一手②
アリスさんが、昨夜完成させた、この”拒絶の箱”。
これは、私が感知しなくても良い空間を作り出します。
これを昨夜、私に見せたときのアリスさんは、本当に嬉しそうで――「リッカさまが休める空間が増えます。これで、もっとゆっくりとできます」と、私を抱きしめて、持ち上げ、くるくると回っていました。
その姿が、可愛くて、可憐で、私は本当に嬉しかったんです。
そのままベッドに押し倒されてドキドキとしてしまったりもしました。
アリスさんの顔は、蕩けていて、妖艶で――。
い、今は、そんな場合ではありませんでした。
少し、落ち着きましたね。冷静な判断が出来そうです。
「周囲に追加の悪意なし」
チラッと男を睨み、動けそうにないのを確認します。
「アリスさん、大丈夫?」
「はい、問題ありません」
大魔法を使ったアリスさんの傍に寄り添います。
疲れは、本当にないようです。ですが、まだ気を抜くわけにはいかないので
「もう少し、頑張ってね」
「はい。お任せ下さい……っ」
アリスさんが目を閉じ、私の肩に頭を乗せます。
「緊迫しとるんだがな」
「まァ、それくらいが良いと思いますけド」
「なぁに、感慨深いだけだ」
ライゼルトの苦笑いに、レティシアは首を傾げる。
しかし、ライゼルトに、糾弾の感情は含まれていない。
昔気を張りすぎて、今にも壊れそうだった少女が、余裕を持っている光景に安堵しているだけだ。
「口だけでも縛っておくか」
「お願いしまス」
「アンネ、頼む」
「は、はい」
呆然とした空気のギルドで、動いているのは”巫女”二人とライゼルトとレティシアだけだった。
ライゼルトに話しかけられ、やっと動けるようになったのか、アンネリスが奥からロープを持ってくる。
「結局、どうなったの?」
「解決したのか?」
「ヨアセムさんが……」
ギルド内はまだ混乱中だ。
それも直に終わるだろう。
ライゼルトとレティシアも協力している現状で、リツカの狂乱を疑うなど、愚の骨頂なのだから。
「どうですか?」
「今口を縛ったとこだ」
私を睨みながら縛られてってます。そんなに睨んでもダメですよ。
しかしこの人、先程までの余裕がありませんね。
「この人が魔王なんですカ?」
シーアさんが椅子に座りながら首を傾げています。
魔法を維持していますから、疲れているのでしょう。
「いいえ。こんなにも簡単に捕まるはずがありません」
「神さまが困るくらいの曲者だからね」
悔しそうにしていますし、これ以上何も出来ないこの人は違うと思います。
「アンネが事情を説明しとる間に、こっちでも話しておくか」
「そうですネ」
「異論ありません」
「兄弟子さんも話すんですよ」
「はぁ……」
面倒そうにしている兄弟子さんも加えて、アンネさん組全員で考えるとしましょう。
「最初に疑問なんだが、あのビンに入った悪意で何をしようとしたんだ?」
ライゼさんが男性を睨みながら聞いていますが、そっぽを向かれました。答えてもらえるなんて、ライゼさんも思ってないでしょうけれど、何か情報が欲しいですね。
「あれは、本当にこの国を覆えるほどの悪意でしたから、国を滅ぼそうとしたのは間違いないと思います」
アリスさんが長い時間かけて練り上げた魔力を使いきって、やっと浄化できたのですから。
問題は、滅ぼす方法ですね。
「私達は”光”を持っていますから、簡単には感染しません。ですけど、絶対ということはありません」
悪意への特効である”光”ですけど、あくまで、優位を取れるというだけです。私達次第で、いくらでも変動します。
「私達が絶望すれば、簡単に堕ちるでしょう」
アリスさんが神妙な面持ちで言います。
国が滅べば、私達が絶望する可能性があります。
そうなればアリスさんが言ったように、感染する可能性があります。
「クルートさんのようニ、強制的に入れられる可能性はないのですカ?」
「私の目の届く範囲でしたら、大丈夫です」
「アリスさんには”拒絶”があるから」
対悪意で、アリスさんの右に出る者はいません。
だから、アリスさんが狙われるんです。
クルートさんで思い出しました。
「悪意での変質が、気になるよ」
「もし、人間もマリスタザリアの様に強化されたら、ということですね」
「うん」
アリスさんも、懸念しているようです。
「もし、それが出来るなら、あの悪意を自身に取り込む予定だったのではないでしょうか」
「場所の問題か」
「はい」
ライゼさんも可能性に気づきました。
「ギルドは、この国の端の方です。もし国全体を巻き込むなら、広場に行くべきです」
「だがコイツは、ギルドの奥に向かっていた」
