」
妥協案を出した久由里に、椿は食って掛かる。
「私は無理。それって、立花が本当に愛してる人が出来たら、私の元から居なくなるってことでしょ」
椿は怖かった。
「私が諦めたら、特別な友達のままで居られる」
リツカは椿以外に友達を作ろうとはしなかった。
「でも、諦め切れなかった。なんとかしようとした。それなのに……」
「何があったんですか」
椿の、バスケをやっている時のキリっとした感じではなく、ただの恋に苦悩する少女の姿に、久由里は困惑しながらも話しかける。
「十三歳の時、巫女っていうのになってから、立花、バスケも辞めちゃった」
「……」
これも有名な話で、この町で一番有名な女子バスケ選手が居なくなったと。女子バスケット界にとって大損失だと、騒ぎになったことがあった。
リツカはこの町から出られないから、ホームゲームでしか参加出来ない。だからいつかは辞めなければいけなかった。
悲しい話だけど、リツカにとってはバスケより、森に居られる巫女の方が大事だった。この事だけで、リツカにとって椿は大切ではあるけど、友人という認識だった事が分かってしまう。
リツカがもし椿に恋心を感じていたら、繋がりの一つであるバスケを簡単には辞めないだろうから。
「止めたかったけど、私は知ってるから」
椿はまた、膝に顔をあて、顔を隠してしまう。
「立花にとってあの森に居られる事が、一番大切な時間なんだって」
その声は悲壮感に溢れていた。
「そんな時に、先輩に会って、慰められて、励まされて……」
椿は、落ち込んでいた心が少しだけ元気になった気がしていた。
「先輩の事を、ただの先輩に見れなくなってた」
バスケで、男顔負けのプレーを見せる椿だけど、本当はただの、恋に生きる乙女だ。
「じゃあ、六花先輩にあんな事言わないで、黙って秋元先輩と付き合えば良かったじゃないですか」
秋元先輩とは、本名を秋元 小和といい。椿の恋人になった少女だ。
久由里は自身の勘違いを認めながらも、そこは譲らなかった。
久由里は、今回のリツカの失踪は椿との失恋にあるのではと考えてしまっていた。時期があっているし、それくらいしか、リツカが居なくなる理由がないと思ったからだ。
だから糾弾しにきたわけだけど、話を聞けば、リツカは失恋とも感じていなかった可能性があると、思い直した。
でも、少なからず傷ついただろうとは、今でも思っている。
だから、リツカに小和との関係を見せ付けるようにした軽率な行動を非難している。
たった一回、助けられただけ。それも、あの不良の目当てはリツカで、同じ制服で居ただけの久由里はリツカの事を聞くついでだった。
リツカが余りにも見つからないから、もう久由里で良いと手を出そうとしたところにリツカが現れたという訳だ。
なんとも間抜けな状況だけど、久由里には女騎士の様に見えたことだろう。
そんな憧れのリツカが、傷ついて失踪したかもと考えたら、もう止まれなかった。
「諦めきれないって、言ったでしょ」
「……」
椿もだんだんと、怒気を含ませていく。
「もしかしたら、恋愛っていうのを見せたら、立花の考えが変わるかって思ったの」
「役者ですね。……最低です、宮寺先輩」
久由里が本気で怒る。
リツカに対して行った事もそうだし、小和に行った事に関しても、最低だと。
「……分かってる。でも、立花に気付かせるには、それくらいしか思いつかなかったの」
椿は自覚しながらも、反省はしていない。
それほどまでにリツカを愛しているし、振り向かせたかった。
「でも結果は知ってるでしょ。というより、見てたんでしょ」
「はい」
空を見上げ呟く椿を恨めしげに見る久由里の目からは、少なからず残っていた敬意の念は消え去り、ただただ軽蔑だけが残っている。
「立花、普通に私の応援してくれた。アドバイスと後押しをくれて、先輩との仲を取り持ってくれた」
リツカからの、確かな友愛を感じている椿だけど、表情は晴れない。
「完全に、友達だって。痛感した」
「……」
リツカとしては、大切な友人であり、もしかしたら恋心を持っているのかも、とさえ思っている相手の恋を応援しただけなのだけど。
向こうに居るリツカを見れば分かる通り、リツカは以外と、独占欲が強い。
そんなリツカが簡単に手放した感情が、恋心であるはずがなかった。小和と椿が付き合っても、椿とは友人でいられるのだから。
「諦めて、先輩の告白を受けたんだけど」
「秋元先輩からの告白だったんですか?」
久由里は、椿からの告白だと思っていた。
「立花の気持ちを確かめるためとはいえ、先輩の優しさとか全部、利用したんだから。私から告白なんかはしないわよ」
一応罪悪感はもってるの、と椿が呟く。
「でも受けたんですよね」
「……そうよ。立花が遠くに行った気がして、寂しかった」
誰も知らないところで失恋した椿は、温もりを求めていた。
「あてつけのつもりで、立花にメールで、先輩とのデートの予定を聞いてみたけど、普通にアドバイスされて、怒っちゃった……」
「……」
久由里は、椿が本当の馬鹿なんだと思ってしまった。
「明らかに、逆ギレだから、ちゃんと謝ろうとしてたのに、立花居なくなっちゃって」
椿は涙を流す。
「あの日、立花の行方不明が発覚した日、私、立花の家に行ったのに……」
「行ったんですか……?」
「そうよ……! 行っただけ! もっと、ちゃんと探せば良かった……!」
何か出来たかもしれないのに、と椿は後悔を吐露する。
「今でも後悔してる……」
二十日経っているのに、椿の心は晴れない。
むしろ、日に日に痛みが増していく。
「こんなに空しくなるってことは、やっぱりまだ諦めきれてないのね……私」
十年間、積もり積もった椿の想いは、簡単には拭えなかった。
「私の勘違いでした、ごめんなさい」
久由里が立ち上がる。
「気にしてない。……ありがと」
「……最低なんて言ってごめんなさい。私も同じ立場だったら、やってたかもしれません」
「そう……。立花は、罪作りね……」
久由里が頭を下げ去っていく。
「……」
椿は一人、川を眺め続けている。
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