視線を逸らしたままの男性を、全員で見ます。
冷や汗一つ無く、しらばっくれていますが、先程まで睨んでいたこの人が私達から視線を逸らした時点で、現時点では大本命ですね。
「考えすぎても仕方ねぇと思うが」
兄弟子さんが欠伸をしながら言います。
可能性を提示した上で、他もあると思っているのが一番いいと、私は思っています。
提示した可能性に縋る事も、期待する事も許されませんが、もしそうなった場合の対処スピードが段違いです。
「まぁ、コイツの言う事も一理ある。今はこれくらいにしておこう」
「でハ、これからの行動指針をお願いしまス。お師匠さン」
「あぁ」
アンネさんが戻ってくるのが見えます。これからの行動を考えないといけません。
敵が、動き出したのですから。
「お待たせしました」
「ギルドの連中はどうだった?」
「問題ありません。しっかり納得、理解していただけました」
アンネさんのお陰で、私が狂ったという汚辱は払拭されたようです。
「この未遂犯の情報も多少入ってきました」
何でもいいので情報が欲しいと思っていました。
「といっても、名前と出身だけですが」
「構わん。それだけでも助かる」
「はい。名前はヨアセム。出身は――ケルセルガルドです」
出身を聞いた時、私以外の全員の顔が凍りつきました。
「顔が違ぇぞ。あの顔は海の向こうにしか居ねぇ顔つきだ」
「私もそう思っていました。何より、提出された書類にはプラレトリヴォとなっていましたから」
「生まれと育ちが違ぇってことか?」
「その様です。ヨアセム氏がボソリと呟いたそうです」
「この国は平和ボケしている。我が祖国ケルセルガルドとはまるで違う、と」
けるせ? ぷられと? よく分かりませんが、皆さんの顔から察するに、良い国ではないようです。というより、この男性って確か……のすちーって国から来たんじゃ?
「よりにもよっテ、ケルセルガルドですカ」
シーアさんが珍しく、頭を押さえています。それ程の国ということでしょう。
「リッカさま、プラレトリヴォとは海を越えた先にある国の一都市です。比較的平和で、資源に乏しいですが、かの国には唯一無二である、空を飛ぶ技術がある為、技術大国として名を馳せています。閉鎖的な国の中では、比較的有名な都市のようです」
「空を、飛ぶ?」
「はい。リッカさまの世界にある、飛行船が近いかもしれません」
箒や、アクションアニメの様な飛翔ではなく、バルーンとプロペラによる飛翔のようですね。
閉鎖的な国というのは気になりますけれど、今問題なのはそこではありませんから。
「駆動部は陸の船と大差ありませんが、浮かせる技術、空で自由自在に動く技術、安全に着陸する技術はプラレトリヴォだけのものです」
唯一の飛行技術ならば、輸出と技術提供、特許などで儲けが出ていそうです。
この王都にはありませんが、探せばどこかにあるのかもしれませんね。
「その国出身であれバ、ただの一人の狂人で済ませられますガ」
「ケルセルガルドとなれば、そうではないかもしれないのです」
アリスさんとシーアさんも、深刻な顔です。
「ケルセルガルドは、この国の最北端です」
「それって」
「はい。アルツィアさまを信仰していない、無宗教の方達です」
無宗教であることは、元世界ではさして珍しい物ではありません。
ですが、この世界では非常に珍しいのです。
「ケルセルガルドだけは明確に、神を嫌っている事で有名だ」
「え?」
嫌っている? 信じてないだけじゃないんですか?
「神ってのが本当にいるなら、なんで自分達の生活がこんなにも苦しいんだってな」
ライゼさんが言ってたのは、そのケルセル、なんとかなんですね。
神さまへの八つ当たりをしたんですね……。
信仰を捨て、憎しみになったわけですか。
「その町からわざわざやってきて、あんな高純度の悪意を持っていて」
「私達に完全な敵意をもっていました」
「利用されたわけじゃねぇな」
「確実に自分から仲間になってますネ」
「……勘違いするな」
「なに?」
今まで黙っていたのに、何に怒ったのか、私達を睨んでいます。
いつの間に口の縄を外したのか、話しかけてきました。
「俺は憎んでなどいない」
神さまを、ということでしょうか。
ライゼさんがまた縛ろうとしましたが、話を聞く事を選んだようです。
シーアさんの拘束がほんの少し力を帯びます。
いつでも絞め落とせるでしょう。
「欲しいだけだ」
何が、とは言ってくれません。
ただ、捕まえた時よりも、ビンを奪ったときよりも、今が一番、私達に向けた敵意が強いです。
もはや、殺意です。




